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第38回「小説でもどうぞ」佳作 モナリザ・サプライズ 紅帽子

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小説でもどうぞ
第38回結果発表
課 題

サプライズ!

※応募数263編
モナリザ・サプライズ 
紅帽子

 いつもの通勤路で俺は違和感を覚えた。
 なぜだろう、道行く人が俺の顔をじろじろ見ているような気がする。気のせいかな。いや、違う。地下鉄駅まで徒歩十分の道のり、俺の顔をじっと見た後、目を逸らしたかと思うともう一度見つめ直すのだ。俺の顔を指さして大声で笑う失礼なやつもいた。いったいどうしたのだろう。そうか、今朝は髭を剃らなかったし、髪もかしていない。鏡を見ないまま家を出たのだった。俺はうつむき加減に足早に地下鉄駅まで急いだ。駅のトイレに行って鏡を見た。信じられなかった。鏡の中の俺は……。
「モナリザだ!」 
 俺の顔がモナリザになっていた。どういうことだ、こんな理不尽なことがあるか! 
 俺は驚愕したが、顔は謎の微笑みを浮かべたままだ。どうしよう、どうしよう。とにかく人に見られるとまずいことになる。写真を撮られてSNSにアップされる。「街なかに不審なモナリザ男現れる」とかなんとかキャプション付きで。すぐにワイドショーの話題になる。身元は二、三日で割れるだろうし、世間の笑いものになってしまう。会社はクビになるかもしれない。いったいどうすればいいのだ。とりあえずマスクをつけよう。
 俺は俯いたままコンビニに寄った。できるだけ顔全体を覆うようなマスクを選んだ。幸いなことに、コンビニのバイト店員は俺の表情をちらと見ただけでなんの反応もなかった。モナリザを知らないのか。常識のないやつだ。近ごろの教育はなっとらん、いやいや、今そんなことを考えている場合ではない。
 俺はすぐさまマスクを顔につけた。うつむきながら街路を歩いた。コロナ禍があけてもマスクをしたまま歩く人たちは多い。だからべつだん怪しまれはしないが、俺の目元だけでもモナリザだというのは歴然としている。なにしろ謎の微笑みを浮かべているのだから。
 俺は会社に電話をかけ、体調が悪いので休むと告げた。課長は「あ、そう」と言っただけで気にもかけなかった。アラフォーで万年平社員の俺なんか、しばらく休んだからといっても会社全体に差し障りはないのだ。俺の代わりなんか、どこにでもいる。
 どうしたものだろう、病院に行くか。しかし何科を受診すればいいのだ。やはり形成外科か、それとも皮膚科だろうか、顔そのものをとっかえることができるのだろうか。
 とにかく家に帰ろう。家に帰って対策を練るのだ。 
 俺は家に帰って鏡の前で目を閉じて祈りをささげた。どうか、顔が元に戻っていますように……。
 マスクをはずし、ゆっくり目を開けた。がーん、やはりモナリザのままだ。微笑んでいるじゃないか。泣きたいぜ、まったく。俺は泣いているのに、しかし鏡の中の俺は謎の微笑みを浮かべたままだ。なんだか嘲りの微笑みに見えなくもない。どうすりゃいいんだ。
 文学の世界にはこういう不条理なことがしばしば起こる。目覚めると毒虫になったり、詩人になり損ねて虎になったり、玉手箱を開けるといきなり三百歳の老人になったり、しかしそんなのに比べると、俺はまだしもましなのかもしれない。なにしろモナリザなんだからな。世界一有名な女性だ。
 そもそも俺なんか会社で誰にも見向きもされない。朝、出社しパソコンの前でデータの処理をして、会議室では末席に座り、時間が来たらそそくさと帰宅する。一日声をかけられないこともある。そんな俺がいきなり世界一有名な女に変身したとなると、誰も無視できないではないか。よーっし、このピンチを逆手にとって一気に今までの人生をプラスに変えてやる。
 次の日の朝、俺はマスクをはずしてアパートを出た。どうだ、俺はモナリザだぞ。世間の人々よ、よく見るがよい、俺が世界一有名な女性の顔を持つ男なのだ。
 俺は堂々と歩いた。しかし昨日のように俺をじっと見つめるとか、指さして笑うとかそういうことはなかった。すれ違う何人かがチラと見るだけだ。
 ただ、会社に入るときはさすがにドキドキした。キャーッなんて騒がれたらどうしよう。課長は俺を見て卒倒するかもしれない。
 エントランスをくぐりエレベーターに乗り込んだ。しかし誰も何の反応もない。
 課に入った。
 みんな知らんぷりだ。
 何がどうなったんだ。世界は別の次元に移ってしまったのか。
 俺は吐息をつこうとしたが思い直した。
 どうでもいい。俺がモナリザになろうが元の俺の顔だろうが、関係ないじゃないか、俺は俺の仕事をするだけだ。
 俺はパソコンのキイを叩きまくった。おそらく入社以来と言っていいほどの強さで。
 そのときだった。
「サプラーイズ!」
 課長が俺のそばにやって来て叫んだ。
「よっ! 君、やる気を起こしたんじゃないか。そのときを待っていたんだよ、君にサプライズが起こる日をね」
 サプライズ?
 たしかに俺は昨日までとはうって変わって、仕事に打ち込んでいる。顔が変わったというよりも心が変わったのだ。
 課長は言った。
「君の顔、ちょっとこの前と感じが変わったね。でも、そんなのはどうだっていいんだ。君の心がやる気を起こした。だから顔も変わるんだ、ははは」
 モナリザ・サプライズというべきか。
 俺は力強くキーパッドを叩き続けた。会心の微笑みを浮かべながら。
(了)