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第39回「小説でもどうぞ」佳作 睡眠をもとめて 佐々木祥子

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小説でもどうぞ
第39回結果発表
課 題

眠り

※応募数355編
睡眠をもとめて 
佐々木祥子

 私は夫を蹴っ飛ばした。うるさすぎるのだ、いびきが。蹴りを入れる妻だなんて荒々しいが、このくらいじゃ彼にとってダメージ0だ。のれんに腕押し、ぬかに釘、いやいや、いびき夫に蹴り入れ、だ。ほらやっぱり。相変わらず豪快ないびきで寝ているじゃないか。これでは毎夜私ひとりが苛立ち損だ。夫圧勝! 強いぞ夫、すごいぞ夫。私だってゆっくり眠りたいのに。どうにかしなければ……。
 私たちは仲良し夫婦。ただ一点、夫のこのいびき問題を除いては。私の実家では家族にいびきをかく者はいなかったし、その後はひとり暮らしをしていたので、静かに眠れていた。眠るとはそういうものだと思って三十五年生きてきたのに、夫と結婚し、いびきというとてつもない轟音の存在を知った。轟音の中で幸せそうに眠れる夫はどうなっているのか。理解不能だ。新人類か? 宇宙人か? 宇宙人なのか、夫よ。
 そういうわけで、“私” 対 “夫のいびき”攻防戦の火ぶたが切られたのだった。私はひたすらに解決策を模索した。
 一.手始めにいびきがうるさくなってきたところで「うるさいよ」と声をかけて注意を促す。起きない。
 二.刺激を少しグレードアップし、ゆする、蹴るの接触を図るも、起きない。
 三.仰向けがよくないという情報を得る。夫がいびきをかくたびころころ転がし、横向きだ、うつぶせだ、と体位を変えさせてみる。だがよほど仰向けが好きなのか、瀕死の虫のようにすぐにひっくり返ろうとするため、断念。
 四.夫婦別寝を試みる。距離ができればましにはなるが、いかんせん狭い家なのでどこにいても轟き渡る。すごい力量だ。逃げ場はない。
 五.では、寝心地を悪くさせてみてはどうか。寝入った夫をふとんから落としてフローリングの上で寝かせる。なんと、この夫はどこでも快適に眠れるようだ。硬い床の上でもしっかりといびきをかいて寝ている。なんて頑丈なんだ。意味なし。
 では、いびきを止めるのではなく、そもそも発生させないという発想の転換を試みるのはどうか。
 六.いびきを助長しそうなお酒を控えさせる作戦。晩酌の焼酎の水割りを三杯目からは水の水割りにして飲ませてみた。豪快ないびきに変化なし。
「はあぁぁ私は何をやっているのか……」
 ため息がでる。そうか、私、私だ。夫をどうにかするのではなく、私の方を改善してみるのはどうか。
 七.シンプルに、夫よりも早く眠りに入る。眠ってしまえばいびきも気にならないかもしれない。睡眠に入り、お花畑の楽しい夢を見ているさ中、急に悪天候になりお花畑がどしゃぶりになり、さらに雷まで鳴り始めた。止まらない雷。うるさい! 夫のいびきだった。ダメだった。
 八.では、耳栓作戦はどうか。“NASAも採用”がウリの頼もしさ満点の耳栓を入手。高性能すぎたのか、確かに轟音はカットされるが、何だか閉塞感で呼吸もカットされている気がして息苦しくて私に合わない。残念。
 こんなに試みてもダメなの? もういい……。私はしくしく泣いた。こうなったら、
 九.夜の安眠は諦めて、割り切って日中に睡眠を確保する。これだ! 仕事の休憩時間、通勤の行き帰り、隙あらば寝た。歯医者さんの治療中にさえ器用に眠りこけた。もちろん十分ではないが、こうして意識的に日中にも睡眠を確保してみると、不思議と夜も少しずつ眠れるようになってきた。夜眠らなければというプレッシャーが軽減されたからかもしれない。
 夫婦は家族とはいえ他人同士。受け入れがたい部分にも折り合いをつけ何とかやっていく、それが夫婦だ。いやぁ解決の可能性がみえて、今日も気分よく眠れそうだ……。

 うっ……。何だ、あまりの息苦しさで私は目を覚ました。真夜中に何事か。目を開くとまだぼんやりとした視界の中で、目を血走らせた夫の顔が目の前にあった。仰向けに寝ていた私に恐ろしい形相で馬乗りしている。お、重いよ……。声が、出ない。夫が全体重を私に乗せているから身動きが取れない。こ、声が……。夫は私の口の中にぎゅうぎゅうと毛布を押し込んでいた。何で………。く、苦しい、息ができない……。
「いつもいつもうるさいんだよ! 歯医者に行ってんだろ? だったらその轟音の歯ぎしりを治してもらえただろうがよ! 毎日毎日うるさすぎてもう耐えられないんだよ! 黙らせてやる! 黙らせてやるからな!」
 私は知らなかった。毎夜豪快な歯ぎしりを自分がしていたことを。狂気の沙汰に走らせてしまうほど、夫を悩ませていたことを。いびきと歯ぎしり。私たちはなんて気の合う似たもの夫婦だろう。さすが仲良し夫婦だ。だが、時すでに遅し……。私の意識は静かに遠のいていった。夫の顔がもやがかかったようにぼんやりとしていく……。
 どうやら私はやっとこの上ない睡眠を確保できるようだ。二度と目覚めない永眠という名の眠りだ……。あぁおやすみなさい……。
(了)