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第39回「小説でもどうぞ」佳作 回生の鳥達 大西洋子

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小説でもどうぞ
第39回結果発表
課 題

眠り

※応募数355編
回生の鳥達 
大西洋子

 墜ちていく、墜ちていく。底すら見えない深海に墜ちていく。このまま永遠に眠ってしまえばどんなに楽か。
「いかんねぇ、いかんねぇ」
 聞き覚えのないしわがれ声と共に、硬いものが床に擦れる音が私に近づいてくる。
「その体に精気が溢れているというのに、いかんねぇ」
 松の枝のような長い指に三日月状の鋭い爪が、視線の中に入ってきた。
「本当に満ち足りることを知らぬニンゲンなのかねぇ」
 ぬっと覗き込むそれは鳥そのもの。思わず声をあげ、ずりずりと後ろへさがる。
「ようやく動いたかぇ。さて次はここから抜け出そうかぇ、アリス」
 私を覗き込んだその鳥は、絶滅した鳥ドードーそのもの。
「私の名前はアリスではないわ。私の名は……」
 どうしよう。頭の中から自分に関する記憶がすっぽり抜け落ちている。
「なぁに、迷い子は皆アリスだねぇ」
 ドードーはくるりと背中を向け、二、三歩歩いて立ち止まり、私を振り返り見る。
 ついてこいと言っているのかしら。私は立ち上がり、ふと周りを見てぎょっとする。薄汚れたコンクリートの建物が傾き、地平線の代わりにどす黒い水が荒々しくうねっていた。
「あれが永遠の眠り。あと少しでアリスも、そこにいくところだったのだねぇ」
「あの建物、どこかで見たことがあるわ」
「よく気がついたねぇ。永遠の眠りは歴史上から消えてしまったモノが集まる場所。我もその一つになるはずだった」
 まるですり鉢の中で粉々になるのを待つ胡麻のよう。私が歩けば歩くほど、それはだんだん遠ざかっていく。
「だけど、我は永遠の眠りと生の狭間を生きる術をニンゲンによって与えられたのだぇ。アリスも聞いたことあるだろうねぇ。むかしむかしあるところに。いつのことだったでしょう。ある日のことです……」
「でも、あなたは私が知るお話に出てくるドードーとぜんぜん違う」
「そりゃぁ、お話は読む人が多ければ多いほど、お話が多ければ多いほど、その数だけドードーは存在するからねぇ」
 いつしか辺りはなだらかな大地に変わり、鬱蒼うっそうと生い茂る森が見えてきた。
「どうやら案内はここまでのようだねぇ」
 ドードーは足を止め、さあ行けと背中をやさしく押した。
「あなたにまた会える?」
「ドードーが出てくるお話の中ならどこでも。さあアリス、立ち止まらず進むんだぇ。道に迷ったら鳥が教えてくれるさぁ」
 私はドードーをハグをしてから、その森へと足を踏み入れる。生い茂る木々の合間から見える空は昼なのか夜なのか見当もつかない。
 と、どこからかコポコポと音が聞こえる。もしかしたら川が流れているのかもしれない。
 私はその音がする方向へ進む。
「鳥だ」
 森の中を流れる川に羽を広げて着水する水鳥が一羽。河岸に沿って驚かせないように追いかける。頭上に広がる木々の枝が少なくなっていく。もうすぐ森を抜け出せそう。
 森が途切れた途端、水鳥が翼を広げ、水面を駆け飛んだ。
「ああ、青色じゃなかった」
「また、青色じゃなかったね」
 幼子の声が二つ私の近くへ駆けてくる。そうしてその幼子と共に悠々と空を飛び行く水鳥の姿を見送った。
「行っちゃった」
「行っちゃったね」
 手をつなぎ、森に向かって歩き出す幼子の顔はよく似通っている。
「探している鳥は、どこにいるのだろう」
「本当にどこにいるのかしら。鎧兜よろいかぶとをまとった大勢の男たちが乗っていた船にいた鳥は違ったし」
「賢いと聞いた鳥も違った」
 幼子の手には空の鳥の籠。もしかしたらこの子たちは……
「あなたたち、チルチル、ミチル?」
 思わずつぶやいたその名前に幼子が驚き振り返った。
「あなたたちが探している鳥は、こんなところにいたのかと驚く場所にいるわ。だから来た道を戻ったらいいわ」
 どうしてと問い返す言葉を遮り、私は自信満々に答えた。
「そろそろお家に戻ろうよ、お兄ちゃん」
「そうだね、ずいぶん歩いたし」
 幼子が来た道を引き返す。何度も私に手を振り返りながら。やがてその姿は陽炎が消えるように見えなくなった。
 あの幼子が探す青い鳥は、あの幼子が家に戻ったとき、そこにいるのを目の当たりにするだろうか。
 ……ああ、そうか。私自身もすぐ側にあるはずのささやかな幸せすら見失っていた。
 目を閉じると地を駆ける鳥の姿。水面を優雅に進む鳥、そして大空を羽ばたく鳥、鳥、鳥……。
 目を閉じた私の耳に様々な鳥の声が飛び込み、その鳥の声の主のお話を一つずつ思い出してみる。
 不思議な頭巾を通して聞いた鳥のおしゃべり。そのおしゃべりから幸せを掴んだお話。
 ──私も、ひょんなことから幸運を掴みとることができるのかしら。
 老いて声が出なくなって、食べられそうになった雄鶏は、同じような境遇の仲間と出会い、ここ一番で得意の声で心穏やかに過ごせる場所を得た。
 ──私も、同じような悩みを持ち、共に歩む仲間に出会えるかしら。
 夜明けを告げる鳥の鳴き真似で、待ち受ける危機を回避した話。
 ──私も、その危機を回避できるのかしら。
 いや、できるはず。できる。そしてそれをするのは今。
 雄鶏の三度目の鳴き声と同時にドードーの言葉がよみがえる。
「さあアリス、立ち止まらず進むんだぇ」
 ドードー、私、思い出した。私の名前は……
 来た道を振り返り名を叫んだところで、私は眠りから目覚めた。
(了)