第39回「小説でもどうぞ」佳作 不眠 齋藤倫也
第39回結果発表
課 題
眠り
※応募数355編
不眠
齋藤倫也
齋藤倫也
「お前、こんなところで何してる?」
すぐそばにいた太っちょに、Tは驚いて声をかけた。
「ああ、あんたか」
「あんたか、じゃないだろう。二度と会うことはないと思ってたよ。だってお前は……」
次の言葉を言いあぐねているTを気にする素振りも見せず、太っちょは言った。
「俺だって病院くらい来るさ」
「今のお前は、医者なんかいらんだろう」
Tは思わずそう口にして、しまったと思ったが、やはり太っちょは気にするふうもなく、聞き返してきた。
「そういうあんたこそ、どうしたんだ」
「オレか? 眠れないんだ、ここんところ」
「ふうん。そうか。あんたらしくもない。眠れないとはね。ところで、社長は元気かい?」
「実は、オレも辞めたんだ。お前が辞めてから、ちょっとしてからな」
「そうか……あんたも辞めたのか。社長のところで、あんたと組んでた頃は、楽しかったな」
「ああ…… そうだな」
元同僚の二人の男は、しばらく黙ったまま、たたずんでいた。
「じゃあ、俺は行くよ」
唐突に、太っちょが言った。Tはほっとした。なぜかいたたまれなくなり、早くこの場を離れたいという気持ちになっていたのだ。
「またな」
太っちょの言葉にTは応えず、うわべだけの笑みを返した。Tは去っていく太っちょの、上着の背中に開いた穴を、見るともなく目にしながら、黙って見送った。
しばらく経ったが、Tの名はまだ呼ばれていなかった。ふとTは、病院の待合室が妙に混んでいることに気がついた。しかも、そこにいる人々は見覚えのある顔ばかりだと、Tには思えた。名前すら
と、そのとき、Tの名が呼ばれた。診察室の前まで進んだTは、ドアを開けて待つ看護師の顔を見て、一瞬固まった。
「……君は……」
「ええ。わたしよ」
「もう
「どうして?」
「……オレは……オレは、君に……」
「そう。あなたは、わたしにひどいことをした」
なにも言えずに立ちつくすTに、診察室の奥に座った医師が、声をかけた。
「お待ちしていましたよ。どうされました? どこか痛みますか?」
答えようとするTをさえぎり、医師は続けた。
「私が当ててみせましょう。あなたは、眠れなくて、ここにいらした。違いますか?」
答えようと口を開きかけたTを、医師は更に手で制して言った。
「いや、何もおっしゃる必要はありませんよ。あなたが何か言ったところで、なんにも意味なんかありゃしない。あなたは眠れない。それでここにいらした。図星でしょう? でもね、残念ながら、私は何もしてさしあげられません」
「なぜです? あなたは医者でしょう?」
「あなたは、医者が万能だとでも? 仮に私が万能だとしても、症状のない人を治すなんて芸当はできやしません」
「どういうことです?」
「もうすでに眠っている人を、眠らせることなんて無理だと申し上げているんです」
「もう寝ているだと?」
「ええ、そうです。あなたは、今、眠っています。眠っているあなたは、今、医者に向かって、眠れないから助けてくれと訴える夢を見ているんです」
「そんな馬鹿な。じゃあ……あんたも、オレが今見ている夢だって言うのか?」
「そうです」
「太っちょも……彼女も……夢なのか?」
「ええ」
「……あの待合室にいる連中も?」
「ええ。みんな、あなたが殺した人間です。覚えておいででしょう? 忘れるはずがない。それまで会ったこともなかったこの私も、あなたはあっさり殺したんです。こう指をならすみたいにね」
「……仕方がなかったんだ。オレは殺し屋だったからな。命令されれば消す。それだけだ」
「命令だから、元相棒の太っちょを背中から撃っても、自分が愛した女も殺してもよいと?」
「だから、どうしようもなかったって言ってるんだ! 組織の殺し屋が、社長、いや、ボスに、どうすれば逆らえるって言うんだ。だから、辞めたんだよ。もう続けられなかった。無理だよ」
「辞めたから、それで許されると?」
Tは答えなかった。
「辞めたから、社長は見逃してくれるとでも? そして、もうぐっすり眠れるとでも?」
Tは黙ったままだった。
「もう諦めたほうがいいですよ。やっと眠れたと思っても、こうやって悪夢はどこまでも追いかけてくる。逃げ場なんて、どこにもないですよ」
そこで目が覚めた。
まったく眠った気がしなかった。この隠れ家は、誰も、社長でさえも知らないはずだ。だが、油断は禁物だ。社長の人脈、情報網をもってすれば、長居は無用だった。Tは、念のため、オートマチック拳銃の弾倉を、もう一度チェックした。
遠くでサイレンの音がする。多分パトカーだろう。ここに向かっているのかも知れない。乗っているのは、本物の警官だろうか? 警官だとして、社長の息がかかっていない、
暗闇の中で、Tは、自分のキザな心の台詞に、声を出さずに笑った。
(了)