公募/コンテスト/コンペ情報なら「Koubo」

第39回「小説でもどうぞ」佳作 眠る 和久井義夫

タグ
小説・シナリオ
小説
小説でもどうぞ
第39回結果発表
課 題

眠り

※応募数355編
眠る 
和久井義夫

 志津子は付き添ってきてくれたデイサービスの女性と別れ、玄関を開けた。
「おかあさん。おかえりなさい」
 隣の家に住んでいる娘の真理が、志津子の家の玄関のカギを開けて待っていてくれた。志津子の夫、一郎が亡くなってから一年もたっていない。志津子は一郎がまだ生きていると思っている。
「今日はどうでした?」
「ああ、楽しかったよう。あそこはええよう。知った人ばっかりで、だれも嫌な人もおらんで」
「それはよかったね。今日は何をしたの? カラオケ?」
「何だったかなあ、忘れてまったわ」
 志津子は九十六歳。いつも同じことを聞かれているような気がする。忘れているのを確認されているようで嫌だが、まあ仕方ない。
「じゃあ、おかあさん、今日はデイサービスでお風呂に入っているから、濡れたタオルや下着、洗濯しておいてね」
「ああ、洗っとくわ」
 真理が自分の家に戻っていくと、志津子は脱衣所にある二層式洗濯機に水を入れる。蛇口から水が流れるのを見ているとトイレにいきたくなった。用を済ませて寝室にいき、ベッドに横になる。今日はずっと人と話していて疲れた。頭も少し痛いような気がする。そのまま眠ってしまった。
「おかあさん、洗濯機の水、出しっぱなしだったよ!」
 真理が寝室のドアを開けてわめいている。志津子は何のことかわからず、「ああ?」とベッドの横の手すりにつかまり、よっこらしょと起き上がった。
「洗濯なんかしとらんで」
「ほら、お風呂で使ったタオルやなんか、洗おうとしてたんじゃないの?」
「風呂なんか入っとらんよ」
 志津子は口をとがらせて言い返す。
「ほら、こっちきて見てごらん。水は止めたから」
 真理について脱衣所にいくと、洗濯槽の中に水が一杯に入っていた。ピンクのタオルと肌色の下着が浮いている。
「洗濯しとったか。忘れとるなあ。教えてくれてありがとなあ」
「おかあさん、しっかりしてね。洗濯できる?」
「できるさあ。忘れんようにいまからしとくわ」
 志津子は洗濯槽側のダイヤルを回して洗いはじめた。そのままじっと回る水を見ている。ここを離れるとまた忘れてしまって、真理がうるさく言うだろう。
「晩ごはん、テーブルに置いといたからあとで食べてね。じゃあまたくるね」
 そう言って真理は戻っていった。
 すすぎ終わった洗濯物を脱水槽に入れてダイヤルを回す。またトイレにいきたくなった。脱水していることを覚えておこう。トイレで用を済ませた。今日は何もしていないのに眠い。寝室に行き、ベッドに横になった。
「おかあさん、また洗濯やりっぱなし!」
「何言っとる。洗濯なんかしとらんよ」
 真理の声で目を覚ました志津子はむっとして言い返す。
「ほら起きて、こっちきて見てごらん」
 ベッドから起こされ、脱衣所まで連れていかれた。脱水槽に何か入っている。
「これ、あと干すだけでしょ。どうして忘れちゃうの?」
 真理があきれて詰め寄る。そんなこと言ったって知らんものは知らん。けど娘のいうことは聞いとかないかん。
「ああ、忘れとるかなあ、すまんこった。あとは干しとくで、もう行ってええよ」
 志津子がそういうと、真理は肩を怒らせたまま玄関を出ていった。こっちも言われっぱなしで腹は立つが、どうも干すのを忘れたのは自分らしい。なんで忘れちゃうかねえ、困ったねえ志津子さん、と節をつけて口ずさみながら縁側から物干しにタオルをかける。
 干し終わると寝室にいき、ベッドに入った。眠い。今日は何もしなかったはずなのに。
「おかあさん、おかあさん、まだごはん食べてないの? もう冷めちゃってるよ」
 真理がベッドで寝ている志津子に声をかける。
「ああ?」
 志津子を起き上がらせようと真理が腕を引っ張る。仕方ないので起き上がった。
「食べとらんかったかなあ」
 台所のテーブルにはラップされたごはんとみそ汁、野菜炒めが並んでいた。
「これ食べてええの」
「いいんだよ、おかあさんのだから」
「ありがとなあ、じゃあいただきますで」
 真理がレンジで温め直してくれて、志津子は食べ始めた。真理は自分の家に戻っていく。時計を見るともう九時だった。トイレにいきたくなって椅子から立ち上がる。用を済ませて寝室に入った。そのまま横になる。今日も疲れた。
「かあさん、寝とるかね」
 一郎の声がして目が覚めた。
「とうさん、どこ行っとったの。ずっと帰ってこんかったね」
「ああ、忙しかったでな。でももう終わったわ。これからはずっとここにおるでな」
「ほんとうかね。でも仕事はせないかんでしょ」
「もうええんじゃ。もうずっとかあさんと一緒じゃ」
「そうかね。一緒におれるかね。よかったわあ。真理に怒られてばっかりで嫌になっとった。とうさんがいてくれたら安心じゃ。ほら寒いで、布団はいりゃあ」
「ああ、一緒に寝るかねえ」
 一郎は志津子の横に入り込んだ。
「とうさん、冷たいのう。あっためたるでなあ」
 志津子は小さな身体を一郎に寄せた。そのまますっと眠ってしまった。
「おかあさん、ごはんまだ途中じゃないの。おかあさんってば」
 志津子の手を握った真理はその冷たさに思わず手を離した。
 志津子は息をしていなかった。誰かに寄り添うようにして、眠っているように見えた。皺だらけの顔は嬉しそうに笑っていた。
(了)