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第39回「小説でもどうぞ」佳作 眠りのお悩み解決します さとう美恭

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小説・シナリオ
小説
小説でもどうぞ
第39回結果発表
課 題

眠り

※応募数355編
眠りのお悩み解決します 
さとう美恭

「どうしようもなく眠り過ぎてしまうの……」
 そのお客さまはポツリと呟いた。ふんわりまとまった白髪のショートヘア。ベージュのカシミアニットにオフホワイトのショールを品よく合わせた裕福そうなご婦人だ。
 私は心の中でガッツポーズを決めた。平日の昼下がり、百貨店の寝具売場は閑散としている。たまにやってくる上客の香り漂う方はそのお財布……いえ、心をガッチリ掴んで離さないのが、私たち販売員の使命なのだ。
「眠れないというお悩みはよくいただくのですが……。どのような寝具をご利用でしょうか?」
「三年前にこちらで夫のために購入したベッドです」
 伏目がちに手元を見つめる目尻には印象的なほくろがあった。記憶が頭をかすめる。
「大変失礼いたしました。すぐにお客さまのデータを確認いたします」
 ご相談カウンターのパソコンでデータ検索をかける。榊原と名乗る夫人の名前は澄子さま。ご主人の名前は郁夫さま。私が担当し、F社のベッドと寝具一式をご購入いただいていた。使い心地も値段も最高級のものだ。メモ欄には「ご主人の自宅療養用。介護ベッドはお嫌とのこと。高さ調節ができるフレームをおすすめ」とある。カルテを読むうちに、当時の様子がありありと思い出された。
 ご主人の親しみやすいお話しぶりや、伴侶を支える意思をたたえた夫人の瞳の力強い輝き。お嬢さまとお孫さまもご一緒で、仲の良いご家族だった。
「お待たせいたしました。確かにF社のベッドと寝具一式を、私、櫻木がご用意させていただいておりました。その節はありがとうございました」
「あのベッドやお布団もね、夫は大変気に入っておりました。私も看病の間におしゃべりしながら、つい横で眠ったりして。夫は三ヶ月前に希望通り、自宅のベッドで息を引き取りました」
「……そうだったんですね。誠にご愁傷さまでございました。あのとき、ご主人様とは楽しくお話しさせていただいた覚えがございます。奥さまもお寂しいですね」
「ええ、何をする気にもなれなくて。あのベッドで寝ていると、夫が横にいてくれる気がして、沼の底に沈んでいるように一日中眠ってしまうの。でも娘から身体によくないって怒られましてね。あのベッドを処分して新しいものにした方がいいのかと……」
 ため息をつき、うつむく夫人の瞳は、今も沼の底をのぞき込んでいるようだ。以前の輝きは影を潜めている。
 夫人を、陽のあたる場所へすくい上げるのは新しいベッドではないだろう。一瞬、バックヤードに貼ってある「今月の売上目標」の個人成績が目の前をチラつくが、口は勝手に喋り出す。
「榊原さま。残念ながら当フロアには、そのお悩みを解決できる商品はございません」
「眠り過ぎないベッドなんて、できない相談よね。ごめんなさいね」
「いえ。ただ、ほかにぜひご紹介したいお品がございます。お連れいたしますのでこちらへどうぞ……」

「櫻木さん! 今月の目標、全然足りてないじゃない! どうすんの!」
 もう月末も近い。フロア長の売上チェックも厳しくなってきた。
「先週、来店されたお客さま。ほら白髪の品がいいご婦人。なんで他フロアに連れていったの!」
「お客様の眠りのお悩みを解決するためです」
「そういう寝言は、まず自分の売上目標を達成してから言いなさい! この新商品、ガッツリ売ってね」
 わかってますよー、と心の中で舌を出し、新しいベッドのディスプレイを手直ししていると、後ろから声をかけられた。
「櫻木さん!」
 振り返ると、そこにはたった今話題に出た当人がいる。
「榊原さま!」
「こんにちは。あのとき勧めてもらったお品物、買ってよかったわ。櫻木さんに言われた通り、娘や孫と一緒に作りましたよ」
 夫人はそっと手提げバッグから一冊のアルバムを取り出した。白地の表紙に箔押しのブルーの花模様が美しいそのアルバムは、台紙にメッセージカードや、綺麗なシール、マスキングテープをデコレーションできるようセットになっているもので、文具フロアのロングセラー商品だ。ウエディングや、出産はもちろん、大切な人やペットとのお別れの際に買っていく人も多いという。
「娘や孫がよろこんで主人へのメッセージを書いたり綺麗に飾り付けたりしてるのにのせられて、私も一緒にメッセージを書いたの」
 夫人が開いたページには、花模様のシールと一緒に「パパ大好き!」「じいじカッコいいよ」などのメッセージカードに囲まれ、ベッドでVサインを作るご主人の笑顔があった。その左下のカードには、美しい文字で「一緒にいてくれてありがとう」とある。
「それを作った翌日から、なぜかちゃんと朝起きられるようになったの。夫が生きていた頃のように、窓を開けて朝の光を部屋に入れてね。……ベッドにもぐり込んで一人で想う夫の顔は、いつも寂しそうだった。でも娘たちとおしゃべりしながらアルバムを作ってるときに目に浮かぶのは、お日さまみたいに温かい笑顔なの」
 微笑むとやわらかい弧を描く夫人の目は、力強い輝きを取り戻していた。
「それでね、今日は来年結婚する孫娘のお祝いに寝具一式をプレゼントしようと思って伺ったのよ。ぜひ櫻木さんにお任せしたいわ」
「ありがとうございます! お孫さまでしたら、ぜひこちらの最新ブランドがおすすめです!」
 私は胸の奥で再びガッツポーズを決めた。
(了)