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第39回「小説でもどうぞ」選外佳作 夢枕 ナラネコ

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小説・シナリオ
小説
小説でもどうぞ
第39回結果発表
課 題

眠り

※応募数355編
選外佳作 

夢枕 
ナラネコ

 日曜日の朝、町を歩いていると、新しい店ができていた。平屋建ての小ぢんまりとした建物で、入口のところに「夢枕」と書かれた木の看板がかかっている。
 ――どうぞお入りください。冷やかし大歓迎!
 どんな店か分からないが、入口の張り紙を見て扉を開け、中に入ってみた。店内は白い壁に沿って、四段ほどの背の高い木製の棚が置かれ、棚の上には様々な色、形の枕が置かれている。
「なんだ、枕を売る店か」
 ひとりごとを言うと、店の奥から男が一人出てきた。店主兼店員といったところか。年は三十代前半くらい。髪を七三にきれいに分け、卵型の顔に黒ぶちのメガネをかけている。笑顔を浮かべて俺の方に近寄ってきた。
「お客様、お気に召した枕はございますか?」
「夢枕という看板が出ていたんで、どんな店かと思ったんだが、普通の枕屋だね。別におしゃれな枕が欲しいわけでもないし、もういいよ」
 そう言って店を出ようとすると、店員が引き留めるように話しかけてきた。
「まあまあ、そうあわてずに。枕の前のカードをご覧になりましたか?」
 言われて見ると、一つ一つの枕の前に文字の書かれたカードが置かれている。
「このカードは?」
「枕の名前です。その枕で寝ると、カードに書かれた内容の夢を見ることができます」
「そうか。だから夢枕ってわけか。じゃあ、たとえば、この『想い人』っていう枕はどんな夢が見られるんだい?」
「自分の片想いの人と心ゆくまでデートを楽しめる夢です」
「『オオタニ』っていうのは?」
「プロ野球選手になって、メジャーリーグで大活躍する夢が見られます」
「なるほど。じゃあその横にある『ソウタ』っていうのは将棋の名人になる夢かい?」
「その通りです」
「『邯鄲かんたん』ってのは?」
「波乱万丈の人生を送った末、富貴を極めるという夢が見られる枕です」
 なるほど、これはおもしろそうだ。この店の枕さえあれば、自分が現実では体験できないような世界を、夢の中で味わえるというわけだ。
「いかがですか。お客様もどれか一つお試しに。開店セールでお安くしておきますよ」
 店員が声をかけてきたので、俺も一つ買って帰ろうかという気になった。棚の枕を端から端まで眺めていると、一つ気になる枕が目についた。
「なんだい。この『東大』という枕は?」
「これは、東京大学に入学して学生生活を送れるという夢です」
「よし。これを買って帰るよ」
「かしこまりました」
 俺がこの枕を買ったのには理由がある。俺は高校時代、ずっと東大合格を目指して受験勉強をしていた。だが努力不足か頭が足りなかったのか、東大には受からず私立大学に通うことになった。その私大から企業に就職して、そこそこの生活は送っているが、東大に合格していたら、全く別の人生が待ち受けていたかもしれないと今でも思う。この枕によって、夜の夢でもいいから憧れの東大生の生活ができたなら。
「お買い上げありがとうございます」
 店員は笑顔を見せ、棚から『東大』を出すと、きれいに包装し、大きな手提げ袋に入れてくれた。割引価格ということもあって、値段も安かった。
 一人暮らしのマンションに戻ると、夜が待ち遠しい。いつもはネットの動画などを見て、だらだらと深夜まで時間をつぶすのだが、早々とベッドに入った。「東大」はシックなモスグリーンのカバーに包まれた枕だ。頭を載せて目をつぶり、眠りが訪れるのを待った。

 その日から、朝起きてから寝るまではサラリーマン、夜は東大生という俺の生活が始まった。夢枕の効果は絶大だった。不思議なことに、現実に体験したことがないのにもかかわらず、東大生としての学生生活はリアルだった。駒場キャンパスの時計台に銀杏並木、本郷キャンパスの安田大講堂。受験生時代に憧れた環境の中で、著名な教授の講義を聴き、ゼミで熱く議論を闘わせる。テレビのクイズ番組に東大生チームとして出て優勝までした。変な言い方だが、受験生時代に夢見た生活を、夜ごとの夢で体験できるのだった。
 ひと月ほどの間、俺は毎晩、東大生としての生活を満喫していた。しかし、だんだんむなしい気分になってきた。いくらリアルであっても夢は夢なのだ。それを自覚するにつれて、現実との落差が身に染み、東大の夢を見るのが嫌になってきた、
 もうこの枕で寝るのはやめよう。まあ、ひと月ばかり楽しませてもらったのでいいか。
 俺はそう思って、次の日から元の枕で寝るようにした。ところがどうしたことか。枕を元に戻しても、毎日東大生になった夢を見続けてしまうのだ。どうやら、あの夢枕は、人間の睡眠を変えてしまう力を持っているようだ。そこで俺は、あの枕を買った店にまた足を運んだ。扉を開けると、あの店員がいる。
「いらっしゃいませ。ああ、お客様。『東大』の寝心地はいかがですか?」
「いかがですかじゃないよ。あの枕、いったいどうなってるんだ」
「と言いますと?」
「あの枕で寝るのをやめたのに、東大の夢ばかり見るんだ。ストレスがたまってしかたない。なんとかしてくれ」 
 店員は笑顔を浮かべて言った。
「そういうお客様もよくおられます。それでは、こちらの枕などいかがでしょうか」
 店員は、カードに「無夢」と書かれた枕を取り出した。
「この枕は、いったん眠りについたら一切夢を見ないという枕です。で、お値段は……」
 値段は目玉が飛び出るほど高かった。
(了)