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第39回「小説でもどうぞ」選外佳作 新記録 ゆうぞう

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小説・シナリオ
小説
小説でもどうぞ
第39回結果発表
課 題

眠り

※応募数355編
選外佳作 

新記録 
ゆうぞう

『二日目 眠い。まったく眠い』
『三日目 眠いのには慣れた』
『四日目 だるい。何もやる気が起きない』
『五日目 鏡で見ると目が血走っている』
『六日目 高揚感が半端ない。何でもできそうな気がする』
『七日目 今の俺なら大リーグに行けそうな気がする。あの大谷とも勝負してみたい』
『八日目 誰かが俺を監視している。誰だ?』
『九日目 何か盗られたようだが、それが何かわからない』
『十日目 どこに行っても、みんなが俺に注目する。ひとりになりたい』
 ついに世界記録の十一日目を迎えた。

 俺は散歩の途中で、突然倒れた。意識はあるが、起き上がれない。救急車で病院に運ばれた。
 山辺という五十代くらいの医者が担当だった。
「大腿骨骨折ですね。明日手術をしましょう」
「その後は?」
「まあ一ヶ月から一ヶ月半入院ですな。リハビリ次第ではもっと早く退院できますよ」
「前のように歩けるんですか?」
「それは分かりませんが、杖があれば歩行は大丈夫ですよ。」
 俺は四人部屋に入ることになった。
 ついにきたか。俺は八十。後期高齢者だ。杖をついて歩く生活を想像するだけで、未来は暗澹あんたんたるものになってしまった。
 翌日手術は無事成功した。しばらく静養かと思ったが、その翌日からリハビリが始まった。
 これが痛い。以前なら目をつぶっても歩けた数メートルの距離が、今の俺には途方もなく遠い。並行してならんでいる歩行用の手すりで体を支えて一歩ずつ歩く練習をするのだが、両腕に力を入れるので、左右の肩がパンパンになって疲労が半端ない。恥ずかしながら音を上げてしまった。若い理学療法士の前田が励ましてくれる。
「谷山さん。最初は本当に痛いですよね。でもこの段階を乗り切ると、後はずっと楽になりますから、がんばりましょうよ。」
 冗談じゃない。お前みたいに若くてピンピンしてる連中に俺の気持ちがわかってたまるか。お前たちにはふんだんに時間がある。未来がある。俺にはそんなものはない。それどころか、これからどんどん衰えていくんだ。リハビリなんかやってもどうせ大差ない。
 やっとリハビリが終わり、部屋に戻ると退院が相次いだようで、俺一人になってしまった。医師の山辺がやってきた。
「どうですか? リハビリは?」
「あんなもの効果あるのかね?」
「もちろんありますよ。何か心配事でも?」
 俺は声をひそめた。
「先生、俺は独身で、おまけに身寄りがいない。歳も八十だ。この先長生きしても何の希望もない。いっそのこと安楽死させてもらえませんか?」
 山辺医師は破顔一笑した。
「谷山さん、そんなことしたら、自殺幇助で私が刑務所行きですよ。冗談はやめてください」
 俺は照れ笑いでごまかした。
「まぁ、そうですね。じゃぁ、先生、ここだけの話ですが、他人に迷惑をかけない自殺の仕方ってあるんですかね? もちろん、あくまでも仮定の話ですからね。」
 山辺はしばらく俺の顔を凝視した後、声を小さくした。
「まあ、与太話として聞いてくださいね。人間は寝ないと死んでしまいます。知っていますよね?」
「えー、もちろん」
「これまで寝なかった最長記録は、十一日間だそうですよ。ということはそれ以上眠らない、つまり、断眠を続ければ、誰にも迷惑かけずに自殺できるということになりますね」
 山辺はそう言って、ニヤリと笑った。
「ただし」と山辺医師は続けた。
「体調が悪くなると、本人の意志とは無関係に人間は眠ってしまいます。そうならないためには、食事をしっかり取り、運動をしっかりやって、代謝を良くすることです。よろしいか?」
 俺はうなずいた。未来に一筋の光が射してきた。
 その日の夕食から食事は全部平らげた。そして夜中はテレビを見たり、ラジオで深夜放送を聞いたりして、眠らないようにした。昼間はベッドに横になっていると寝てしまうので、車椅子で病院中を散歩した。リハビリはもちろん人一倍注力した。担当の前田はそれを勘違いして喜んでくれた。
 そして日数を数えるために、手帳のメモ欄に簡単な日誌を書き始めたというわけだ。
 十一日目を迎えた。
 さぁ、夜のうちにお迎えが来るか、それとも朝方か。
 最後の瞬間を待ったが、朝になってしまった。
 午前中の検診に来た山辺の後をつけて、廊下の隅で立ち話をした。昨日から俺は杖を使っている。
「先生、もう十二日目に入ってしまった。新記録じゃないか。なのに、どうして俺は死なないんだ?」
「おかしいですね。じゃあこうしましょう。睡眠時ホルターをつけて調べてみましょう」
 俺は夜、睡眠時ホルターをつけて横になった。
 十三日目の朝が来た。まだ生きている。睡眠時ホルターを看護師に手渡した。
 午前中の診察に来た山辺に尋ねた。
「先生、結果はどうだった?」
「わかりましたよ、理由が。谷山さんは、夜中にマイクロスリープといったほんの短時間の睡眠を何度か取っているんです。もちろん、谷山さんが気づかない間に。それから、時々せん妄状態になることがありましたね?」
「あー確かに」
「あれも意識が極度に低い状態ですから、睡眠を取っているのと同じなのですよ」
 俺はあっけにとられた。
「それよりも大事なことがあります」
 俺は何のことかとうろたえた。
「谷山さん、リハビリをよくがんばりましたね。明日退院です。十五日間で退院というのはわが病院の新記録です。おめでとうございます」
(了)