第39回「小説でもどうぞ」選外佳作 目覚めよ、俺の 矢宮順晴
第39回結果発表
課 題
眠り
※応募数355編
選外佳作
目覚めよ、俺の 矢宮順晴
目覚めよ、俺の 矢宮順晴
いつまで眠っているつもりなのか。もう何年も、目覚めているところを見ていない。子供のころは、俺が黙っていても、ずっと起きていて、放っておいても、勝手に活動していたのに。
俺は毎日問いかけている。だけど、お前は返事もしない。死んでしまったのか。もう蘇らないのか。そう考えると、俺は恐怖のあまり我を忘れて、取り乱してしまう。
どうして俺が、こんな目に遭わないといけないのか。どうして俺が、選ばれたのか。不条理な現実から逃れようと、酒を飲んでも、一時は忘れられるが、朝になれば、頭痛と吐き気と共に、変わらない現実を突きつけられる。
「お酒は程々にしなさい。飲んだって、状況は変わらないわよ」
俺が洗面台でえずいていると、呆れ顔で妻はそう言う。元々美人だったが、年齢を重ねても、若々しさと美しさを保っている、自慢の妻だ。
「お前には、俺の気持ちなんてわからない」
まだ残っている酔いに任せて、俺は心にもないことを言ってしまう。妻は返事もせずに、俺の側から遠ざかる。このままでは、最愛の妻まで失ってしまう。自己嫌悪の連鎖は、歯止めがかからない。
「嘘だ。そんなこと思っていない。すまない」
背を向けている妻に対して、情けない声を出しながら、後ろから抱き締めた。
「わかっているわよ。朝ごはん、食べなさい」
妻はため息をついて、俺の両腕から逃げた。抱き締め返して欲しかった。昔のように、熱い抱擁をして欲しかった。
会社へと俺を運ぶ電車の中でも、現実から逃げるために、目を瞑る。死ぬまで俺は、こんな毎日を過ごさなければいけないのか。いや、もっと酷い状況になる可能性が高い。俺がこんな思いをしているのは、全てあいつが眠っているせいだ。だけど、あいつが目覚めてくれさえすれば、全ての問題は解決する。自己嫌悪の連鎖を、断ち切ることが出来る。妻にも優しくなれるし、そうすれば、妻も昔のように俺を愛してくれる。そんな夢物語を現実にする方法を、俺は知らない。誰か、教えてくれ。俺を助けてくれ。
会社に着き、自分のデスクに座る。しかし、やる気が湧かない。憂鬱な気持ちが、心だけでなく脳内も占拠して、霞がかかったみたいに、思考能力を鈍化させている。
「お前、また朝から暗い顔だな。悩みでもあるのか?」
同僚が俺の横に座って、真剣な眼差しを向けてきた。俺は限界だった。誰かに、話を聞いて欲しくて、助けて欲しくて堪らなかった。藁にもすがる思いで、同僚を化粧室に連れ込んで、悩みを打ち明けた。あいつが眠りから覚めないと。
「何かと思えば、そんなことか。死にそうな顔だったから、心配したのに損した」
「そんな言い方はないだろう。俺は真剣に悩んでいて、毎日、毎日酒を飲んで誤魔化さないと、気が狂いそうなのに」
「まあ、気持ちはわかるよ。俺もそうだったからな。でも、眠っているあいつを起こす方法はある。今日の夜、ちょっと時間くれよ。俺が解決法を教えてやる」
「本当か? お前もそうだったのか? そうは見えないけど」
「本当だよ。今、そう見えないことが、解決法があることの証明だ。夜、楽しみにしとけよ」
終業後、俺は得意顔の同僚に連れられて、駅前のテナントビルの四階にいた。
「これを毎日服用して下さい。多くの方が、半年ほどで改善していますので、それまで根気強く服用して下さい。先ほども説明しましたが、これは立派な病気です。今の技術では完治は出来ませんが、病気と戦うことは出来ます。一緒に頑張りましょう」
白衣を羽織った、男性の医師に説明されて、初めて知った。あいつが眠っているのは、病気だったと。神の気まぐれや、悪戯ではなくて、抗う術のある病気だった。
「拝見したところ、まだ死んではいませんから。必ず目覚めてくれますよ。とりあえず半年間分、お薬を処方しますから、毎日決まった時間に服用して下さい。あ、それとアルコールは控えて下さい。薬の効果が薄れる恐れがあるので」
半年間分の薬は、思った以上に安価で、本当にこれで治療が出来るのか、不安になった。
「安心しろよ。俺もここで治して貰ったから。毎日ちゃんと服用する。結果は半年後。この二つを忘れずに」
同僚は、俺の懸念をすぐさま消し去った。
「わかった。先生とお前を信じるよ。ありがとう」
次の日の朝から、俺は服用を開始した。妻には黙っていた。変わった自分、いや元に戻った自分に、驚いて欲しかったから。
毎朝、起きたら薬を飲む。その習慣が身についたのと、薬の効能を弱らせるかもしれないと、先生に注意されたから、自然と酒の量が減り、段々と飲まない日が増えて行った。
「あなた、最近顔色良いわね。毎朝、きちんと起きるし」
二ヶ月経ったころ、妻からそう言われて、さらにやる気が出た。肝心のあいつの変化は、まだ感じられない。だけど、妻の笑顔と会話が増えた。
「習慣が出来ると、生活のリズムが整うよな。俺もそうだった。効果が出たら、もっと嬉しいから、このまま継続しろよ」
同僚に念押しされるまでもなく、俺は服用を一日も怠らなかった。そして、ちょうど半年が経過したころだ。
「あなた、髪の毛増えた? うん、やっぱり増えたわよ。昔のあなたみたい」
俺の眠っていた毛根が目覚めた。
(了)