公募/コンテスト/コンペ情報なら「Koubo」

第39回「小説でもどうぞ」選外佳作 ウギヤーハ 沈弦斎

タグ
小説・シナリオ
小説
小説でもどうぞ
第39回結果発表
課 題

眠り

※応募数355編
選外佳作 

ウギヤーハ 
沈弦斎

 おれは、マグロになって海中を泳いでいる夢を見ていた。まるでガキが見るような夢じゃねえか、と夢の中でおもった。ちょいと腹びれを揺らすたびに身体が左右にぶれる。
 ひれを折りたたんで身体ごと尻尾をつよくふると、高速で水を切った。スピードは八十キロから九十キロは出ていただろう。ときどき海の上を飛んだ。
 つぎは平目になった。平目のおれは泳ぐのが苦手だから、背びれと腹びれをゆらめかせて、海の底の砂にもぐる。目だけだして、餌がくるまでじっと隠れている。水の中にいるのに、ちっとも苦しくない。そりゃそうだ、これは夢だからな。とおれはおもった。
 どこかで、トトントン、トトントン、と太鼓の音がしている。人の話し声もきこえてくる。どこかで祭りでもあるんだろう。
 どれくらい、平目になっていたものか。目をさましてみたら、どこかうす暗いところにいた。ふと、なにか大事なことをわすれているような気がしてきた。何かとても大事なことだということはおぼえているのに、どうしてもおもいだせなかった。記憶をたどっているうちに、少しずつおもいだしてきた。
 あれはどこだったのか。ネオンか何かのせいで、あたりがまぶしかったのだけは記憶にある。まあ、いうなら新宿一丁目のような盛り場だったんだろうが。
 どんないきさつがあったか忘れちまった。
 どこかのオッサンが小さなカップをおれにむかってつきだし、飲むようにせかしていた。
 猪口ちょこに半分ほどの透明な液体だ。カップをあごでしゃくりながら、オッサンよ。これァ、なんかヤバいもんじゃねえんだろうな。とにらみつけるおれに、ここでの全てを忘れるためです。などとぬかしやがった。
 まさか毒でもあるめえ。運がよけりゃ、借金まみれのクソおもしろくもねえ、この世とおさらばできるんだ。手間が省けてちょうどいいや。
 おれはやつの顔色を見定めてから、あおるようにグイッとひと息で飲んだ。ちょいと苦みがあって、おもわずぶるんと身震いした。
 さあ、いそいだ、いそいだ。むこうで首をながくして、まっているのですよ。その人と会ったら、さっき教えたように、合いことばをわすれないで下さい。
 合いことば? なんだ、そいつは。はやりのことばでいえば、キャッチワードです? そんなもの、ドわすれしちまったぜ。いや、まてよ。そうそう、たしか、《ウギヤーハ》とかなんとかいったな。けどよ、なんのおまじないなんだ。そのくらい教えてくれたっていいだろう。そういってやった。
 しかし、オッサンは相変わらず、にやついて、だんまりを決めこんでいた。
 そうだよ。おれは、そのオッサンに見送られて、ここにやってきたのだった。ここでなくちゃ、その人に会えないっていわれてよ。
 どうせ闇バイトの指示役かなんかだろうが。
 目をあけると、手のとどきそうなところに、暗い穴が見えた。おれは目をつむって頭を二三べんふった。それでも、目のまえのトンネルのようなものは消えるどころか、グルグルと渦を巻きはじめた。
 こいつはきっと、あのクスリのせいだろう。畜生め。オッサン、一服盛りやがったな。ちらりと後悔しながらも、おそるおそる、その穴にちかよってみる。そこには真の闇が口をあけていて、目を凝らすと、ずっと遠くに小さな光が見える。
 むこうで首を長くして待っているなんて、ぬかしやがったな。おい、ほんとにだれなんだよ。まさか女じゃあるめえな。ンなわけねえか? ふり返ると、もうオッサンは消えちまっていた。かなりヤバそうだが、こうなったら破れかぶれだ。もう飛びこんでみるしかねえか。その実、ちょっぴり恐ろしかった。
 なんたって、あっちがどんなところなのか、その人ってやつがだれなのか、ちっとも知らねえんだからな。
 蛾が光に誘われるように、おれはとうとうおもいきって闇の中に飛びこんだ。
 とたんに、光の中へ飛びだしていた。
 まぶしくて目もあけられやしねえ。息もできねえくらい苦しかったが、おれはとうとう来ちまったぜ。
「げんきな、女の子ですよ」
 だれかが、おれをかかえ上げた。
「やっと、会えたわね」
 やさしい声に、おれは抱き取られた。
 温かくて、やわらかな胸に抱かれたら、トトントン、トトントンと太鼓の音がしている。
「なんて、かわいいんでしょう」
 やさしい声が耳もとでいった。
 そうだ、おれは、この人に会いに来たんだ。
 合いことば、合いことば。
「ウギヤーハ(おかあさん)!」
(了)