あなたとよむ短歌 vol.59 テーマ詠「アニメ」結果発表 ~題詠は最初のイメージを捨てる~
テーマ詠で短歌を募集し、歌人・柴田葵さんと一緒に短歌をよむ(詠む・読む)連載。
(『母の愛、僕のラブ』より)
テーマ詠「アニメ」結果発表
~題詠は最初のイメージを捨てる~
短歌を読む・詠む連載、「あなたとよむ短歌」。今回はテーマ詠「アニメ」の結果発表です。
今や子どもから大人までアニメを楽しむのが当たり前の時代。テレビだけでなく、映画やオンライン配信も一般的になりました。漫画がアニメ化したり映画化したり、ドラマ化やゲーム化したり、反対にゲームがアニメになったり。メディアミックスもさかんです。
世代によってもアニメの認識は違うかもしれません。今回投稿された作品には、年代によるとらえかたの違いを感じるものが多くありました。それもまた個性だと思います。必ずしも今の感覚で詠む必要はありません。流行に乗らなくても、自分自身に流れる時代や手触りを大切にできたらいいですよね。
後半では投稿者の皆さんの質問に回答しています。作品と合わせて、ぜひ最後までお付きあいください。
それでは、最優秀賞の発表です!
さみしく聴こえた日は芋を煮る
アニメのエンディング曲に合わせて登場人物たちが踊るのは、定番の演出です。本編ではクールなキャラでもエンディングでは踊っちゃう、そのギャップもいいものです。
その「全力でキャラたちが踊るエンディング」がさみしく聴こえる日があるようです。心の拠り所になっているアニメが終わってしまい、来週まで見られないさみしさなのか。はたまた、キャラたちがみんなで踊る姿に妙に疎外感を覚えてしまうのか。実際、いくらそのアニメを愛していても、自分はその世界の住人にはなれません。
そんなときに「芋を煮る」という意外さが光る一首です。意外ではありますが、妙に納得できます。芋には現実の栄養があります。おなかにたまります。あたたかい芋煮を食べれば、空腹とともにさみしさも少し小さくなるでしょう。アニメとの大人らしい向き合い方を描いたユニークな短歌です。
続いて、優秀賞2首です。
ジェラートピケの膝撫でながら
「するだろう ぼくをすてたるものがたりマシュマロくちにほおばりながら(村木道彦)」を思い起こし、共鳴するような一首。本歌取り(既存の短歌をそれとわかるように取り入れる作歌技法。もちろん悪いことではなく、技法のひとつです)かもしれません。魅力的な一首だと思いました。
「僕の血だったアニメらを」の「だった」の部分(過去形)が気になります。今は「僕の血」ではないようです。そして今はジェラートピケの、おしゃれなふわふわルームウェアを着ている。この人はかつて戦うように、生き延びるためにアニメを見ていたのかもしれません。けれども、それは過去になり、ふわふわに身を包まれながら眺められる立場になっている。「どんな感情なのか」が描かれていない分、今が幸せなのか、それとも傷がうずくのか、読みがふくらみます。
カップに残る溶けかけの氷
「飲み干したカップに残る溶けかけの氷」がなぜか脳裏に焼きついたのでしょう。アニメならそのシーンは描かない「捨てカット」確定です。意味がないからです。ただ、私たちの人生は、意味があるか・効果があるかとは関係ない部分で動くことが多々あります。なぜそれを見たのかわからないけれど、見てしまう。そういうものの積み重ねで記憶がでていく気がします。
この一首は「溶けかけの氷」が字余りになっています。この字余りが、氷が小さく残っている感じ、そして脳裏にこびりついている感じをかもしだしています。