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第40回「小説でもどうぞ」最優秀賞 子どもという名俳優 瀬川ゆい

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小説・シナリオ
小説
小説でもどうぞ
第40回結果発表
課題

演技

※応募数317編
子どもという名俳優 
瀬川ゆい

 あたし、このいちごとミルクの三角チョコレートがいっぱい入ったお菓子が欲しいのですけれど、ママにねだったらお断りされてしまいました。まあ、分かっていたことではありました。だって、あたしはもうすでにカゴの中にグミを放り投げているんですもの。お菓子はひとつまで。これは散々言われてきたことですから。
 しかし、どうしても欲しいのです。グミも、チョコも、どっちも食べたい。どうにかして、お会計する前にママに許してもらわなくては。
 そこであたしは、この低い背を生かして、目いっぱい背伸びしてみせました。それでもママの方がずっと高い。ほら、おチビちゃんで可愛いでしょう。あたしは上目でママを見て、小首をちょこっと傾けました。
「おねがい」
「だめ」
 だめでした。
 あたしはほっぺたいっぱいに空気をいれて膨らませます。でも、ママはそんなあたしを置いてすたすた野菜売り場の方へ行ってしまいました。まってえ、なんて言いながら後を追いかけます。こうなったら、ぐずるしかありません。
「いやだあ、かって、かって」
 ママのそばで地団駄踏んでみせます。ほら、チョコレートひとつでこんなに機嫌を悪くしちゃった。ちょっとうざくて、可愛いでしょう。いい感じにぐすぐずしたあと、あたしはちらっとママを見ました。
「だめ」
 だめでした。
 こうなったら、最後の手段です。あたしはぷいとそっぽを向いて、お姉さんネコみたいに振る舞いました。気まぐれで、クールで、とても四歳になんか見えないでしょう。そうしてあたしは、大人びた口調ではっきりと、こう言ってやりました。
「じゃあもういいわよ」
 拗ねてみました。つん、とした態度。ほら、素直じゃなくて、可愛いでしょう。チョコレートのひとつやふたつ、買ってあげたくなるでしょう。
「はい、偉いわね。そのお菓子をもとの棚に戻してきなさい」
 そういうことじゃありません。
 三度もだめとなると、さすがのあたしもしょぼけてきちゃいました。今日のママはあんまり甘やかしてくれないみたい。仕方ない、チョコレートは諦めましょう。
 あたしはスーパーのつるつるした床をとぼとぼ歩いて、チョコレートをもとあった場所に戻しました。ばいばい、あたしのチョコレート……。
 さっきの場所に戻ってきた、はずでした。でも、ママがいません。よく見ると、トマトも、レタスもありません。おかしいな、さっきはあったはずなのに。今は、おさかなが並んでいます。
「ママ?」
 呼んでみました。けれども、返事がありません。ママ、一体どこ行っちゃったのでしょう。もしかして、あたしがどっか行っちゃったのでしょうか? あれあれ、あたしって、あたしって……。
「まいご?」
 そう実感した途端、さあっと、背中が冷たくなりました。たいへん、はぐれちゃった。
 あたしは右も左も分からないまま、むやみやたらに走りました。どうしよう。ママとこのまま会えなかったら、あたし、どうしよう。そう考えると、涙が流れてきました。いえ、これは決してわざとなんか、演技なんかじゃありません。不安でたまらなくて、勝手に涙が溢れてくるのです。あたしは大声でママを呼びました。ママ、ママ、どこ、どこ。
 足がもつれて、走る勢いのまま転びました。びた。手のひらとお腹と膝を打ちました。床の凍ったみたいな冷たさが、手のひらに伝わります。冷たい……痛い。あたしはゆっくりと体を起こしてルの字に座り込んで、今度はわんわん泣きじゃくりました。おうちに帰りたい。ママに会いたい。ねえ、あたしはそんなに悪いことをしましたか? ただ、あたしはチョコレートが食べたかっただけなのに……。
「こんなところにいた!」
 その時、背中の向こうで聞き慣れた声がしました。振り向くと──ママ!
 あたしはママのもとへ走って抱きつきました。そうして腕の中で泣きました。演技じゃありませんし、さっきの涙ともちょっと違います。安心して、良かったと思ったら涙が溢れてきたのです。ママはあたしを抱っこして、買い物の続きを始めました。
 カゴの中にお肉を入れて、卵を入れて、シチューのルウを入れて、オレンジジュ―スを入れて……。
 お菓子売り場の横を通りかかりました。ママに抱っこされながら、あたしはあの三角のいちごとミルクのチョコレートを見つけました。あたしは今、ひっくひっくとしゃっくりみたいな音をときどき出しているくらいに泣き止んだところでした。
 二三回、ママの肩を小鳥のさえずりみたいにつつきました。それから短い腕をうんと伸ばしてチョコレートを指さしました。ほら、ほんのり残る目元のしずくがいじらしくて、お茶目で、とっても可愛いでしょう。
「だめ」
 だめでした。
(了)