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第40回「小説でもどうぞ」選外佳作 エツコ ノノムラツトム

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小説・シナリオ
小説
小説でもどうぞ
第40回結果発表
課 題

演技

※応募数317編
選外佳作 

エツコ 
ノノムラツトム

 俺がイベのじいさんの担当になったのは、イベの担当が介護の現場から出所したからだ。
 イベは初対面の俺を見た途端、エツコか、と問いかけてきた。
 介護をしていると認知症のじいさんとよく出くわすわけで、俺もよく別の誰かとまちがえられたりもする。けれど女にまちがえられるのは初めてだった。おっさんの俺としてはかなり戸惑ったけど、とりあえずイベに合わせてエツコを演じた。俺がよくぼけじいさんを相手にするときのように。
「そうだよ、久しぶりだね」
 そう語りかけると、イベはよくわからない話を一方的に吐き出した。そうして話をするうち、どうやらエツコというのはイベの奥さんだとわかった。
 そういう勘違いをする時点でイベの症状はかなり重篤だった。実際イベはご飯を食べたことをよく忘れるし、自分の尿意もまともに気づかない。ただ妻が懐かしいのか、介護をしている俺に向かって何かと話しかけてきた。
 イベのエツコに対する態度は、親しみ、謝罪、恫喝、恐怖の四択だった。
 親しみは妻だから当然だが、それと同じくらいイベはエツコ演じる俺に向かって謝った。
「エツコ、すまなかった。俺はお前にずいぶんひどいことをした」
 イベはことあるごとに、妻を演じる俺に向かってそう言った。
 この建屋にいるぼけじいさんたち相手に、俺もよく別の誰かを演じたりする。ここのじいさんたちは基本的に屑ばかりなので、演じる俺に向かってじいさんたちが謝ることは多かった。
「いいんだよ、気にしてないよ」
 そういうとき、俺はじいさんたちによくそう言ってあげた。じいさんたちは全員最低野郎で謝るだけの理由があることを過去にしてきたのだとは思う。でも屑だろうがヘボだろうが、謝りたいと思うじいさんたちの心は真実で、下手なことは言いたくなかった。
 嘘は世界を明るく染める。俺はそんな強い信念を持っていた。ならば俺はじいさんたちのために嘘をついてあげたかった。
 だから俺はイベに向かっても同じ言葉を言った。だがイベのじいさんは俺の言葉を聞くと逆上した。
 嘘をつけ、と俺に向かって怒鳴ると、俺=エツコがひどい悪妻だったとまくしたて、エツコの浮気を疑い、自分が邪見にされていると思い込み、幾度も殴りかかろうとした。そういうときはさすがの俺も、やってらんねえ、と腹を立てた。
 かと思えば、イベはエツコに対して妙に怯えることもあった。
「エツコ、何でお前、ここにいるんだ」
 そう言ってイベは俺を見てぶるぶると震えた。なんで自分の妻なのにそんなに怖がるんだ? と逆上したときとの落差に疑問を抱くレベルだった。
 俺は同室担当のサカキに事情を知っていないか尋ねた。
「イベは盗みで何回も捕まっているよ、それに薬物もやっていたらしいぜ」
 サカキはそう言った。私語は禁じられているので、小声でさらに聞いたが、サカキもそれ以上は知らないようだった。ただイベは何かしらの後ろ暗い事情を抱えていることは推察できた。
 多分イベは普段からエツコに暴力をふるっていたのだろう。でもそれならばイベがエツコに怯える理由は何か?
「なんで私のことを怖がるんだい?」
 俺はエツコのふりをしてあるときイベに聞いた。そう問いかけられたイベは最初ぽかんとした表情を浮かべた。しかしみるみるうちに恐怖に顔を引きつらせた。
 だってお前……。そう言ってイベは口ごもった。俺がお前の首を絞めて……。イベはそれだけ言うとがちがちと歯を鳴らした。
 俺はイベの言っている意味が一瞬わからなかった。しかしイベの怯えている姿を見て全てを察した。
 俺はすぐにサカキへこの事態を報告した。イベが実は妻を殺していたかもしれない。
 けれどそんな重大な報告に対し、へえー、とサカキは返しただけだった。
「どうします? 上に言いますか?」と俺は聞いた。
「どうでもいいよ」そうサカキはにべもなく言った。
「でも人を殺しているかもしれないんですよ」
 俺の言葉にサカキは薄く笑った。
「あのじいさんは強盗と薬物をやらかした屑だろ。それに普段の態度も見ろよ。殺しをしててもふしぎはない。何よりあのボケっぷりじゃあ裁判はできないよ」
 俺はサカキの顔をじっと見つめた。その通りだった。俺はそれ以上他人には言わず口をつぐむことにした。
 だが俺はそれからもイベが恐怖に身を震わす場面に幾度も出くわした。このまま死ぬまでこいつは償いもできず、自分の罪に怯えて生きるのだろう。そう考えるとイベのことが哀れに見えた。
 だから俺はイベに穏やかな時間を与えてやろうと決めた。俺は変わらずエツコを演じて赦しをくれてやればいい。そうすればイベも少しは救われるかもしれない。そう思った。
 それは殺されたエツコからしたらふざけるなって話だろう。けれど俺も所詮は詐欺で捕まった屑なのだ。ここは刑務所で俺は刑務作業として介護を担っていた。イベもサカキも俺も全員犯罪者の屑だった。
 ならば屑が屑らしくふるまって何が悪いのだろう。俺は詐欺師らしく嘘をつき続ける方を選ぶ。嘘は世界を明るく染める。それが俺の強い信念だからだ。
(了)