第44回「小説でもどうぞ」最優秀賞 日本記録 大河かつみ


第44回結果発表
課題
習慣
※応募数384編

大河かつみ
今から約二十年前の話。私の家に野球のホームベースが届いた。草野球用のゴム製の薄いやつだ。何故? と思ったが、どうやら、酒に酔った状態でネットショッピングのサイトを開いたらしく、ポチッと買ってしまったらしかった。おそらくナイターをテレビ観戦した後だったのだと思う。
返品するのも面倒なので家の玄関のドアの前に置くことにした。そっと踏んでみると硬いゴムの感触がした。
これがホームベースの感触か……。感慨深いものがあった。
思えば、野球が好きなのに運動音痴な私は、子供のころから少年野球チームに入れてもらいながら、一度も試合でホームインした経験がない。補欠で試合に出る場面も少なく、お情けでバッターボックスに立たせてもらえても三振かキャッチャー・ゴロばかり。たまに四球で塁に出てもホームに帰ることはなかった。結局、上手くならぬまま辞めてしまった。そういえば体育の授業で行ったサッカーでもバスケットボールでも一度もゴールを決めたことがなかった。こういう人生を歩んでいる人って全国民の何割いるんだろう? 酒の勢いで買ってしまったのも、そのコンプレックスのせいだろうか。五十歳にもなって、何を今さらという話なのだが。
仕事から帰宅した際、ホームベースを踏んで家に入る。それが日課となった。
「これぞ、まさしく“ホームイン”だな」と悦に入ったが、女房と子どもの反応は薄かった。
その後も私以外、家族はホームを踏んだり踏まなかったりして家に入った。宅配業者も郵便屋さんも家庭訪問に来た息子の担任の先生もホームベースを避けて玄関に立っていた。誰も踏まないのだ。勝手に踏むと悪いと思ったのかもしれない。たまに猫の足跡がついていると嬉しかった。
そのうち、変な欲が出てゴムの薄い四角いベースも三枚買った。一塁、二塁、三塁である。当時、私はホームセンターで働いており、早速、事務所の自分のデスクの下に一塁ベースを敷き、商品倉庫の隅に二塁ベースを敷き、駐車場一角に三塁ベースを敷いた。何故、そのようなことをするのかというと、一塁から二塁、三塁と踏んで最後にホームベースを踏むと一得点となる。そう、私は普通に仕事をしながら、各ベースを踏んでホームインすれば毎日一得点ずつ加算されるのだ。私はそれを習慣にすることにした。
その後、仕事をして帰るたびに私は得点を重ねていった。誰にも言わない密かなお遊びである。ふと、日本人のプロ野球の歴代の最多得点が何点で誰なのか、知りたくなって調べた。あの世界のホームラン王・王貞治選手だった。1967得点。一年の出社日数を数え何年かかるか計算すると七年かかる。定年までこの仕事をやめなければ達成できる記録だと分かった。これが私の人生の目標となった。
会社にベースを敷いていたら何か言われるかと思ったが、案外誰も気づかない。野球場に四つあるからベースと分かるが一個一個、単体であるとそれがベースだとは思わないようだった。ただ、たまに踏んでいるところを同僚に見られたことがあり、それが気の合う友人だった場合は自分が今やっている習慣のことを話すと「アンタ、どうかしてる」と言って笑ってくれた。ウケたので嬉しかった。
一日、一日、地道に仕事をし続けた。メモ帳に得点を毎日加算して更新して記した。はじめのうちは楽しかったが、それも習慣になると淡々とした作業と化した。だがやめなかった。そして七年が経ち、ついにあの偉大なる王選手と同じ1967得点を達成した。これは私が地道に働いた記録でもある。その夜、いつもより高いビールを買ってきてひとり自宅で祝杯をあげた。家族にはケーキを買ってきたが、特に理由は言わなかった。ただ、前に話していた友人たちに記録達成のことを報告すると後日、居酒屋に誘ってくれて祝ってくれた。こういうバカバカしいことを一緒に喜んでくれる友人がいて良かったと思った。
因みに私は王選手と記録が並んだところで、その習慣を止めてしまった。憧れの王選手と並んだだけで満足だし、自分なんぞが、それを超える記録をつくるのは失礼な気がしたのだ。そしてしばらくして定年退職となり、ホームベースも各ベースも持って帰った。今は自宅倉庫に眠っている。
こうして私は日本人として王さんと共に最多得点記録保持者になり、この記録は生涯続くと思っていたのだが、その後、2015年にまさかの二位に転落してしまった。イチロー選手があっさりと抜いてしまったのである。
やはりあのまま定年まで続けていれば歴代一位だったろうにと思うと残念な気もしたのだが、自分の記録をイチロー選手に抜かれる際、(この何とも言えない感慨を今、自分は王さんと共有しているんだなぁ)と思うとやはり嬉しかった。そして「記録は破られるためにあります」と、インタビューを受けてコメントしている自分を想像して笑った。
(了)