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第44回「小説でもどうぞ」選外佳作 ひと皮むける 獏太郎

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小説・シナリオ
小説
小説でもどうぞ
第44回結果発表
課 題

習慣

※応募数384編
選外佳作 

ひと皮むける 
獏太郎

 男の一日は、一切の無駄なく、全てが習慣化されている。朝起きる時間も、モーニングを食べるカフェも、注文する珈琲の銘柄も、デスクの上の備品の位置も、全てが決まっている。
 一日を無駄なく過ごすことに、男は生きがいを感じている。そんな男は、管理職だ。派閥には絶対に属さず、持論を曲げない態度は、時に軋轢を生んできた。部下のミスは、厳しく注意する。笑うことなど全くない。ちなみに独身だ。
 五十五歳にして突然、僻地への異動を命じられた。行き先は、単線の電車が一日に数本しか走らない場所だ。事務所とは名ばかりの、社員もいない営業所の所長として着任した。
 勤務初日、いつもの時間に起床した。社宅は事務所の横に併設された平屋だ。
 ――ここにカフェはあるのか?
 いつもなら身支度を整えて、静かなカフェでモーニングだ。外に出て、たまたま通りかかった住人たちに声を掛けた。
「ここにカフェはあるか?」
「カフェー?」
「そうだ。私は、朝はモーニングを食べるのが習慣なんだ。どこにあるんだ!」
 首をかしげる住人たち。ひとりが「あっ!」と言い出した。
「モーニングなら、十時からだな~」
 遅い、遅すぎる。
「なんだと、ここはそんなに遅いのか!」
 別の住人が口を開いた。
「お前の言う〈モーニング〉はパチンコだろ」
「今は年金生活だからな~、行きたいな~」
 爆笑する住人たち。イライラしている男。
「私はっ、カフェに行きたいんだっ!」
「昔はー、こうだったけどな~」
 と言って、住人が指をはじき始めた。
「今は、これだからな~」
 別の住人が手で何かを掴むような形を作って、外側へ回した。
「だ・か・ら、私はっー」
 男の質問に、誰も答えなかった。その後もことごとく、男の習慣は崩されていった。仕事帰りに行くバーも、夜景を見ながら浴びるシャワーも、全てが崩れてゆく。デスクの上の備品の位置だけが、いつも通りだ。

 僻地での勤務は四年に及んだ。後任が決まったので本社に戻ったが、定年は目の前だ。
 男は四年ですっかり変わった。笑わない男が、困った場面で必ず笑うようになったのだ。部下たちは気持ち悪がるが、注意されることはなくなった。週末になると行う、新たな習慣も出来た。四年間赴任した地に、必ず行くようになったのだ。駅には、いつも住人が数名、迎えに来てくれる。
「ただいま~!」
「こっちだ~!」
 男は改札を出ると、軽トラの荷台に乗る。走りながら、季節の香りのする風を感じるのが、何よりも心地いい。住人たちの家に順番に泊まる生活を続けてきたが、定年後は移住することにした。今は新居となる家を修繕中だ。あと少しで完成する。

 男が赴任してすぐの頃だった。なぜ住人たちがそんなに笑顔で過ごせるのか、不思議で仕方がなかった。思い切って聞いてみた。
「ここから若いもんが、どんどん出て行く。年寄りばっかりだ。悲観しても現実は変わらない。なら、どうしようもない時は、笑ってやり過ごそうとみんなで話したんだ。ただ、それだけ」
 住人たちも、男のことを心配していた。
「あんた、何でもやることを決めてるんだったら、困った時は笑いとばすってのを、やってみたらどうだ?」
 考えても、みなかった。
「同じ生きるなら、笑ってる方がいいよ」
 人生の先輩の言葉は、男の心をゆっくりと、ほどいていった。

 最近、住人たちによく言われることがある。顔が変わった、というのだ。
「そんなに変わりましたか?」
「来てすぐの頃は、ロボットかって思ったよ。今は、ええ顔してる」
 男は足元に、脱皮した蛇の皮を見つけた。住人が思わず、小さな声で言った。
「あんたの皮か?」
 男は、思わず笑みを浮かべた。
「巳年ですが、脱皮はしませんよ」
 住人も、笑顔になった。
「だな。でも〈ひと一皮むけた〉よな」
(了)