第44回「小説でもどうぞ」選外佳作 繰り返し。それが習慣。 村木志乃介


第44回結果発表
課 題
習慣
※応募数384編
選外佳作
繰り返し。それが習慣。 村木志乃介
繰り返し。それが習慣。 村木志乃介
「朝は六時半に起きなさい」
「わかってるよ」
「起きたら顔を洗うの。すぐに目が覚めるから。いい? わかったわね」
「うるさいなあ。わかってるって」
お母さんの小言を、僕は朝ごはんを食べながら聞いている。毎朝の日課みたいに。
「ごはんはよく噛んで食べなさい。そういうことは習慣なの。きちんとやりなさい」
「ふぁい」
口いっぱいにごはんを詰め込み、僕は適当に返事する。返事をしないとお母さんの小言はずっと続く。僕にとっての習慣はだらだら過ごすこと。お母さんの小言はうるさい。
「あなたは遅刻の常習犯だから。ちゃんと朝は六時半に起きて、ごはんを食べて、歯を磨いて、服を着替えて、それから家を出る習慣を身につけなさい。宿題は? ちゃんとランドセルに入れてるの? 忘れたらまた先生に叱られるわよ」
食べ終わるまでお母さんの小言は続く。これも習慣だと思う。
「ほら早く。行ってらっしゃい」
強引に手を引っ張られ、玄関まで連れて行かれる。これを履けというように靴もきちんと揃えられている。
仕方ない。僕は靴を履くと、
「行ってきます」とお母さんを振り返る。
「行ってらっしゃい」お母さんは笑顔で僕を送り出す。
面倒くさいけど、こうしないとお母さんの小言は終わらない。
僕はお母さんの小言から逃げるように玄関を出る。そして、三分くらい玄関の前で待ってからこっそり部屋に戻る。
夜になるとお母さんが部屋まで来てごはんの支度ができたことを教えてくれる。朝と違ってちゃんと呼ばれたら食卓に座って一緒にごはんを食べる。
翌日も同じことの繰り返し。
その翌日も同じ。ずっとその繰り返し。
だけど、ある朝、お母さんが僕を起こしに来なかった。いつもだと台所のほうから僕を呼ぶ大きな声が聞こえてくるのに。その日はぜんぜん聞こえてこなかった。
おかしいな。
毎朝六時半に僕を起こしにくるのがお母さんの習慣になっていたはずなのに。
僕はもぞもぞと布団から出ると、台所まで歩いて行った。
あれ?
台所にお母さんはいない。いつもならコンロにかけた味噌汁の鍋が湯気を上げているはずなのに。
変だな。
僕はお母さんの部屋をそっと覗く。
お母さんは部屋にいた。布団で寝てる。なんだか珍しい。こんなこと、いままでなかった。
「お母さん。起きてよ。もうお昼だよ」
朝の六時半はとっくに過ぎている。時計の針は十二時になっている。僕は昼まで寝ていた。外が明るくなったから目が覚めたんだ。
「ねえ、お母さん、起きてよ。ごはんがまだだよ。ねえってばぁ。えっ?」
布団の中に手を入れてゆすったらお母さんはゴロンと転がった。体が硬くてミイラみたいにコチコチになっていた。
まさかと思ってお母さんの皺だらけの口元に顔を近づける。
息をしていない。
あ、ああ……。僕の口から言葉にならない声が漏れる。これでもうお母さんから学校に行けとか、うるさく言われなくて済む。
最近のお母さんはおかしかった。ずいぶん昔の話をして、僕のことを子ども扱いしていた。
これでやっと解放される。これからは自由だ。最初に僕が思ったことはそんなことだった。
あれ? でも、そうなると、僕のごはんはどうなる。食べることが僕の楽しみなのに。それにお金がないと生きていけない。現実に返って、ハッとする。
困った。困った。困った。お母さんがいないと僕は困る。どうすればいい。
僕は思い出す。お母さんと過ごしてきた日々を。お母さんがいつもどうしていたかを。たしかいつも――。
僕にお父さんはいない。ずいぶん前に死んじゃった。お母さんが言うには僕たちが食べていけるのはお父さんが死んでもらえる年金があるからなんだって。だからごはんを食べられるんだって。
僕はお母さんがいつもそうやっているようにタンスから通帳を取り出す。ペラペラとページをめくり、残高をたしかめる。
お母さんはいつも僕に「うちにお金はないの」なんて言ってたけど、どうなんだろう。
一、十、百、千……。
あ、ほんとになかった。でも偶数月に年金が入ってくる。それでなんとかなりそうだ。それはつまり年金がないと僕は生きていけないということ。そうなると導き出される答えはひとつしかなかった。
お母さんは死んでなんかない。ふつうに生きている。
近所の人たちにそう思わせないといけない。
そうだ。いいことを思いついた。僕とお母さんは体型が似ている。これからは僕がお母さんのふりをして生きていけばいいんだ。
夜になって僕はお母さんを庭に埋めた。
僕は働いていない。小学校の途中から学校に行かなくなって、そのまま大人になった。お母さんが作るごはんを食べ、身の回りの世話はぜんぶお母さんにしてもらい、なんにもしなくても生きてこれた。
これからは僕がお母さんとして生きる。でも、何年くらいそうしていられるだろう。
もうすぐ六十歳だ。お母さんと同じくらい生きるんだったら先は長い。それまでバレずにいられるかな。無理かも。かと言って、いまさら働く気はない。お腹が減ればデリバリーサービス、欲しいものがあればオンラインショップがある。それぐらいなら僕にだってできる。
僕はこれまでと同じようにだらだら生きることに決めた。だっていまさら習慣を変えることなんてできないもん。
(了)