第44回「小説でもどうぞ」選外佳作 悪しき習慣 齋藤倫也


第44回結果発表
課 題
習慣
※応募数384編
選外佳作
悪しき習慣 齋藤倫也
悪しき習慣 齋藤倫也
「週刊誌?」
思わず聞き返した彼に、医師は、うなずいて言った。
「そうです。あなたご自身のものを、思いつく限り、書いてください」
「毎週ですか?」
「え? 毎週とは?」
今度は、思わず聞き返したのは、医師のほうだった。
「だって、先生が、さっき週刊誌って」
「ああ、すみません。私の言葉が足らなかったようだ。ウィークリーではなく、ハビットやルーティンのほうです」
「なんだ。習慣か。」
「そうです。その習慣です。あなたが、習慣にしていること、習慣になっていることを、書き出してください。思いつく限り、たくさん」
「それで習慣紙ってわけですか。先生、うまいことおっしゃる。で、何に書けばいいんです? ノートか何かにですか?」
「何でも結構です。ノートでも、メモ帳でも、画用紙でも」
「どんなことを、書けばいいんです?」
医師は、笑って答えた。
「そんなに難しくお考えにならないで下さい。思いついたものでいいんです。肩の力をぬいて、自由な発想でね」
男は、少し黙ったと思うと、すぐに言った。
「なにも思いつきません」
「もう少し、お考えになってみては?」
「無駄ですよ」
「そうおっしゃらずに」
医師の声音に、若干苛立ちが混じってきた。
「無理無理。無理ですよ」
「そうだ。でしたら、癖ならどうです? なくて七癖って言うじゃありませんか」
男は、少し黙って考えているようだったが、医師の目には、考えるふりに映った。
「思いつきません。その七癖ってのがないみたいです、私には。女房にも、よく言われるんですよ。あんたには面白みがないって」
男は、そう言って笑ったが、面白みなど、医師にとっては、どうでも良かった。今は、癖、いや、習慣の話をしているのだ。
大体、この患者はなんだ。多忙な医師であるこの私が、こうして時間を割いて相手をしているというのに、へらへらと話をはぐらかす。
それでも辛抱強く、理性的たらんとする、医師の涙ぐましい努力を察したか、男のほうから。状況打破の手がかりを差し出してきた。
「いやあ、すみませんね。女房にもよく言われるんです。あんたは想像力に欠けるってね。そこでです、先生。どんなことを書けばいいか、具体的に例を挙げてくださいよ」
なんとか医学者の立場に踏みとどまった医師は、やっと治療のきっかけがつかめた。
「お酒は、呑まれますか?」
「いいえ。私、下戸なもんで」
「煙草は?」
「やめました。スッパリとね」
「そうですか。ほかにも、ご自身で、悪い習慣だと思えるものが、何かありますか?」
「だから、思い当たるものがないから、例を挙げてくれって言ってるんですよ」
「いや、失敬。ちょっと視点を変えてみましょう。ご自身の、良い習慣を挙げてみてください。なんでも結構です」
「思いつきません」
間髪入れずに、男は断言した。
医師は、また湧き上がる怒りを抑えねばならなかった。
「何を聞いても否定されては、いくら私でも、どうしようもありません。そもそも、あなたは、なぜ私のところに来られたんですか? 嫌がらせか何かですか?」
医師は、これも患者の心を開く荒療治だと、自分に言い聞かせ、相手の出方をうかがった。男は、冷静さを失っていないようだった。
「悪しき習慣を断ちたいだけですよ」
「ですが、あなたは、何も思い当たるフシなどないとおっしゃるばかりじゃあありませんか。さっきから、ずっと」
「ええ。私にはね」
「は?」
「私には、思い当たるフシなどありゃしません。私にはね」
男は、最後の一節を、いっそう声を低くして強調してみせた。
「どういう意味です?」
「文字通りの意味ですよ。私には、思いつく限り、自分を苦しめる悪しき習慣なんてありゃしない。きょう私が、ここに来たのは、先生の悪しき習慣を断つためです」
「……」
「もちろん、思い当たるフシは大ありですよね、先生」
医師は、何も言えなかった。医師の背筋に、冷たい汗が伝った。
「悪い習慣てのは、酒や煙草だけじゃない。女だって、りっぱな悪い習慣だ。あ、習慣て言うより癖か。女癖。おっと。今じゃ、これも性差別って言われちまうのかな」
男は、耳障りのする乾いた音で、笑ってみせた。
「看護婦、いや、看護師か。近頃は言い方にも気をつけないとな」
医師は、笑おうとしたが、引き攣った顔の筋肉が、それを許さなかった。
「先生は、運が悪かったんだよ。よりによって、あの女が、うちの幹部の娘だったなんてな」
男の手には、いつの間にか、鈍く黒く光る拳銃が握られていた。
「悪く思うな。俺も仕事なんでね。依頼主は、うちのボスだが、あんたの奥さんの意向も入ってる。そうそう。俺には悪しき習慣なんかないって言ったが、訂正するよ。なぜか、殺しは、いつも楽しんじまうんだ」
男は、引き金をひき、医師の悪しき習慣にケリをつけた。
(了)