第44回「小説でもどうぞ」選外佳作 長生きの秘訣 暮宮右京


第44回結果発表
課 題
習慣
※応募数384編
選外佳作
長生きの秘訣 暮宮右京
長生きの秘訣 暮宮右京
俺の日課は朝のラジオ体操。
場所は、集合住宅の前にある公園。住民と一緒にしっかりと体を動かす。毎朝、六時半前に集合。
ここに越してきてから一度も休んだことはない。
雨の日も、風の日も、参加者が一人だけだったとしても、きっちりと第二体操までやりきっている。
「佐々木さーん、明日の廃品回収よろしくねー!」
「男手が必要になるから、遅れないでよぉ!」
体操の帰り。近所の婆さんたちが、去り行く俺に向かって声をかけていく。
「おじさぁん、今日も間違ってたよ。何であそこで飛ぶの?」
「いい加減、ちゃんと覚えろよな」
鼻を垂らしたガキどもが、俺の体操が微妙に間違っていることを咎めていく。
俺はかつて、とある組織に身を置いていた暗殺者だ。今でこそ一般人に紛れて生活しているが、半年前までは血生臭い仕事を淡々とこなしていた。組織からは次の指令が来るまで、この土地で一般人らしく暮らせと言われている。しかし、体を鈍らせるわけにはいかない。日々のラジオ体操が俺の体を強くしてくれる。そのうち、この住宅街を舞台に激しい抗争が繰り広げられるのだろう。
ただ、客観的に見たら「寂しい中年男の一人暮らし」か。お節介な近所の婆さんたちが、事あるごとに町内会の行事に参加させようとしてきて鬱陶しい。
組織からは、積極的に住民の中に溶け込むよう言われているので、婆さんたちに逆らうことはできなかった。断って関係が悪化するのは避けなければ。
翌日。
廃品回収の資源を纏めている最中に、隣の部屋に住む婆さんから声をかけられた。
「ねぇ。あそこのおばあちゃん……鈴木さん。ちょっとアレが進んできてるみたいなのよ。何かあったらすぐ警察に連絡してね」
顔を上げると、ぼんやりと虚空に視線を漂わせている婆さんがいた。前々から見かける婆さんではあったが、周りと比べてさらに年老いている。
「えっと、その、認知症ですか?」
「そう。勝手に外に出て、夜中うろうろしてたり。先輩がああなってしまうと悲しくなるわね……」
認知症による徘徊。高齢者が多く集まる住宅地となると、そういった問題も少なくはないのだろう。仕方がない。住民の一人として気にかけておいてやるか。
そう思っていた矢先のこと、彼女が俺に声をかけてきた。
「あなた、体操の振り付け……それで合っているの?」
なんと近所の子どもたちに混じって、体操のダメ出しをしてきた。
「どうして斜め上に向かって跳ねるの」
「はは……く、癖で……」
他の高齢者たちは、「地域差じゃない?」「いいじゃないの、間違っていても」とやんわりフォローを入れていく。鈴木さんは怪訝そうにしていたが、しばらくして地域差ということで納得したらしい。
地域差なわけあるか。組織に所属している俺のオリジナルだ。なぜこの動きを繰り返し、毎日続けているのか。それは、いつかの未来に必ず起こる「抗争」で生き残った者にしか分からない。
「私もその振り付けでやりたいわ。明日、どんなふうに飛ぶのか教えなさい」
「はぁ、別に構いませんが……」
認知症が進んできた婆さんの言うことだ。どうせ次の日には忘れているだろうと、勝手に決めつけていたのだが。
毎朝のラジオ体操で、俺以外にも斜め上に飛ぶ人間が増えた。品の良さそうな服を着た婆さんが、俺と並んで軽やかにジャンプしている。ガキどもに「間違ってるってばー!」などとヤジを飛ばされながら。
雨の日も、雪の日も、俺たちは二人で斜め上に飛び上がる。
両手を上げて、軽く身を捩って。もちろん着地も美しく。
「鈴木さん、認知症の進み方がだいぶゆっくりになったんじゃない?」
「えー、そうかしら……私には、そうは見えないけど」
お節介な婆さんたちがそう話しているのを聞いて、少し嬉しくなった。このときの俺は、隣の部屋の婆さんだけが顔を曇らせていることを不思議に思わなかった。
そうだ。ラジオ体操は長生きの秘訣なんだ。
「し、死んでる……!」
「だっ、誰かぁ! 警察を呼んでー!」
平和だった集合住宅地に、血の雨が降り注ぐ。
住民の悲鳴と、それに紛れて行動する暗殺者たち。容赦なく撃ち込まれたライフルの弾が肌をかすめ、跳弾が牙を剥く。
今だ!
斜め上に飛び上がって、跳弾を避ける運動!
この動きをマスターしていた俺たちだけが、奇跡的に生き残った。
「まさか鈴木さんも、こっち側の人間だったとはな」
「私はもう、引退したつもりだったのよ。まぁ、生き残ったからには仕方がないね!」
組織の大先輩と肩を並べ、俺はラジオ体操の素晴らしさを噛み締める。と同時に、あることに気がついて背筋が冷えていった。
「そういや、私の正体に気づいていた奴が一人いたわね」
「まさか……!」
「そのまさかだよ」
目の前に立ち塞がったのは、拳銃を構えた隣の部屋の婆さん。
「あのままボケて病院送りになるのを待ってたのに、そこの坊やが余計なことをしてくれたからね」
カチリと安全装置が外れ、銃口がまっすぐに向けられる。だが、俺は何も怖くなかった。
俺たちは負けない。ラジオ体操を毎日してきた俺たちは、絶対に長生きできる。
(了)