【第6回】 ヤマモトショウ 創作はいつまで続くのか プロを目指した理由は「負けず嫌い」⁉


2015年の解散後はソングライターとしてでんぱ組.inc、私立恵比寿中学、ばってん少女隊、きゅるりんってしてみて ら多数のアーティストに詞や曲を提供している。
FRUITS ZIPPERに書き下ろした楽曲「わたしの一番かわいいところ」はTikTokで30億回再生を記録し、MUSIC AWARDS JAPANの最優秀アイドルカルチャー楽曲賞を受賞。
2024年2月にはミステリー小説『そしてレコードはまわる』、2025年8月にはエッセー集『歌う言葉 考える音 世界で一番かわいい哲学的音楽論』を上梓。
作詞作曲・編曲を担当したFRUITS ZIPPERの「わたしの一番かわいいところ」はオリコン 週間ストリーミングランキングで累計再生数2億回を突破。いま大注目のソングライター、ヤマモトショウさん。
キャリアのルーツを辿ると、プロを目指したバンド時代は今に大きくつながっているそう。一流作家が語る「プロ」とは何か。必見です。(編集部)
第6回 音楽でプロを目指す決意あたらめて「プロ」とは何か考える
最近、私がプロデュースする静岡のアイドルグループfishbowlに新メンバーが加入した。
一人は、研修生グループを経ての昇格で、もう一人はオーディションからのデビュー。
考えてみると、アイドルはオーディションなどに合格すると、次にステージに現れるときにはすでに「プロ」としての活動をスタートすることになる。
もちろん、オーディションに合格してから初ステージまで数ヶ月の準備期間はあるのだが、それでも大変なことには違いない。fishbowlはすでにデビューしているグループなので、持ち曲も30曲以上はあり、最初のライブに向けて厳選したとはいえ15曲は覚えなければいけない状況だった。
歌だけではなく、ダンス、フォーメーション、その他実は細かい曲と曲の間の動きの決まりごとなど単に15個新しいことを覚えればいいというわけではないのである。
チケットを買って見に来てくれる人がいる以上は、それに見合ったステージを提供する、というのがデビューの時点から当たり前に課されている。(ぜひその二人の姿はライブで見てみてほしい。デビュー直後の姿は今しかないので)今となっては当たり前に受け入れているが、自分にとってこれは当初自然なことではなかった。
今回からの何回かは、創作をする人にとっても一つ大きな問題である「プロ」とは何かということについて考えてみたい。
アイドルと違って、バンドであればどちらかというと、ライブハウスなどでアマチュアとしてキャリアを積み、少しずつ人気が出てメジャーデビュー、といった流れそのものを「プロになる」と考えるのが普通ではないだろうか。
そして今自分はおそらく「作詞作曲家」としてはプロと思われているのだろうが、そこでの「プロ」というのはバンドとしてのそれともまた少し違うものだ。
いずれにしても、何を持って「プロ」なのか、ということは中々難しい問題である。
「プロ」を目指した原体験
記憶を遡ってみると、大学3年生の頃、普通は就職活動を始めるであろうタイミングで、一度「プロを目指して音楽をやってみよう」と考えた。これは、当時もそうだが、今考えてもこのように一言で言うしかない単純な判断だった。そう思ったのも、強いて言うならば、自分のほんの少しの「負けず嫌い」が出ただけかもしれない。
その前にも下北沢で何度かブッキングライブに出演してみたことはあった。これは高校生の頃からの趣味の延長としてやっていたものだ。しかし、そこでライブハウスのスタッフから受ける言葉や、周りの人間からの反応はそれまでの「趣味としての音楽」に対するものではなかったように思う。
彼らが言うのは「プロになるためにはこういった部分が足りない」「売れているバンドと比較して、こうだ」といった類のことだったように思う。
前回も書いたように、ライブハウスというのはお金をとって音楽を提供している場なので、当然バンドに対してもプロフェッショナルとしてのクオリティを求めるものだから、この反応は当たり前ともいえる。しかし、趣味でやっているバンドにとっては「このままここで、このライブを続けていこう」という話にはならなかった。
しかし、私はやはり「トライしてみたい」という気持ちがあったのである。音楽はある意味で自分が日々やっていることの中で一番評価されていないものだったので、どこかしら悔しい気持ちもあったのかもしれない。
趣味の延長線上ではなく、ゼロから自分でメンバーも集めて音楽をやってみようと思ったのがこの時だったので、ちょうど20歳ごろが自分にとって「音楽でプロを目指し始めたとき」ということになる。そこで組んだのが、phenomenonという、のちに僕がデビューする「ふぇのたす」の前身バンドである。
今、実際周りを見渡してみるとこれは相当「遅い方」だということがわかる。
そもそも10代でデビューするような人も多い世界で、20歳になってやっとそんなことを考え始めたわけだから、当然マインドとしても、テクニックとしてもまったくその準備ができていなかった。
その時の自分は、「おそらく時間的にはラストチャンスだから、一回プロになれるのかどうか試してみたい」というような気持ちしかなかったように思う。
第五回までの連載でもそれとなく見えていたと思うが、本当にそれまで音楽でプロになるなどということを考えたことがなかったのだ。
この時にしても、現在から遡って考えれば「プロになること」を目指していたことになるのだろうが、実際に当時考えていたこととしては「どのくらい通用するのか」といった漠然とした気持ちでしかなかったように思う。それは当時自分が「作詞家」「作曲家」「編曲家」といったいままさに自分がやっている仕事を正確に認識していなかったこともそうだ。
自分自身は単にバンドでどこまでいけるか、試してみたかっただけなので、まずは知り合いを通してバンドを組み、その中で自分が歌詞や曲をつくるのが一番可能性がありそうだ、ということでつくっていただけなのである。
作詞作曲に関しては、これまでの趣味の活動の中で少しだけトライしてみたことがあったが、この時の判断は良く考えてみれば大胆だったといえる。今これが生業となっているわけだが、当然当時何か根拠があったわけではない。ある意味では、そのようなざっくりとした態度が大事なのかもしれないともいえる。
このように、「プロ」というものの解像度がそれほど高かったわけではないにしても、趣味の延長でやっていたときとは、やはりいくつのか点で違いも出てきていた。