音楽批評の再定義へ。ジャーナリスト・みのが問う現代の言論課題


音楽ジャーナリズムの危機と個人発信の可能性
UUUM株式会社の専属クリエイターである音楽ジャーナリスト・みのが公開した楽曲批評動画が大きな注目を集めている。2月26日時点で関連する3本の動画の総再生回数が80万回、高評価が2万件を超えたことが報告された。この現象は音楽ファンだけにとどまらず、言論界や文芸界をも巻き込む話題性へと発展。もはや単なる「動画のバズ」を超えた文化現象へと進化している。
ストリーミング時代において、音楽は瞬時に消費される傾向にある。そうした中で、あえて立ち止まり歴史や構造から音楽を読み解く「批評」の価値が改めて問われている。かつて音楽雑誌が担っていた「言論の場」が、みのという個人の発信を軸として再定義されようとしているのだ。
構造的な課題:忖度が生まれる仕組み
きっかけとなったのは、サカナクション・山口一郎氏が自身の配信を通じて投げかけた「現代の音楽シーンにおける批評とジャーナリズムの不在」という問題提起である。みのはこれを受けて、音楽業界が抱える複数の「構造的な不都合」に切り込んでいる。
第一に、「アンチ」と「批評」の混同が挙げられる。音楽のクオリティを論じているはずが、人格攻撃やアンチ活動と勘違いされてしまい、健全な批判が届きにくい現状がある。第二に、音楽ライターが直面する経済的制約である。数千円からの厳しい原稿単価やプロモーション主体の仕事の中で、忖度なしの厳しい意見が書きにくいという構造的な問題が存在する。第三に、みの自身も「優しい批評」への加担を自省している。自由な場にいながら、信頼獲得のためにネガティブな発信を控えてきたことで、結果的に「優しい批評」の流通に加担していたのではないかという切実な疑問を呈している。
批評の現場:Mrs. GREEN APPLEとサカナクション
みのが提示した特定のアーティストおよび楽曲に対する批評は、公開直後からSNS上で大きな反響を呼んでいる。単なる感想に留まらず、音楽的な構造から「時代性」を読み解くアプローチが、世代を超えた議論を生み出しているのだ。
Mrs. GREEN APPLE「ライラック」の批評では、「ドーパミン中毒」とも称される過剰な情報量を、SNS時代の短い集中力に適合させた「極めて合理的な設計」と分析。5分弱の尺にプログレ級の展開を詰め込んだ構成を「令和の覇者」と呼び、その正体に迫る。一方、サカナクション「怪獣」の批評では、知性派のイメージがある同バンドに対し、あえて「保守的なリズム」や「マンネリズム」の側面を指摘。山口氏の提言を汲み取りつつ、リスクを取らない現状に一石を投じる内容となっている。
なぜ今「批評」が求められるのか
みのは、自身の活動を「完成された評価の押し付け」ではなく、あくまで「視聴者との思考のプロセス共有」と定義している。本人は「音楽業界では、プロモーションと批評が同じ経済圏に乗っている以上、ライターや批評家が忖度なしの意見を出しにくくなるのは構造的に必然。SNS上の誹謗中傷が問題視される時代と真逆に聞こえるかもしれませんが、クリエイティブを語る場ほど『優しい言葉』が流通しやすい現実がある」とコメントしている。
AIのリコメンドが当たり前になった今だからこそ、私たちは数値化できない誰かの「主観的な熱量」を求めているのかもしれない。専門的な知見や、そこから生まれる生身の言葉が、単なるエンターテインメントの枠を超えて音楽文化を豊かにしていく可能性があり、そうした点が改めて問われているのである。
出典: https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000842.000008567.html