第54回「小説でもどうぞ」佳作 文才 ナラネコ


第54回結果発表
課 題
才能
※応募数358編
ナラネコ
「あの、先生に折り入ってお話ししたいことがあるのですが……」
町村圭太郎は、新刊本のサイン会で初老の女性から話しかけられた。サイン会に来るのは、大半が彼のファンなので、自分の番が来た時に一言二言話を交わすだけで物足りず、長話をしようとする者もいる。たいていは適当なところで切り上げるのだが、その女性の声には、切実な響きがあった。
「お待ちの方がおられるので、みなさんが終わられてから」
そう言うと、女性は列から離れて思い詰めたような表情で待っている。町村はサインをしながら、その女性の顔をうかがったが、見覚えがない。
「お待たせしました」
町村は、待機場所となっていた応接室に女性を招いた。
「お話とは?」
「私の息子は、四十歳になってもずっと引きこもって小説ばかり書いて、親のすねをかじっているのです」
よくある話だ。町村は心の中でため息をつき、しばらく愚痴に付き合ってやるかと思っていた。ところが、女性の次の一言から風向きが変わってきた。
「今から十五年ほど前、先生が審査員をなさっていた公募の短編小説のコンテストがございましたね」
「そう、ちょうど私も小説が売れ出した頃で、覚えています。十年ほど続きましたかね。最優秀賞の受賞者の中には、プロ作家になった方も一人いますよ」
「それでは、鈴木悠一という名前にご記憶はありませんか? 私の息子なのですが」
「……」
「第三回のときに佳作をいただきました。『淡い夢の彼方に』という作品で」
そのコンテストでは、毎回最優秀賞が一名、佳作が五名選ばれた。さすがに最優秀賞をとった作品には卓越した才能を感じさせるものが多かったが、単発でそれくらいの作品を書けても、プロ作家として独り立ちできるのはほんの一握りという世界なのだ。町村は女性を傷つけないように言葉をオブラートに包みながらそのことを伝えた。すると女性は、涙ぐみながら訴えた。
「先生はそのときの選評で、この作者は文才があると、お褒めの言葉をくださいました。悠一はそれで有頂天になって、会社を辞めてしまったのです。それ以来、先生の言葉を心の支えに、ずっとプロ作家を目指して小説を書いては投稿を重ねていますが、入選すらしたことがありません」
町村は言葉を失った。選評で「文才がある」という言葉を使うことは確かにある。だが、それはプロ作家として自立できるレベルとは天と地ほどの差がある。たとえば草野球の大会にプロ野球選手がゲストで呼ばれて「いい球投げるね」と言って褒めてもプロにはほど遠いのと同じだ。「文才がある」だけなら、掃いて捨てるほどいるのだ。
「このままでは親の私たちが死んだら、この子は路頭に迷ってしまいます。なんとか作家になるという夢を諦めさせてくださいませんか。それができるのは先生だけです」
町村は、自分のひと言が一人の若者の運命を変えていたことを痛感した。
「息子さんの件、なんとか私にできることがないか、考えてみましょう」
「お願いします」
女性は深々と頭を下げた。
数日後、町村は鈴木家を訪ねた。家族が細々と暮らすアパートの一室、書き損じの原稿用紙が散乱する中に埋もれるようにして、悠一と思われる男が座り、一心不乱にペンを走らせている。どうやらどこかで見た無頼派作家のスタイルを真似ているようだ。
町村は声をかけた。
「鈴木さん、あなたのことはお母さんから伺いました。今、どんなものを書いているのかな?」
悠一は、原稿用紙の束を差し出した。
「先生に褒めていただいた『淡い夢の彼方に』を深化させた長編を書いています。 人生の悲哀とそれでも捨て切れない希望を描いた純文学の大作となるはずです」
町村はその原稿を読んで愕然とした。
これは……ひどい。
過去の短編には、まだみずみずしい才能の片鱗がのぞいていたはずだが、この十五年の間に、それは錆びつき、劣化していた。文学を気どっただけの冗漫な表現、独善的な人生哲学、奇をてらって破綻したプロット。雌伏の歳月は、わずかに残っていた才能を枯渇させ、彼を袋小路に陥らせてしまったのだ。
町村は覚悟を決めた。こうなったら、もうはっきり言ってやるしかない。
「鈴木さん、今から大事なことを話す。どうかしっかり受け止めてください」
彼の顔に緊張が走るのが分かった。
「今のあなたの作品は、独りよがりの、誰にも通じない言葉の羅列にすぎない。あなたは作家になりたいかもしれないが、この小説を活字にしようという出版社はないし、たとえ世に出ても、誰一人買って読もうとしないだろう」
「すると、僕の小説は商品にならないと……」
「その通りだ」
彼は町村の顔を見つめた。だが、その目には異様な輝きがあった。
「先生、ありがとうございます。僕は書いていく自信がつきました」
「えっ?」
「この十五年、僕の投稿した小説はすべて葬り去られてきました。でも、僕にはこれこそが本当の純文学だという自負があったのです。僕の小説が商品にならない。それはすなわち世俗におもねらない真の芸術であることを意味します。僕は社会生活を送って俗世間に染まるべきではない。なぜなら、僕の才能は、売れる小説を書くためにあるのではなく、純粋な芸術を生み出すためにあるからです。先生は、僕の進むべき道を示唆してくださいました。ありがとうございます」
彼はそう言うと、呆然と眺める町村の前で、再び原稿用紙に向かい、ペンを走らせ始めた。
(了)