第54回「小説でもどうぞ」選外佳作 田辺の素振りの周辺 再生補修


第54回結果発表
課 題
才能
※応募数358編
選外佳作
田辺の素振りの周辺 再生補修
田辺の素振りの周辺 再生補修
中学のとき、一本だけホームランを打ったことがある。
手応えはなくて、ボールが勝手に飛んで行った感じだった。相手は市内でも有名なピッチャーだった。打ったのはフォークボールだったらしい。俺はスイングスピードが遅いからストレートのタイミングで待ってたし、そんな速い直球のなんて知らないから、いつもの山なりピッチャーのイメージで振っただけだ。
その試合は俺のホームランが決勝点になって、勝った。そして次の試合も代打で出してもらえたんだけど、もちろん空振り三振だった。
結局、俺の中学通算打率は三割三分三厘だった。三打数一安打だ。
高校も野球部に入ったんだけど、結局またレギュラーにはなれなくて、二打数ゼロ安打で終了した。
高校三年の十月末頃に、俺にホームランを打たれたピッチャーが、ドラフト一位でソフトバンクに入った。何でも急速は最速一五五キロで変化球の精度も良いらしく、一年目から活躍の可能性があるとの事だった。それを引退した俺たちは下級生たちと一緒に観ていたんだけど、毎回彼の話になると俺のホームランの話になるからいやだった。その話を下級生たちは何回も聞かされていたから苦笑いしている。
二年の菅原が、「田辺さん。大学でも野球続けるんですか?」と訊いてきた。
俺は、「さすがにもうやらないよ」と応えた。
すると菅原は「田辺さんは、絶対に続けた方が良いと思います。才能あると思います」とニヤけた感じで言った。
俺は下級生にずっとうっすら見下されていて、いつも黙っていた。でももう会うのも最後だし、ということで「オメーふざけんなよ」と言ってみた。
部室は一瞬、しーん、となって、俺がその空気を回収しないといけない流れになってるんだけど、俺はあえて何も言わずに、その空気をできるだけ引き延ばしてみた。
結局、誰も回収してくれなかった。
何の因果か、大学の野球部にも誘われて、半ば無理矢理野球を続けることになった。サークルでやる野球は楽しかった。実力はバラバラだったけど、菅原みたいにマウントを取る奴はいなかった。
二年のときに、その菅原が野球部に入ってきた。それからまた、野球がつまらなくなった。菅原の活躍もあって、まともな試合ができるようになると、みんな高校生のときの血が蘇ってしまった。
「田辺さん。田辺さんがホームラン打った鷹野、初勝利ですね」と菅原が言ってきた。鷹野、と言うのは例のソフトバンクのピッチャーのことだ。
「なんだよお前まだそんなこと言ってるのかよしつこいんだよお前は」と俺は言った。
俺はそういうことを言うキャラじゃないけど、菅原にだけはあれ以来、思いっ切り言うようにしている。それくらい言った方が菅原とはつり合うのかな、と思うようになったのだ。
「今の田辺さんなら、もう一発打てるかもしれないですね」
「うるせーお前ほんとに」
俺は野球が好きだ。
毎日毎日バカみたいに素振りしている。
それでも他の奴らの方がどんどん上手くなって行って、いつまで経っても追いつけない。特に菅原なんて、どう見てもほとんど練習なんてしていないのに、なんでも最初からできる。
そう思っていたが、菅原は野球を辞めた。
彼が辞めてから、野球部の活気はなくなり、人数が足りなくなった。
残ったメンバーでは試合ができなくて、キャッチボールするだけになった。一年のときと同じ雰囲気に戻ったのに、もう楽しくなかった。俺はやっぱり、楽しいより上手くなりたかったことがよくわかった。
ひたすらバットを振った。鷹野のフォークボールをまた打ってやると密かに誓って練習した。血豆が潰れて掌が血でぬるぬるしても素振りをした。あの感覚は案外気持ちが良い。
そのまま特に何もなく、大学の四年間は終わり、その間、鷹野は十勝を挙げた。
俺は、親戚のツテで紳士服チェーン店に就職した。
最近のスーツは伸縮性に富んでいて、素振りをしてもシワにならない程だ。
この前、菅原が店にきた。広告代理店に就職するらしい。こんなチェーン店のスーツを買わなくても良いのにわざわざ買って行った。野球を辞めた後、彼は勉強に打ち込んだらしく、成績も優秀だったらしい。そんな自慢話みたいなことを散々言われた挙句、飲みに誘われた。
「俺は野球の才能がなかったです」とその夜菅原は言った。
コイツは本当に腹の立つ奴だな、と思ったが、本人は真面目な顔をしていた。
中学のとき、「俺の手のひらの皮が剥けて血だらけになりながら素振りをしているのを見て、この人には敵わないな、と思った」とか、「そしたら鷹野からホームランを打った」とか、「あー。そういうことなんだ」と思った、などと言うのだ。
「鷹野を田辺さんの店のイメージキャラクターにして、店内にたくさんぶら下げてあげますよ」と言っている。
「俺は別にそんなことされても。何にも嬉しくないし」と応えた。
「あのフォークをホームランにしたのって、いまだに田辺さんだけらしいですよ」などと言ってばかりで、菅原はほとんど話を聞いていなかった。
その日は〇時くらいまで飲んで、その後素振りをして寝た。
俺は今でも、あの感触のないホームランの感触がほしくて、素振りを続けている。
別にもう、野球じゃなくても良いんだけど。
(了)