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第54回「小説でもどうぞ」選外佳作 韋駄天泥棒 藤白ゆき

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小説
小説でもどうぞ
第54回結果発表
課 題

才能

※応募数358編
選外佳作 

韋駄天泥棒 
藤白ゆき

「ん?」
 赤井富士雄は自宅の居間でピクッと片頬を引きつらせ、耳を澄ませた。
 外飼いしている愛犬……という程愛してはいないが、一応飼い主としての情はある、飼い犬のバンタがけたたましく吠え始めたからだ。
「さてはリンゴ泥棒か!」
 富士雄は急いで玄関に向かった。
 素早く靴を履くと、瞬時に玄関の引き戸を開けて、勢いよく外に飛び出す。
 前方のリンゴ畑を見ると、リュックを背負った男が、富士雄に気付いたのか、いきなり駆け出した。
 暗闇の中、星明りに目をこらすと、数本のリンゴの木が無残にも丸裸になっていた。
 富士雄の頬が怒りでカッと朱色に染まる。
 丹精込めて育てて収穫直前だったリンゴを、図々しい泥棒が横合いから掠め取っていったのだ。
「待てー!」
 富士雄は叫びながら追いかけていく。
 富士雄が叫んだ瞬間、泥棒の背中が一瞬ビクッと揺れる。
 しかし、待てと言われて素直に待つバカはいない。
 そのまま追いかける途中、しまった、バンタを連れてきて解き放ち、泥棒を追わせればよかったかと気付いたが、今さら引き返せない。
 その間に泥棒に逃げられてしまう。
 そう考えて諦めた。
 それに、リンゴが入った重いリュックを背負いながら逃げきれるはずがない。
 そもそも富士雄は若い頃、学生時代に陸上部で活躍し、国体に出たこともある。
 その腕ならぬ足を買われて、現在は家の近くの高校の陸上部の顧問をしている。
 今は中年だが、年は取っても昔取った杵柄で、泥棒ごときに遅れを取るものではないという自負もある。
 なーに、奴もそのうちバテるさ。
 そう高を括っていたが、自分の方がだんだん息が切れてきた。
 泥棒との差はなかなか縮まらない。
「おかしい、こんなはずでは……」
 額からは玉の汗が噴き出し、心臓が早鐘のように脈打つ。
 喉の奥が焼けるように熱く痛く、酸素を求めてゼイゼイと激しく喘ぐ。
 気管支と肺と心臓が今にも爆発しそうで、悲痛な悲鳴を挙げている。
 それでもおめおめと泥棒を逃がすわけにはいかない。
 もはやプライドと意地と執念だけで必死に追跡を続ける。
 
 やがて、距離が徐々に詰まってきた。
 泥棒も人間、さすがに息とスタミナが切れてきたのだろう。
 気が付くと、すぐ目の前に泥棒の背中があった。
「うおりゃー!」
 富士雄は掛け声を出すと、背後から泥棒に躍りかかった。
「うわっ!」
 後ろから飛びつかれて、泥棒は前のめりに倒れ込む。
「もう逃げられないぞ!」
 ゼイゼイ息を切らしながらそう言うと馬乗りになり、泥棒の顎を掴んで強引に上向かせる。
 しかし、その顔を見て、富士雄は思わず絶句する。
 泥棒はまだ幼さの残る十四、五の少年だったからだ。
 少年はやけっぱちになって言った。
「警察呼ぶんだろう。早く呼べよ!」
 そう叫んで捨鉢な目で富士雄を見る。
 富士雄はしばらく黙って考え込む。
 そして口を開いた。
「いや、警察は呼ばない」
 少年は目を丸くする。
「どうして……」
 びっくりして、それ以上言葉が出てこない。
 富士雄はおもむろに言った。
「君はリンゴの収穫を手伝ってくれただけだ。少々荒っぽいやり方だったがね」
 そう言って富士雄は笑う。
 少年は今度こそ言葉が出てこなかった。
 すると、富士雄は言った。
「見逃す代わりに君にはやってもらいたいことがある」
「やってもらいたいこと?」
 少年が首を傾げて問う。
「うん。君なら出来ると思う」

「よーし、もう一度!」
 陸上のトラックで富士雄は激指示を飛ばす。
 それに対して、ランニングウェアとシューズに身を固めた少年、走水陸が、はいっ!と元気よく答える。
 あれから半年後、あの時の少年、走水陸は富士雄が顧問をしている高校の陸上部に入部していた。
 聞いたところによると、盗みを働いたのはあれが初めてで、盗むのは何でもよかったとのこと。両親のひどい不和で家に居場所がなく、イライラしながらあてもなく、ただ外をぶらついていた。それでその時たまたま富士雄のリンゴ園が目についたとのことだった。
 富士雄が顧問をしている高校の陸上部は万年部員不足で、活きのいい新入部員を求めていたのだ。
 重いリンゴを背負いながらのあの韋駄天のごとき走りっぷりを見て、これは稀に見る逸材だと富士夫は確信した。
 富士雄にスカウトされた陸は、新たな目標が出来たのと、見逃してもらった恩義もあって、一生懸命受験勉強に励んだ。
 勉強に一意専心すると、もはや両親の不仲も気にならなくなった。
 その後、富士雄の高校に無事合格すると、即陸上部に入ったのだった。
 驚いたことに陸は今まで陸上の経験は全くなかったと判明した。
 そして今、陸は近々行われる予定の県大会出場に向けて、富士雄と二人三脚で練習に励んでいる。
 富士雄は思った。
 人間、どこにどんな才能が潜んでいるか分からないものだなと。
 もちろん足が速いのも才能だが、地道に努力と練習を続けられるのも才能。リンゴの実を育てられるのも才能で、誰かの中で眠っている才能を見出だし、引き出せるのも才能だ。
 人は誰でも無限の可能性、才能を内に秘めている。
 だが、人生で一番必要とされる才能は、どんな逆境にあっても決して挫けず、腐らず、前向きかつひたむきに生きようとする力ではないだろうか。
(了)