第4回「おい・おい」佳作 同じ線の上 愛媛バリコ


佳作
同じ線の上
愛媛バリコ(東京都・47歳)
急げ急げ。トイレに駆け込み、用を足して、やれ一安心。立ち上がった瞬間、ふいに鼻をつく臭いに足が止まる。あの日の空気が、一気によみがえる。ついに、とうとう、きたか。
小学生の頃から、両親はそれぞれの親、つまり私の祖父母四人のお世話をしていた。まだ「介護」という言葉が今ほど一般的でなかった時代だ。脳出血、脳梗塞、がん、心臓疾患、骨折、認知症……病名は違っても、生活の手助けが必要なことに変わりはなかった。
わが家の一日は、いつも誰かの容体に合わせて動いていた。目が届くよう台所の隣に祖母のベッドを置き、ポータブルトイレの蓋が開く音を聞きながら、母の代わりに、あるいは姉と二人で、私は食事の支度をしていた。
本当は得意ではなかった、それでも、下の世話もしていた。祖母が便座に座ると、トイレットペーパーを手にそっと待機する。
ただ、祖母は便秘がちで、座ってからもなかなか出ない。話しかけたり、マッサージをしたり。じきに、尾てい骨のあたりをそっとさすると、不思議とするりと便が落ちることに気づいた。その瞬間が少しだけ面白く、子どもなりに役に立てた気がして、私は率先して手を添えていた。
あのとき、顔をしかめながら覚えた臭いが、今、自分の身体から立ちのぼる。私もずいぶん使い込まれた器になったようだ。祖父母の年齢には遠く及ばない。それでも確かに、同じ線の上に立っている。鏡の中の顔はまだ祖母には遠い。けれど、ふとした角度で母の横顔が混じる。
当時、両親は毎日大変そうだった。ただ、金剛力士像のようにしかめっ面だった祖父が、次第に穏やかな表情を浮かべるようになり、食事を運んだ母に「ありがとう」と小さな声で言ったことがあった。母がうれしそうにその話を何度もしてくれた。
「昔はね、御礼なんて言ってくれる人じゃなかったのよ。それはそれは、厳しい人だったんだから」
老いは、失うことばかりではないのかもしれない。
そのときの母の笑顔を、私は今も覚えている。
母も祖父母も、もういない。順番待ちの列もだいぶ短くなった。老いを便の臭いで感じるなんて、私くらいだろうか。くるくるとトイレットペーパーを巻きながら、まあ悪くない、とも思う。
(了)