第4回「おい・おい」佳作 千円札と孤独 深田観


佳作
千円札と孤独
深田観(埼玉県.34歳)
夫と結婚し、私たちは話し合いの末、子供を持たない人生を選んだ。専業主婦として家庭に入った私は、家事を終えれば日長一日、テレビの前に座って過ごすことになった。
最初こそ、誰にも邪魔されない時間を「極楽」だと感じていた。けれど五年も経つと、その静寂はいつの間にか、じわじわと私を蝕む退屈へと変わっていた。世間様からすれば贅沢な悩みだろう。だが、話し相手のいない孤独というものは、思っていたよりもずっと重く、逃げ場のないものだった。
そんな折、ふと、幼い頃に近所に住んでいた「おばあ」のことを思い出した。
おばあは、共働きの両親に代わり、放課後の私を迎え入れてくれた。小学一年生だった私にとって、おばあの家は第二の我が家だった。
しばらくしておばあが入院し、私は母に頼んで何度かお見舞いに行った。その際、おばあは決まって、私に千円札を握らせようとした。幼い私が遠慮しても、普段は穏やかなおばあが、そのときばかりは頑固に、震える手でお札を押し付けてくるのだ。
「なぜ、そんなことをするんだろう」
疑問よりも先に、「とんでもない大金を手に入れてしまった!」「駄菓子が山のように買えてしまう!」という高揚感が勝った。
私はおばあの思惑通り、お小遣い目当てに五回ほど病院へ通ったと思う。けれど、子どもの関心は移ろいやすい。いつの間にか私は、病院の消毒液の匂いよりも、放課後のグラウンドでドッジボールに興じる楽しさに夢中になり、おばあの元へはぱったりと行かなくなってしまった。忘れた頃におばあのお葬式があり、私は激しく後悔した。
大人になってから知った。当時のおばあは夫に先立たれ、病床で自分の最期を悟っていたのだという。
今、しんと静まり返ったリビングで一人、テレビの光を見つめながら思う。あのお札は、単なるお小遣いではなかった。おばあは、孤独な自分を訪ねてくれる小さな話し相手を繋ぎ止めるために、あれが精一杯の、必死の「呼びかけ」だったのではないか。
かつてのおばあと同じ、終わりのない一日に身を置くようになって初めて、私はあのお札の本当の重さを知った。
ついに、あの日の彼女の寂しさに追いつき、とうとうその孤独の正体を理解してしまったのだ。
(了)