第4回「おい・おい」選外佳作 ついに来た、失明の危機 吉村史年


ついに来た、失明の危機
吉村史年(埼玉県・53歳)
久々の休日だった。妻と子が実家に行っているのをいいことに、この日は一日中テレビゲームをしていた。いつの間にか部屋が暗くなっていたが、電気もつけずに没頭していた。いい加減にやめようとテレビを消して電気をつけたとき、視界が変だった。右眼の右下四分の一が真っ暗なままだったのだ。最初は明るさに慣れていないせいだと思った。しかし、何分経っても右眼から見える景色の一部が欠けている。そのとき、学生時代に聞いて恐れを抱いていた話を思い出す。
それは眼科学の授業だった。
「強度近視の人は網膜剥離のリスクが高いですよ。年齢が高くなるとますます起こりやすくなります」
網膜剥離。私にそれがとうとうやってきた、そう思った。すぐに手術を受けないと失明するかも。講義の断片的な知識が甦る。小さいときから強い近視の私に当てはまる話だからよく覚えていたのだ。もう夕方になっていた。かつてコンタクトレンズを作った眼科の診察券を見て、家をすぐ出ればまだ診察を受けられると判断した。
クリニックへの道すがら「重篤な病気ではないかもしれない」という思いと「神様に右眼をお返ししなければならない」という思いが交錯する。何度瞬きをしても右眼の一部が見えない。そのたびにどうしようと不安になる。
受付終了五分前に眼科に着いた。受付の人は、この時間では精密検査は無理ですと断ろうとした。しかし、私は失明するかもという恐怖に駆られ必死だった。自分が内科医師であることを告げ、
「眼底検査だけ実施してください。異常がなければすぐ帰りますから」
と粘った。網膜剥離なら眼底検査ではっきりするはずだ。
検査を終え、眼科医に呼び出されると、すぐに手術のできる病院に紹介状を書いてもらえた。そのとき、ああやっぱりという絶望感と、自分が歳を取り、来るべきものがとうとう来たのだという諦念が心中を去来した。
手術は数日以内に行われ、ほんの少し視野は欠けたが、失明は免れた。
しかし、あれから数年経った今でも、あの夜の病気に感づいたのは、「あの病気にかかるかもしれない」という恐れをずっと潜在意識の中に背負って生きてきたからだと思う。これからも、年と共にリスクの増す病気を心配し続けるのは気が重くなるが、老いる人間の宿命と受け止めて生きて行こう、そう覚悟を決めた。
(了)