【第8回】 ヤマモトショウ 創作はいつまで続くのか 「かわいい曲の作り方」、わかっちゃいました


2015年の解散後はソングライターとしてでんぱ組.inc、私立恵比寿中学、ばってん少女隊、きゅるりんってしてみて ら多数のアーティストに詞や曲を提供している。
FRUITS ZIPPERに書き下ろした楽曲「わたしの一番かわいいところ」はTikTokで30億回再生を記録し、MUSIC AWARDS JAPANの最優秀アイドルカルチャー楽曲賞を受賞。
2024年2月にはミステリー小説『そしてレコードはまわる』、2025年8月にはエッセー集『歌う言葉 考える音 世界で一番かわいい哲学的音楽論』を上梓。
作詞作曲・編曲を担当したFRUITS ZIPPERの「わたしの一番かわいいところ」はオリコン 週間ストリーミングランキングで累計再生数2億回を突破。いま大注目のソングライター、ヤマモトショウさん。地元である静岡県を拠点に運営するアイドルグループ・fishbowlも注目を集めています。
「かわいい」曲をハイペースで生み出し続けられるのはなぜ? 創作のヒントが詰まっています!(編集部)
第8回 創作で大切なのは「何がしたいか」ふぇのたす「スピーカーボーイ」の持つエネルギー
前回、ふぇのたす「スピーカーボーイ」をつくった話をしたことがきっかけで、自分でもふぇのたす時代の楽曲を改めて聴き直したり、久々に当時の関係者からその話題を振られるといった機会があった。
実は、ふぇのたす時代に一緒に仕事をし始めた人とは今もさまざまな場面で仕事が続いている。「スピーカーボーイ」という楽曲ができたことで、ボーカルのみこの意識や、当時所属していたレコード会社の雰囲気が変わったという話をしたのだが他にも、のちにインディーズとしてのデビューの時にその販売を担当してくれた会社の方もこの「スピーカーボーイ」を、レコード会社のスタッフから聴かされて、一緒に仕事をしたいと決めてくれたらしい。
当時はまだまだフィジカルでのCDの売り上げが、アーティストの勢いと直結していた。逆に、新人のCDが大量にショップに並ぶことはなかなかない。
そういった場合に重要になるのは、販売担当の営業力なのだが、結局彼らも人なのでやはり「その楽曲を本当にいいと思ってくれているか」というのが、ポイントになることも多い。そういった意味ではふぇのたすのインディーズデビューは非常に前向きにスタートし、実際に当時の規模感としてはかなり異例の枚数が出荷されることになったらしい。
その時の販売担当の方たちとは、今、僕がプロデュースする静岡のアイドルグループfishbowlの運営を一緒にやっている。このグループも今となっては全国的にも知ってくださる方が増えてきて「経済的に成立しているだろう」と当たり前のようにとらえている人も多いと思うのだが、スタートした5年前はどこまでいっても「ヤマモトショウが個人ではじめる、ローカルアイドルのひとつ」に過ぎなかったわけだ。
実際、東京の関係者の多くは、ヤマモトショウが「いまさらローカルアイドルを始めること」に対して否定的だった。そのような状況でも、なぜ投資してくれたのか、ということを聞くと、その一つとして「最初に「スピーカーボーイ」を聴いたときの感動が忘れられない」という話があった。
よく創作物を見たり聴いたりして「元気をもらう」というような表現があるが、これは単にその時点で何か活力を得るということだけにとどまらず、10年以上先の未来のその人にもエネルギーを与えることもあるということだ。そして僕自身もそのエネルギーに助けられたりしている。
「スピーカーボーイ」がそのような力を持った楽曲であることは、自他共に認めるところではあるが、自分にとって「曲の作り方」というものの本質が変容していっているのは明らかだった。
名曲誕生で見つけた「楽曲制作の軸」
それまでは、基本的には「自分が好きなもの」が先にあり、それらを自分たちのバンドのフォーマットで表現できるように、楽曲として落としこんでいたように思う。(このように表現できるのは、後になって整理したからで、当時はそこまで言語化できてはいなかったと思う)
しかしスピーカーボーイはそれまで自分が「好きだ」と思っているようなタイプの楽曲ではなかったと思う。
例えば、それまでに比べると、メロディがかなり詰め込まれ、セリフ調(メロディが明確にあるのかないのかわからないような語りともいえるメロディライン)が現れる。アレンジ上もギターの割合がかなり少ないといえる。自分が唯一弾ける楽器であるギターがこの分量になったのは、ギタリストとしてはかなり思い切ったものだったように思う。
「スピーカーボーイ」ができたことに関しては、かなり偶然的な要素が大きい。上記のようなことを狙ったというよりは、なんとなくつくっていったものがそのようなメロディやアレンジになったことで、「それでもいいかも」と思えたというだけのことなのだ。
例えば、アレンジの過程で曲が音源として完成するまでの間に、もっとギターをいれるといったようなことも可能だったが、そうはしなかった。仮歌といって本番のレコーディング前に仮に録音をする工程があるのだが、そのレコーディングしてみたときに、この曲にはこのシンプルなアレンジで十分だろうという実感があったからだ。
それは周りの反応から感じた部分もあるが、それ以外にも音楽的に(音響的にも)歌と干渉しない帯域を意識してアレンジする必要があることなども徐々に学んでいくことになった。これについても、そのようなものを学ぼうと思ったというよりは「歌を活かそう」と考えた時に、自然と必要になったわけである。
ここからしばらくは、「声を活かす」ということが、ふぇのたすでの楽曲制作の軸となった。例えば、アレンジについては前述したような工夫もあるが、この「かわいい」と言われる声と相性がいいと思われる「かわいい音色」についても、色々と試行錯誤があった。
それまでシンセサイザーについてほとんど体系的な知識がなかったのだが、自分がみこの声に合うのではないかと聴いた80年代のニューウェーブ、シンセポップなどの作品の多くに当時は最先端だったシンセサイザーが使われていることがわかってからは、それらの音色の特徴について学ぶことになった。とはいっても、それらを実際に使うような予算はないので、あくまでも自分の持っているソフトで近い音をつくることを求められる。この作業に関しては、のちにアレンジャーとして仕事をするにあたって大いに力になったともいえる。
高い機材を買えば簡単に解決することではあるのだが、それでも限られた中で自分で音作りをすることで、さまざまな技術や表現技法を身につけることができた。意外と、こういったことはプロとして活動している中でも、自分で求めなければ学ぶことがないような類のものである。