第55回「小説でもどうぞ」選外佳作 知恵の輪 ペンギン


第55回結果発表
課 題
コンテスト
※応募数358編
選外佳作
知恵の輪 ペンギン
知恵の輪 ペンギン
ハルの生活はどん底だった。日雇いの現場を追い出され、安アパートの家賃は三ヶ月滞納している。明日にはアパートを追い出されるかもしれない。そんな日々を送っていた。
そんなとき、あるクイズ大会の存在を知った。町の二十代の若者を対象に、将来の町の担い手を応援するための企画であり、優勝賞金は一千万円。ハルにとって、最後の一本の蜘蛛の糸に思えた。
コンテスト当日、会場は、眩いばかりの照明に照らされていた。賞金一千万円とあって、町中の若者が参加をしており、ちょっとしたお祭り騒ぎであった。こんなに人がいる中で自分が勝ち残れるわけがない。ハルは早くも参加したことを後悔した。
最初の予選は◯×クイズから始まり、地元の人間なら誰でも知っているような常識的な問題からはじまった。それでも脱落者はいるようで、気づけば、当初何十人といた参加者も、ハルを入れて十名まで絞られた。その時点で予選は終了し、残った十名で決勝戦へと移行した。決勝は回答式のクイズ問題で、間違えたものから脱落になる。決勝戦とあって、問題の難易度は一気に上がった。しかし、ハルにとって出題されるクイズは奇妙なものばかりだった。
「第一問。約二十年前、この街の西地区にあった児童公園の、滑り台の色は何色?」
ハルはおぼろげな記憶を手繰り寄せた。
「黄色」
「正解」
そう、あれは確か、剥げかかった、ひまわりのような黄色だったな、とハルは心の中で呟いた。
「第二問。当時、商店街のパン屋で土曜日だけに売られていた、動物の形のパン。その中身は何?」
「カスタード」
「正解」
耳の部分にはチョコチップが入っていたんだよな。そう思い出しながら、幼少期の記憶が、蘇ってきた。まるで自分の人生を誰かが覗き見して問題を作ったかのような感覚になった。その後も順当にクイズに正解する中で、ついにステージに残ったのはハルと、もう一人の二人になった。
「ついに残り二名になりました。最終問題はこちらです。」
司会者が銀のトレイを運んでくる。そこに乗せられていたのは、歪な形状の鉄製の知恵の輪だった。
「制限時間は三分。この知恵の輪を、最も早く外した者に、賞金一千万円を授与します」
ハルは息を呑んだ。知恵の輪の形状はハルがよく知っているものであった。
相手は、合図と同時に猛然と指を動かし始めた。指先は合理的で、金属が擦れ合う「カチカチ」という乾いた音が静まり返った会場に響く。
ハルも手を伸ばそうとした。だが、指が震えて動かない。
外してはいけない。
これを外せば金は手に入る。家賃も払える。人生をやり直せる。難しいことではない。
相手の知恵の輪が、今にも外れそうに傾く。そのとき、ハルは静かに手を挙げた。
「僕には、できません」
ハルの声が、マイクを通じて会場に響いた。
「棄権します。これは、外してはいけないものなんです」
ハルの発言に会場からはため息が漏れた。
直後、相手の知恵の輪が「パチン」と音を立てて二つに分かれた。
「終わりました!」
勝ち誇ったように叫ぶ。ハルは暗闇に取り残されたように、ただうなだれていた。
落ち込みながら帰宅をしようとしたところ、スタッフがハルを呼び止めた。
「主催者があなたに会いたがっております」
スタッフの案内のままに舞台裏へ向かうハルを待っていたのは、豪華な応接室と、車椅子に乗った老紳士、そして上品な灰色の髪の女性だった。女性の目には、涙が溢れていた。
「よく、私との約束を守ってくれたね。ハル」
老紳士の言葉にハルは驚いた。と。同時に子どもの記憶が蘇った。
二十年前、燃え盛る夕焼けの中で、知恵の輪を渡しながら父がハルに告げた言葉だ。
「ハル、これだけは絶対に外してはいけないよ。これが外れたら、父さんと母さんの縁も切れてしまうからね」
それが両親との最後の記憶。当時、ハルの家は底知れぬ貧困の淵にあった。事業に失敗し、膨れ上がった借金。せめて息子だけは、飢え死にさせるわけにいかない。自分たちが夜逃げ同然に姿を消す前に、ハルを施設に託すこと。それが、当時の両親にできる唯一の「愛」だった。別れ際、父が泣きながら渡したのが知恵の輪だった。ハルは施設を転々としながら、この知恵の輪と父の言葉だけを頼りに生きてきた。
「あのときはあんな別れ方しかできなくて本当にすまなかった。死に物狂いで働き、ようやくお前を探し出せる力を手に入れたときには、もうお前の消息は分からなくなっていた」
だから、彼らはこのコンテストを開いたのだ。共通の思い出を語り、かつ、あの日の約束を守り続けている本物の息子を見つけるために。
老紳士が震える手で取り出したのは、重厚な銀のペンダントだった。
「このペンダントには、あの日、お前と一緒に撮った最後の写真が入っている。だが、これは普通の鍵では開かない。二つの知恵の輪を同時に差し込まなければならないんだ」
ハルは二十年間、肩身離さず持ち続けた自分の知恵の輪を差し出した。受け取った老紳士が自分のペンダントに差し込み、ゆっくりと回す。
カチリ。
二十年分の沈黙を破る音がして、蓋が開いた。そこには、貧しさに疲れ果てながらも、ハルを愛おしそうに抱く若き日の両親の姿があった。
「おかえり、ハル」
父と母の腕に抱きしめられ、ハルは二十年ぶりに声を上げて泣いた。三人の重なり合った手のひらの中に、失われることのない本当の絆があった。
(了)