第55回「小説でもどうぞ」選外佳作 審査委員の苦悩 白浜釘之


第55回結果発表
課 題
コンテスト
※応募数358編
選外佳作
審査委員の苦悩 白浜釘之
審査委員の苦悩 白浜釘之
最初はいわゆる一番最初の『下読み』からスタートした。
何千と送られてくる作品を一次審査の段階の手前でふるいにかける役目だ。本当にひどいものになると数行読んだだけで「これは……」と思わず放り投げてしまいそうなものも多かった。
たとえばわずか原稿用紙一枚の間に誤字脱字が十か所以上見つかったり、すべての助詞の後に必ず句読点を打ってある小説もあった。
あれを数百枚書き上げる根性はすごいとは思うが、送り付けられて読まされる方の身にもなってほしいと思う。というか書いた本人も読み返してみて自分が普段読んでいる小説とあまりにも文体や読みやすさなどが違うことに違和感を持たないのだろうか。
そんなことを考えつつ、とりあえず「ちゃんと読む」段階の下読みの方に引き継ぐのが最初の仕事だった。
次の仕事がその「ちゃんと読む」一次審査の審査員だった。
とりあえずひどく読みにくいものは省かれてはいたが、それでもまだまだ小説という
そんな厳しい評価をしたことが皮肉にも私の評価を上げたのか、私は二次、三次審査を担当する審査員に『格上げ』された。
この頃になると逆に読む作品の数が少ないこともあり、私は作品の良い点に注目するようになっていた。
どんな作家でも処女作には欠点があり、最初から完璧な作品を引っ提げて登場する作家などは存在しない。また処女作が素晴らしいからといってその後に発表する作品がそれ以上の出来になる、などということはまずありえない。むしろ最初の作品が上出来であればあるほどその後の作品が尻すぼみになる作家の方が多い。だから私は他の選者が落とすことを進言した作品を最終選考に残すことを主張し、結果その作品が最終選考の場で高名な作家によって評価され、受賞に至るというケースも多くなった。そのためにいっぱしの評論家として書評や小説のレビューなどの依頼を受けるようにもなった。
そうしてついに私は最終選考会に名を連ねるようになった。
最初の方こそ素性のしれない私の意見など聞きいれるものかという態度で臨んでいた他の審査員たちも、私の丁寧な説明と古今の名作を読み込んで得た知見に一定の理解を示してくれるようになり、中にはこっそり私に自作の添削を頼んでくる作家も現れるようになった。
何度か賞の選考を重ねるうちに、私の意見に対して反対を表明する作家もいなくなり、私の一存で賞が決定してしまうようになると、主催者としてもわざわざ審査員として配している他の作家の存在理由が見当たらなくなってしまい、とうとうコンテスト自体に私の名を冠して、最終審査を私だけに委ねるようになってしまった。
そうなってくると私の完璧主義が発動して、応募作品を全て自分一人で見てみたいという思いに駆られるようになった。
かつて下読みをしていた頃には、落としてしまった中にも表現としては拙くとも新しい何かを表現しようとした作品も存在していた。他者が入ることでもしかすると新しい才能を零れ落としてしまうのではないかという危惧を払拭できないのならば、いっそのこと一番最初から私だけで選考すればよいのではないか、そんな考えに至ったからだ。
こうして私の名を冠したコンテストが開催されるようになった。
最初のうちこそ完全に一人だけの審査員で行われているコンテストということで注目を浴び、そこそこの評判を得る受賞作を出していたのだが、どうしても私の好みの傾向があるらしく、題材こそ違えど似たような構成と結末の話が多いという批判も目につくようになっていた。
そんな中、私は一人の作家……まだ志望者の一人だが……に注目していた。
最初のうちこそ一次選考にもかからないような悪文だったが、応募の回数を重ねるごとに文章も上達し、内容も重層的になってくるのがはっきりと見て取れた。成長途上でもある程度の評価をして、いくらかのアドバイスもしてはいたが、何度目かの挑戦でついに完璧ともいえる作品を作り上げてきた。
数回にわたり受賞作なしで見送ってきた大賞作品として堂々とこの作品を送り出してやろう……。
「なあ、自我を持ったAIが書いたとかっていう例の大賞作品読んだ?」
「ああ、『AIが選ぶ文芸大賞』のやつだろ? あの審査するAIもたしか下読みさせているうちにいつの間にか自意識を持ったとかっていう触れ込みだったよな?」
「そうそう。なんかもう俺たちが子どもの頃読んでたSFの世界だな」
「でもそのAIが書いたり審査したりしてるのがバリバリの純文学っだってのが何つーか皮肉っていうか」
「AIの書く文章の方がめちゃめちゃエモいってのがすげーよ。俺、泣いちゃったもん」
「つっても小説なんて今どき俺たちみたいにちゃんと日本語を読み書きできる連中しか読んでないけどな」
(了)