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【第9回】 ヤマモトショウ 創作はいつまで続くのか 小説を書いて気付いた「アマチュア的な部分」

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コラム
創作はいつまで続くのか
PROFILE ● ヤマモトショウ
1988年静岡県生まれ。東京大学文学部思想文化学科哲学専修課程卒の作詞作曲家、音楽プロデューサー。2012年からバンド ふぇのたすのメンバーとして活動。
2015年の解散後はソングライターとしてでんぱ組.inc、私立恵比寿中学、ばってん少女隊、きゅるりんってしてみて ら多数のアーティストに詞や曲を提供している。

FRUITS ZIPPERに書き下ろした楽曲「わたしの一番かわいいところ」はTikTokで30億回再生を記録し、MUSIC AWARDS JAPANの最優秀アイドルカルチャー楽曲賞を受賞。

2024年2月にはミステリー小説『そしてレコードはまわる』、2025年8月にはエッセー集『歌う言葉 考える音 世界で一番かわいい哲学的音楽論』を上梓。

ヤマモトショウさん

 
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作詞作曲・編曲を担当したFRUITS ZIPPERの「わたしの一番かわいいところ」は累計再生数2億回を突破。いま大注目のソングライター、ヤマモトショウさん。地元である静岡県を拠点に運営するアイドルグループ・fishbowlも注目を集めています。

単著『会話が100倍楽しくなる! NEW褒めことば辞典』(KADOKAWA)も4月15日に発売されたショウさんですが、一昨年のミステリー小説の出版で気づいたことがあるそうです。(編集部)

第9回 小説を書いて気付いた自分の
   「アマチュア的な部分」

自分の「アマチュア的な部分」

 最近、ギターのエフェクターを買い集めている。
 音楽を作る仕事なのだから、めずらしくもないだろうと思うかもしれないがこれは明確に趣味として買っているので、仕事とは関係がないのだ。実際、仕事としてのレコーディングなどでは使用せず、もっぱら趣味としてギターを弾くときに使用して楽しんでいるだけなのである。

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ヤマモトショウさんのエフェクターコレクション


 仕事でよく使う機材はトラブル防止のため何台か買うことも多く、いわゆるビンテージ機材のようなものもメンテナンスなどで使用できなくなることを防ぐために基本的には個人では使用しないのだが、趣味で買う分には問題ない(とはいっても逆にあくまでも趣味なので現時点では高価なビンテージ機材などは買っていないが)。
 連載では前回まで数回にわたって音楽家として創作の「プロになる」過程のさわりを書いてきたが、今回はあらためて自分のアマチュア的な部分についても少し話しておこうと思う。

「作りたいものをつくる」は純粋なのか

 エフェクターを趣味で買ったり、ギターをただ目的もなく弾いたりしているというような話を周りにすると「自分の好きな楽曲を発表したくならないのか」というようなことを聞かれるようにもなる。
実際に、プロの作曲家が「必ずしも自分の好きな曲をつくっているわけではない」というような通念は確かに存在しているように見えるし、実際にそう見えるような部分もあるのだろう。前回までの話でもそのように見える部分は少なからずあったと思う。
たしかに我々は「自分の好きな曲だけをつくっていればいい」ということは基本的にない。求められたものをつくるからこそ仕事になりえる、というのはほとんど間違いない事実だ。しかしながら、そもそも「作りたいものをつくる」というのが創作のスタイルとして原初的なものだという考えも、あまりにも無批判に受け入れられているようにも思う。
 つまり、「作りたいものをつくる」というのが必ず創作の出発点にあって、それこそがプリミティブで(なんなら価値のある)創作的態度だ、というドクサである。
 私はこれを必ずしも無批判に受け入れていいものであるとは、少なくとも今は思っていない。なぜなら「作りたいと思っている」ということも、実際には何らか先行する作品などに対する嗜好などによって自分の「創作的感情」を言語化したものにすぎないと思うからだ。要は、自分のオリジナリティある創作意欲だと思っているものでも、そのほとんどは「何かの真似をしたい」「誰かのようになりたい」というものでしかない、ということである。
 自分自身のことを振り返ってみても、最初の頃は、曲を作ろうと思ったときに好きなものの影響を受けないようにむしろ意識していたりもした。(だからこそ劣化版にならないように女性ボーカルのバンドを組んだともいえる)。当時は下北沢に住んでいて、「下北系」と言われるようなバンドにわかりやすく影響も受けていた。そうなると、その影響を受けないように作ろうと思うことも結局は「影響を受けないように」と意識する意味において「影響を受けている」ということになる。
 私はこのような態度を特別問題視しているわけでも、批判したいわけでもない。むしろ、自分自身も含めて「普通そう」だと思っている。だからこそ逆に「作りたいものをつくる」ということが、それほど純粋でもなければ、高尚でもないということを言いたいのだ。少し極端な言い方をすれば、どんな理由であっても作ればいいし、作ろうと思ったことよりも、作ったことそのものに価値があるようにも思う。

 さて、そんなことを思ったきっかけでもあり、また自分のアマチュア的な部分を再発見した出来事がここ数年のなかでもあった。それは小説を書く、本を出すという行為である。