第56回「小説でもどうぞ」佳作 ツナマヨの棚の前で 夏目わか


第56回結果発表
課 題
模倣
※応募数392編
夏目わか
タリラリラリータリラリラー。
「はぁ……」
フラフラと、いつものツナマヨに手を伸ばす。「今日は2割引きだ」。そんなことを思っていると、横からびゅっと手が伸びた。
「あっ!」
思わず声が出た。そして体が凍りついた。鏡……? いや、コンビニにこんなでかい鏡があるはずない。
この世には自分と同じ姿のやつが三人いるというが、目の前に現れることがあるのか。
「わぁ、君、僕と一緒じゃん。」
俺が喋ってる。いや、違う。目の前の奴が俺の声を持っている。
「おま、ちょ、ツナマヨ俺の!」
訳がわからず、とりあえず二割引きのツナマヨを奪い取った。
「えぇ、僕が先だったじゃん」
奴が俺と同じ音程を奏でる。気味が悪い。足は外に出たがっているのに、心がそれを押さえ込んだ。
「お前、ちょっと俺ん家来い」
ツナマヨを買い、奴の腕を引いて寂れたアパートに帰ってきた。
「お前、明日から仕事行け」
俺は畳の上に資料を叩きつけた。
「これ、ついでに俺の履歴書。経歴とか学歴とか全部載ってる」
「ん? 僕に君の代わりをしろってこと?」
「お、話がはえーな。そういうこと。頼んだ。とりあえず俺っぽく上手くやってくれ」
「ふーん、わかった。面白そうだしいいよ」
面白そう? 何言ってんだコイツ。俺に仕事押し付けられといて。まいっか。上手くいくかは置いといて、これからはのんびり生活できるかもしれないし。俺は深く考えずに眠りについた。
翌朝、起きた頃には奴はいなくなっていた。慌てて仕事着に着替えようとしたが、仕事着がない。
「あ……あいつか」
部屋を見渡すと鞄も書類もなくなっていた。本当に仕事に行ったんだ。
「マジか……」
指先がわずかに震えた。背筋がゾワッとしつつも、体はフワリと宙に浮いたような軽さがあった。俺は夕方まで布団に転がっていた。ガチャッとドアの開く音でようやく体を起こした。
「ただいまぁ」
「お前、マジで仕事行ったんだな」
「え、君が行けって言ったんじゃん」
「ん、まぁそうなんだけど、マジで行くとは正直……で、仕事どうだった?」
「うん、まぁ、ちゃんと君っぽくやれたみたい」
「へぇ、いいじゃん。じゃぁしばらく頼むわ」
自然と笑みが溢れた。コンビニで俺は俺を拾い、自由を手に入れた。世の中が汗水垂らしてあくせくしている間、俺は映画を観たり買い物したりゴロゴロしたり、不自由なく生活できた。
でも、なぜだか映画を観ても、笑うタイミングがわからなかった。ゴロゴロしているのに、体に重さが残ったままだった。
「ただいまぁ」
奴が帰ってきた。
「お前、最近帰り早いな。定時じゃねーか」
「え、定時で帰るものでしょ?」
「は? 仕事なんてあふれるほどあんのに、定時無理だろ」
「いや、別に。仕事慣れてきたし、周りも帰りなって言ってくれるし」
身体の血が逆流している感じがした。自由なはずなのに。
通帳に視線を落とすと、俺が働いていたときよりも給料が上がっている気がする。俺の方が長い時間働いていたはずなのに。
「あ、そうそう、今度会社の飲み会行ってくる」
「え、俺の?」
「君の以外ないでしょ」
なんだ? 俺の会社って飲み会なんてやってたか。今まで一度もそんな話……。胸の奥がざわざわした。
「い、行きたきゃ行きゃいいんじゃね」
布団に潜り込みながら吐き捨てるように言った。
「わかった。じゃぁ明日は帰り遅いから」
案の定、奴は日付が変わる頃まで帰ってこなかった。ウトウトとしていると、ほんのり酒の香りを連れて奴が静かに鞄を置いた。チラリと見ると、「ただいま」と小さな声で微笑んでいた。胸の奥がざわついた。自由なはずなのに、どうも心が落ち着かない。
翌朝、俺は久々に早起きした。
「おい、今日はお前、休んでいいぞ」
「え、どうして?」
奴は不思議そうに俺の顔を覗き込んだ。
「飲み会で疲れてるだろうし、たまには俺が仕事に行ってやってもいいかなってな」
「そう、じゃあよろしく」
数ヶ月ぶりに会社へ向かった。ガチャッとドアを開けると、いろんな社員の奴らが挨拶をしてくる。
「お、おぅ、おは、おはよう」
慌てて挨拶を返す。
「なんだよぉ、変だなぁどうかしたのか?」
「あ、二日酔い、大丈夫?」
「無理すんなよ、俺らでフォローできるところはするし」
なんだ。なんだこれ。言われたことがないような言葉が飛び交う。俺に向けられている言葉なのが信じられない。机の上には「ありがとう」や「お疲れ様」のメモやお菓子が置かれていた。見たこともない光景だった。
奴か。奴なのか。手足がみるみる冷たくなっていった。仕事は進んでいっても、心は空っぽ。
「ねぇ、なんか、いつもと違くない?」
「え、あ……そそうかな? はは」
奴はどうやって喋っていたんだ? 奴を思い出せ。気の抜けた感じの奴を……。って、あれ。いつもと違うってなんだ。いつもは俺の方であって奴じゃない。いや、ここではもう、奴がいつもの俺なのか。
目の前が真っ暗になった。
俺って、なんなんだ。
ツナマヨの棚に戻りたいなんて思う俺は、もう俺じゃないのか。
(了)