第56回「小説でもどうぞ」選外佳作 しあわせな食卓 昂機


第56回結果発表
課 題
模倣
※応募数392編
選外佳作
しあわせな食卓 昂機
しあわせな食卓 昂機
ぐつぐつお鍋が煮えている。ぷんと甘辛い匂いが鼻をくすぐって、お腹がきゅるると寂しく鳴った。
「さあどうぞ。今日はめいちゃんの大好物のすき焼きよ」
「やったあ!」
お母さんの言葉に、私はぴょんぴょん飛び跳ねる。一緒に買い物に行ったから、何が出るか知っていたけど、やっぱり凄く嬉しい。すぐ椅子に座って、いただきます、と手を合わせる。それからテーブルの鍋に、勢いよく箸を入れた。
「こらこら、そんなに急ぐとヤケドするぞ」
お父さんが困ったように言う。それでも急ぐ気持ちは止められない。熱々のお肉を口に頬張れば、すぐに甘い味が広がった。
すき焼きはもちろん好物だけど、こうして皆でご飯を食べる時間が私は何より大好きだ。夢中になっていると、お鍋の中はあっという間になくなった。
「毎日すき焼きだったらいいのになあ!」
「ごめんね、めいちゃん。毎日はちょっと……」
お母さんは申し訳なさそうに言う。分かっている。毎日牛肉が買えるほどの余裕はないのだ。
「じゃあ明日はオムライスがいいなあ」
私はぽつりと呟いた。
「おお、今日はカレーかぁ」
会社から帰ってきたらしいお父さんが、嬉しそうに言った。
スパイスの刺激的な匂いがただよっている。今日も一緒にスーパーに行ったから、買い物かごに入るじゃがいもやニンジンを見て、晩ご飯が何か察してはいた。カレーも好きだけど、オムライス、食べたかったなあ……。
ううん、お母さんが毎日の献立を頑張って考えてくれているんだから、文句を言ってはいけない。
「めいちゃん、おいしい?」
「うん! お母さんのカレー、大好き!」
じゃがいもを噛むと、まだ火が通り切っていなかったのか、少しシャリッとした。
「今日は学校、どうだったんだ?」
「すっごく楽しかったよ、お父さん! 休み時間に、理香ちゃんとね……」
楽しい時間は今日も一瞬ですぎてしまう。食べ終わった後、私は幸せな気持ちでお風呂に入って、自分の部屋のベッドに潜り込んだ。
明日もきっと楽しいだろうなあ。そう思いながら瞼を閉じた、その時。
「ねえ、あなた。ちょっと相談があるんだけど」
「ん? どうした」
お母さんとお父さんの声が聞こえてきた。ナイショ話のように小さな声。なんだろう。私は壁に向かって、ぴったり耳をくっつけた。
「めいと買い物に行ってる時なんだけどね……不安なことがあって」
お母さんは思い詰めたような声で、その不安なことを口にした。
「……勘違いじゃないのか?」
「だといいんだけど。ねえ、今度のお休みの日、あなたが買い物に行ってみてくれない?」
「分かった。確かめてみる」
その会話を聞いた夜、私はなかなか寝付けなかった。
次の土曜日。私はお父さんと一緒にスーパーへ買い物に行った。すごくうきうきするけど、ナイショ話のことがあったから、ちょっと心配だ。
「いいか、めい。お父さんから離れるんじゃないぞ」
「うん!」
お父さんはお店の中にいる間、きょろきょろと辺りを見渡していた。めったに来ないから、どこに何が置いてあるかを探しているのかと思っていたけど、違うみたい。だってその目が、なんだかすごく怒っていたから。
お父さんは手早く買い物を済ませると、すぐ家に帰った。
「……お前の言うとおりだった」
しばらくしてから、お父さんは重々しくそう言った。
「あいつ、ずっと俺たちの後をつけてきたよ。行きも帰りも、店の中でも」
「やっぱりそうでしょ? おかしいと思っていたの。ここ最近、ずっとよ。ゴミ捨ての日にご挨拶するくらいしかしてないのに……」
お母さんは泣きそうな声だ。
「気持ち悪い。俺、文句言ってくる」
「ちょっと待って、あなた! 逆恨みされたらどうするの?」
「放っておくわけにはいかないだろう! もしもめいに何かあったら……!」
お父さんとお母さんの言い争う声に、私は悲しくなった。喧嘩しないで仲良くしてほしいのに。
すぐにどたどたと足音がした。向こうの玄関の扉が、がちゃっと開かれる音も。
「おい、あんた! いるんだろ?」
どんどんと音がした。こちらの玄関の扉が叩かれる音だ。こんなに騒がれたら、近所迷惑もいいところだろう。私は玄関から渋々顔を出した。
めいちゃんのお父さんとお母さんが、私を睨みつけている。
「はい、なんでしょう?」
「あんた、スーパーで俺たちをつけてただろ? どういうつもりだ? これ以上付きまとうなら、警察に突き出すぞ!」
お父さんは私に唾を飛ばして激昂する。悲しみがますます深くなった。
「おい、じいさん! なんとか言え!」
お父さんは私を突き飛ばす。天涯孤独の八十歳の老人に暴力なんて、酷い話だ。私はただ、この人たちと一緒にご飯が食べたかっただけなのに。隣人の会話を盗み聞きできるほど壁の薄いアパートで、同じご飯を食べていると、私も家族の一員になれた気がしたのだ。
お父さんの後ろで、不安そうな顔をしたお母さんが私を見ている。その足元には、まだ小学生のめいちゃんが。
私は家族に向かって、にっこり笑い掛けた。
「お母さん、私、明日こそオムライスが食べたいなあ」
(了)