第15回「小説でもどうぞ」佳作 ミスター・ビッグストーン/山崎こうせい
第15回結果発表
課 題
表と裏
※応募数212編
「ミスター・ビッグストーン」山崎こうせい
「カツ定食ひとつ、お願いっ」
「へい、まいどー」
都心から外れた小さな商店街に面した、昔ながらの定食屋。親父から引き継いだ店も、相当ガタが来ているが、大石にとって、勝手知ったる様相が、着古したトランクスのように、慣れ親しんだ空間だった。四十を過ぎて独り身の現在、自分一人が食べていける程度の売り上げがあれば、それで十分だった。
しかし、大石には、誰にも言えない裏の顔があった。それは、彼がプロレスラーということだ。
もちろん、メジャー団体の選手ではない。百人も入れば満員になるような小さな会場で、月に一度のペースで試合を行う、地域限定の弱小プロレス団体の選手だ。
それでも、大石は幸せだった。子供の頃からの夢だったプロレスラーになれたのだから。リングネームは「ミスター・ビッグストーン」で、顔に赤と黒と紫のペイントを施す、怪奇系パワーファイターだ。
店内には、試合を告知するポスターが、メニューと競い合うように、所狭しと張り尽くされているが、顔のペイントのお陰で、誰も大石がミスター・ビッグストーンとは気づかない。「プロレスラーは夢を売る仕事であり、下町の定食屋の店主が正体だと知れたら、ファンの夢を壊すことになる」というのが、大石の信条だった。
そんな大石の店に、しげしげと通う女性の姿があった。名前はカオリと言い、店内のド派手なポスターを見渡しては溜息をつき、探るような目つきで大石を見つめている。彼女の怪訝な視線に、「正体を見破られたか」と一抹の不安を覚えるのだが、素知らぬふりでやり過ごしていた。
そして、大石にもチャンスが巡ってきた。団体のチャンピオンとのタイトルマッチが決定したのだ。試合を告知するポスターはもちろん、店の客に声を掛け、チケットを積極的に売りさばいた。チャンピオンになる姿を、この店の客にも見てもらいたかったからだ。
ゴングが鳴ると、主導権を握ろうと、大技を仕掛けようとするビッグストーンだが、それをかわし、じっくりと様子を伺うチャンピオン。
焦るビッグストーンを寝技に持ち込むと、ヘッドロックでねちねちと締め上げる。地味な攻撃だが、ビッグストーンのスタミナを確実に奪っていく。それにビッグストーンの顔がマットに擦れ、ペイントが徐々に剥がれ落ちていった。観客は動きの少ない前座のような試合を退屈気に眺めていたが、カオリだけは、思いつめたような眼差しで見つめていた。
やっと、ロープにエスケープしたが、ペイントは殆ど剥がれ落ち、ビッグストーンの素顔が露わになった。「気弱そうな顔だな」とか、「思ったより歳くってるな」とか、観客席のあちこちから声が聞える。でもカオリだけは、ただじっと、ビッグストーンを見つめていた。
チャンピオンの猛攻が始まった。バックドロップでダウンを奪うと、コーナーポストからフライングボディプレス。チャンピオンがカバーに入る。「もう、終わった」と誰もが思ったが、カウントぎりぎりで肩を上げるビッグストーン。観客は歓声を上げ、カオリは胸の前で手を組み、祈るような姿だ。
しぶとく食い下がるビッグストーンに、必殺のジャンピングエルボードロップを炸裂させると、もう、返す余力は残っていなかった。
ボロ雑巾のように横たわるビッグストーンを尻目に、ベルトを掲げ、勝利の雄叫びを上げるチャンピオン。会場は、チャンピオンのコールでいっぱいになった。
それから一週間、店の入口に休業の札をかけ、ひたすら、体が回復するのを待った。四十過ぎの体には、試合で負ったダメージが予想以上に厳しかったのだ。日が経つに従い、「もう、潮時かな」の思いが強くなり、プロレス関係のポスターを全て剥がした。
一周間ぶりの開店の日、おもむろに入口の戸を開けると、カオリを先頭に十数人の客が列を成していた。それは、親父から店を引き継いで以来、初めて見る光景だった。
飛び交う注文の声。スマホで大石や店内を撮影する者も見え、「ビッグストーン」とささやく声も聞こえる。忙しく動き回る大石が汗をぬぐうと、カオリが笑顔で声をかけた。
「ツイッターで呟いたの。ここがビッグストーンの店だって」
そうか、ファンは失望などせず、むしろ、喜んでくれたのか。もはや、表も裏もない。これから、店もプロレスも忙しくなりそうだ。それに、カオリの笑顔がやけに眩しくって。
大石の厨房での動きが、にわかに活気づいてきた。
(了)
「へい、まいどー」
都心から外れた小さな商店街に面した、昔ながらの定食屋。親父から引き継いだ店も、相当ガタが来ているが、大石にとって、勝手知ったる様相が、着古したトランクスのように、慣れ親しんだ空間だった。四十を過ぎて独り身の現在、自分一人が食べていける程度の売り上げがあれば、それで十分だった。
しかし、大石には、誰にも言えない裏の顔があった。それは、彼がプロレスラーということだ。
もちろん、メジャー団体の選手ではない。百人も入れば満員になるような小さな会場で、月に一度のペースで試合を行う、地域限定の弱小プロレス団体の選手だ。
それでも、大石は幸せだった。子供の頃からの夢だったプロレスラーになれたのだから。リングネームは「ミスター・ビッグストーン」で、顔に赤と黒と紫のペイントを施す、怪奇系パワーファイターだ。
店内には、試合を告知するポスターが、メニューと競い合うように、所狭しと張り尽くされているが、顔のペイントのお陰で、誰も大石がミスター・ビッグストーンとは気づかない。「プロレスラーは夢を売る仕事であり、下町の定食屋の店主が正体だと知れたら、ファンの夢を壊すことになる」というのが、大石の信条だった。
そんな大石の店に、しげしげと通う女性の姿があった。名前はカオリと言い、店内のド派手なポスターを見渡しては溜息をつき、探るような目つきで大石を見つめている。彼女の怪訝な視線に、「正体を見破られたか」と一抹の不安を覚えるのだが、素知らぬふりでやり過ごしていた。
そして、大石にもチャンスが巡ってきた。団体のチャンピオンとのタイトルマッチが決定したのだ。試合を告知するポスターはもちろん、店の客に声を掛け、チケットを積極的に売りさばいた。チャンピオンになる姿を、この店の客にも見てもらいたかったからだ。
ゴングが鳴ると、主導権を握ろうと、大技を仕掛けようとするビッグストーンだが、それをかわし、じっくりと様子を伺うチャンピオン。
焦るビッグストーンを寝技に持ち込むと、ヘッドロックでねちねちと締め上げる。地味な攻撃だが、ビッグストーンのスタミナを確実に奪っていく。それにビッグストーンの顔がマットに擦れ、ペイントが徐々に剥がれ落ちていった。観客は動きの少ない前座のような試合を退屈気に眺めていたが、カオリだけは、思いつめたような眼差しで見つめていた。
やっと、ロープにエスケープしたが、ペイントは殆ど剥がれ落ち、ビッグストーンの素顔が露わになった。「気弱そうな顔だな」とか、「思ったより歳くってるな」とか、観客席のあちこちから声が聞える。でもカオリだけは、ただじっと、ビッグストーンを見つめていた。
チャンピオンの猛攻が始まった。バックドロップでダウンを奪うと、コーナーポストからフライングボディプレス。チャンピオンがカバーに入る。「もう、終わった」と誰もが思ったが、カウントぎりぎりで肩を上げるビッグストーン。観客は歓声を上げ、カオリは胸の前で手を組み、祈るような姿だ。
しぶとく食い下がるビッグストーンに、必殺のジャンピングエルボードロップを炸裂させると、もう、返す余力は残っていなかった。
ボロ雑巾のように横たわるビッグストーンを尻目に、ベルトを掲げ、勝利の雄叫びを上げるチャンピオン。会場は、チャンピオンのコールでいっぱいになった。
それから一週間、店の入口に休業の札をかけ、ひたすら、体が回復するのを待った。四十過ぎの体には、試合で負ったダメージが予想以上に厳しかったのだ。日が経つに従い、「もう、潮時かな」の思いが強くなり、プロレス関係のポスターを全て剥がした。
一周間ぶりの開店の日、おもむろに入口の戸を開けると、カオリを先頭に十数人の客が列を成していた。それは、親父から店を引き継いで以来、初めて見る光景だった。
飛び交う注文の声。スマホで大石や店内を撮影する者も見え、「ビッグストーン」とささやく声も聞こえる。忙しく動き回る大石が汗をぬぐうと、カオリが笑顔で声をかけた。
「ツイッターで呟いたの。ここがビッグストーンの店だって」
そうか、ファンは失望などせず、むしろ、喜んでくれたのか。もはや、表も裏もない。これから、店もプロレスも忙しくなりそうだ。それに、カオリの笑顔がやけに眩しくって。
大石の厨房での動きが、にわかに活気づいてきた。
(了)