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第15回「小説でもどうぞ」佳作 にっぽんの表と裏/前川暁子

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作文・エッセイ
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小説でもどうぞ
第15回結果発表
課 題

表と裏

※応募数212編
「にっぽんの表と裏」前川暁子
 アパートの二階にある部屋を出ると、緑色の肌をした宇宙人が、手すりの向こうに浮かんでいた。身長は八〇センチほど、黒い服を着て、手を腰の後ろで組み、目玉をぎょろつかせて、白い雲にぷかぷかと乗っている。
「あなた何ですか」
 宇宙から参りました。この国を乗っ取るために。着々と準備は進めてきました。日本で子どもが増えないのも、昨今の円安も、すべて私たちが仕組んだことです。
「そんなはずないでしょう」
 いまや日本人の五〇人にひとりは、私たち宇宙人の仲間です。
「一体どこにひそんでいるというのですか」
 低層のビルや小さなマンションの上に、小屋がのっていることがあるでしょう。あそこです。
「何ですって」
 上によくある、あの取ってつけたような小屋ですよ。大半が私たちの手のうちにあります。
「そんなはずありません。マンションなら、屋上の小屋には水や電気系統の設備があるはずですよ」
 本当に? 見たことがあるのですか。
「立ち入り禁止になっていますから、入ったことはありませんが」
 見たこともないのに、あなたがたはあるはずないと信じるのですね。
「一般のビルでしたら、伯母の家の屋上にもあります。そこには入ったことがありますよ」
 ほう、何がありましたか。
「宇宙人などいません。あの小屋は私の従兄が使っているんです」
 いまも? 確かにそうだと言いきれるのでしょうね。
 私が口ごもると宇宙人は言った。ならば確かめてご覧なさいと。

 塗料店を営んでいた伯母夫婦は、バブルの頃、町のはずれに三階建ての細長いビルをたてた。一階はペンキ屋の店舗、二階は人に貸し、三階で伯父と伯母、私と同い年の長女のみっちゃんが生活していた。さらに屋上に、小さなプレハブ小屋を置いていた。
 そこは従兄の健にいちゃんの部屋だった。にいちゃんは私の五つ上で、子どもの頃は密かな憧れの対象だった。家族で正月や夏休みに訪ねると、高校生だったにいちゃんの部屋にはアイドルやバンドのポスターがはられ、週刊誌が転がっていた。「男の部屋」という感じがして、幼いながらもドキドキした。小屋には窓と流し台もあり、まるで一人暮らしみたいだった。帰り道に「私も小屋が欲しい」と親にねだって、困らせたものだ。
 あの小屋はどうなったんだろう。にいちゃんは四十歳になるはずだ。家は近いのに、もう十五年以上会っていない。
 日曜の午後に訪ねると、伯母のビルはすっかり古びて黒ずんで見えた。着色済みの建設資材が普及し、町のペンキ屋はお役ご免になって、とうの昔に廃業した。ひさしの「中山塗料」のプラスチックの看板にはヒビが入っていた。
「もしかして、夏美ちゃん?」
 ベルを鳴らすと、出てきたのは従姉妹のみっちゃんだった。結婚して他県に住んでいるが、家の片付けに帰ったという。
「母さんは施設に入ったの、認知症が進んで、私のこともわからなくなっちゃって」
 古くなったビルも手放すことにしたという。
「ただ、問題があって……」
 みっちゃんが口ごもりながら話したのは、にいちゃんのことだった。十年前から引きこもり、めったに部屋から出てこないという。とっくに結婚でもして、自立したものと思い込んでいた。
「様子を見に行ってみるよ」
 そう言う私を、みっちゃんは不安そうに見つめ、気をつけてと言った。妹のみっちゃんも、もう何年もにいちゃんの姿を見ていないらしい。屋上と行き来するのは、伯母さんだけだったのだ。
 屋上に続く階段を上がっていく。懐かしいガラスのドアを開けると、小屋は昔のままそこにあった。ベージュの壁は黄色くくすみ、風にのって、あたりからおしっこのようなにおいがした。
「鍵にいちゃん、従妹の夏美です」
 声をかけたが返事はない。ノックをしても反応なし。ノブを回すと、ドアは手前に開いた。
「にいちゃん、入っていいかな」
 隙間から中を覗く。牛丼やカップラーメンの殻、お茶のペットボトルが落ちているが、部屋は思ったよりきれいだ。
 失礼しまーす、と足を踏み入れる。
 薄暗い六畳ほどの部屋には、湯沸かしポットと本棚ぐらいしかない。ドアの反対側の壁にベッドがあり、古びた毛布がこんもりと積み上がっている。昔は週刊誌が散らばっていた床には、「エクセルを使いこなす」「英検二級」などの本が落ちていた。
 私はフゥと息を吐き、大股でベッドに近づいた。
「にいちゃん起きて!」
 と叫び、パッと毛布をはぎとった。
 ベッドに寝ていたのは、ハロウィンの飾りのカボチャみたいに目と口がくりぬかれた、わらの束だった。
 水分が蒸発したにいちゃんのミイラなんじゃないか。そう思うとぞっとしてドアに走り寄った。階下のみっちゃんを呼ぼうと小屋から飛び出すと、ドアの外に、雲に乗ったあの宇宙人がいた。

 ほらね。
 表向き何も起こらない平穏な日常に、日本人はあぐらをかきすぎたのです。裏で何が起こっているのか見ようともせずに。
 もう私たち宇宙人の仲間なのですよ。あなたも、たぶん。
(了)