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W選考委員版「小説でもどうぞ」第3回 選外佳作 約束屋の天使/中村宵弦

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作文・エッセイ
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小説でもどうぞ
選外佳作
「約束屋の天使」
中村宵弦
「『約束屋』というカフェの店員さんと約束を交わすとご利益があるらしい」とクラスの子たちは言っていました。確かに「明日好きな人に告白します」と約束した子の恋愛が成就したなんて日常茶飯事でした。だからわたしは、約束屋さんと交わした約束を守るべく、一年間部屋から出てこない幼馴染みに会いに行ったのでした。
 彼の家に着きました。日曜日だというのに、チャイムを鳴らしても全く応答がありません。玄関扉の取っ手をゆっくり引くと、難なく開きました。
「お邪魔しまあす」
 彼が部屋から出てこなくなったのは、わたしが原因です。中学のとき、いじめられていたわたしを助けた彼が、代わりにいじめられるようになったのは、自明でした。わたしは、いじめられていた原因であるこの醜い顔にメスを入れました。そうして、高校ではいじめられなくなった一方、不細工な女をかばった彼へのいじめは日を増して激しくなっていったのです。彼は自分の殻に閉じこもり、わたしとも会ってくれなくなりました。
 彼の部屋の前に立ち、声を掛けました。
「橙矢くん、凜だよ。あの、えっと、お話しできないかな」
 返事がありません。それどころか、物音一つしないのです。
「橙矢くん、開けるよ?」
 橙矢くんの部屋は、小学生のときに遊びに来たときとほとんど変わっていませんでした。その懐かしの部屋の中に、彼はいませんでした。家の鍵もかけずに出かけるなんて、無防備にも程があります。いやさ、彼が部屋から出たことに驚きです。しかし、今そんな感慨に耽っている場合ではありません。彼を今日中に約束屋さんに連れて行かなくてはいけないのですから。それにしても、彼がどこに行きそうかなんて、皆目見当がつきません。
 彼の家から飛び出して、形振り構わず街を駆け抜けました。呼吸をするのにマフラーが煩わしく感じます。吐く息は白く、吸い込む空気はまるで肺を凍らせるかのようです。
 小学生のときに一緒に遊んだ公園、親に内緒で二人で買い食いした商店街のお店、小さい神社、路地裏。どこも見つかりません。肩で息をするわたしを、通りすがりの方々が不思議そうな顔で見ています。気にしない、気にしない、気にしない。
 あとは、わたしたちが通っていた中学校を探していません。もうとっくに太陽は沈んでいました。残る力を振り絞って、わたしは思い切り走り出しました。
 学校に着くと、正門は閉じられていました。もう辺りは真っ暗です。わたしは無我夢中でスカートをたくし上げ、門を飛び越えました。ふと屋上に目を向けると、誰かが柵にもたれて遠くを眺めているのか、全く微動だにしません。
「橙矢くん?」
 屋上の人影がこちらに振り返りました。わたしの声が届いたとは思えませんが、その人の声ははっきりと聞こえました。
「凜ちゃん?」
 やっと橙矢くんを見つけました。あとは、約束屋さんに一緒に行くだけです。果たして閉店時間までに間に合うでしょうか?
「橙矢くん、あのね、今から一緒にカフェに行こう。おいしいホットココアが飲めるお店なんだよ」
 橙矢くんはこちらを向いたまま、じっと黙っています。優しい橙矢くんなら、きっと頷いてくれるはずです。しかし、橙矢くん答えは、わたしの予想とは違うものだっただけでなく、その声はあまりに冷たいものでした。
「なんで?」
 なぜかと聞かれたら、約束屋さんとの約束を守るため……ではなかったでしたっけ?
「目的が変わってしまっていますね」
 ふと、背後から聞き覚えのある声が聞こえました。振り返ると、そこには天使のような顔をした約束屋さんが立っていました。
「あなたは元々彼を救いたいという気持ちから僕と約束を交わしたのではなかったですか? それが今となっては、約束を守ること自体が目的になっています。これはいけない」
 そうでした。わたしは、わたしを救ってくれた橙矢くんを助けたかった。部屋の外に出てほしかった。だから約束屋さん交わしたのでした。『今日中に彼を約束屋さんに連れていく』という約束を。 「でもね、約束は軽々と易々と交わしてはいけません。だからこそ、約束は信頼の上で成り立つんです。約束は、絆の証です」
 わたしは軽々と、易々と、約束屋さんと約束を交わしてしまいました。
「そして、あなたは僕との約束を破りました」
 え?
「何より約束を破る人が、僕は嫌いです」
 脳天に鈍い痛みを感じるのと同時に、意識が遠のいていきました。そして、思い切り吐いた白い息の向こうに、わたしの名前を叫ぶ橙矢くんの声が響いたのでした。
(了)