W選考委員版「小説でもどうぞ」第3回 選外佳作 約束爺さん/酔葉了
選外佳作
「約束爺さん」
酔葉了
「約束爺さん」
酔葉了
俺が小学生の頃、「約束爺さんと約束したことを守れば願い事が叶う」という都市伝説があった。クラスの皆はバカにしたが俺一人信じていた。いや、信じようとしたのかも。俺は早くに母親に死なれオヤジは再婚した。その継母がひどい奴だった。飯を食わせてくれず、ボロボロの服を着せられた。寒くていつも腹が減っていた。実子である弟を可愛がったからその差別が余計に悲しかった。オヤジは俺の言葉に泣きそうになって頷いただけ。絶望ってあんな気持ちなんだな。家に帰れず友達の家や草野球をして遅くなるまで遊んだ。一度、心配させようとわざと夜遅く帰ったけど「帰ってきたのかよ」継母は吐き捨てるように言った。あれには泣いた。そんな時、約束爺さんのことを知り、街中でその姿を探した。そもそも爺さんの顔も知らないのに。
ある日、野球の試合に向かう道でのこと。一人のみすぼらしい爺さんが俺に道を聞いてきた。行先は簡単に分かった。爺さんは言った。「ありがとよ。で、何か約束せんか? 守ったら願いを叶えちゃる」「約束爺さんみたいやね。じゃあ、今日の野球でホームラン打ったら、大人になった時にお金持ちにしてよ」私は笑って言った。「分かった。約束するわい」爺さんは優しく笑った。
試合は9回の裏、ツーアウト。打席は俺だ。急に爺さんとの約束を思い出し、俺は力一杯バットを振った。振り遅れたが早い打球がゴロで抜けた。ゴロではホームランにならない。チャンスは終わった……。しかし打球は思いの外強く、外野も抜けていった。俺は必死で走った。結果的にランニングホームラン。これだって立派なホームランだ。大きな弧を描くホームランをイメージしていた俺だが、そう祈った。
それから四十年――。
「社長、そろそろ当社設立十周年記念のパーティーの計画でもしませんか?」あまり気が進まない。
「社長のためというより、これまで当社を支えて下さったお客様や社員、ご家族、ご友人のためですよ。皆さんに感謝の気持ちをお伝えするいい機会です」専務が猫なで声で言う。
「そういうものか」俺はしぶしぶ頷いた。
あのホームランから俺は必死に努力した。まさに死に物狂いで。奨学金制度で高校を卒業し社会人となり、独立して念願の会社を設立した。最初は苦しかった。しかし、なんとか軌道に乗せ、今や年商数百億円規模の会社だ。来年には海外に支店も出す。我ながら信じられない。誰にも言っていないが、俺は約束爺さんのお陰だと信じている。どこかで会えれば少しばかりのお返しをしたいといつも手元に準備していた。
設立十周年記念パーティーの会場。数多くのお客様や社員、友人が駆けつけてくれた。
「皆さんに支えられてここまで参りました。ささやかなお礼ですが今日は楽しんでいって下さい」と、冒頭のみ挨拶し俺はずっと会場の中を来てくれた皆さんにお礼を言って回った。ここまで支えてくれた方々、ありがたい気持ちで一杯だった。ふと、小さな影が目に入った。私はすぐに分かった。
「約束爺さん、来てくれたんですね。あの時はありがとうございました。爺さんとの約束のお陰で俺はずっと頑張ってこられました」
やはり爺さんは本物だ、俺を見守ってくれていたんだと嬉しかった。用意していたお礼を手渡した。百万円ほど入っている。
「少なくて申し訳ないのですが今の俺の気持ちです。何かうまいものでも食べてください」
爺さんは受け取ってくれた。そして逆に紙封筒を手渡してきた。
「あの時、渡し漏れていた契約書の控えじゃ。すまんかったのう……」
爺さんはそれだけ言って姿を消した。
「そんなのいらないのに……。律儀な爺さんだな」
私は微笑みながら爺さんの後ろ姿を見送った。
自宅に戻り、爺さんからもらった契約書を開いた。昔の書類で黄ばんでいる。商売柄、契約書を読む癖があった。子どもの字で自署があった。いつの間にサインしたんだろう。
俺の手が止まった。願いの実現期限という条項があった。
――この願いが実現された場合、その期限は十年とする――。
ということは、間もなくってこと? やはり世の中そううまくいかないか。約束爺さんの言うことだ。仕方がない。俺は驚きよりも何故か納得感があった。でも、この会社が倒産するということは顧客や社員等に迷惑を掛けることになる。それに、これまで自分のしてきたことで唯一誇れることは、社会人になって以来、自分の手取り分から少しだが寄付や募金をしてきたことだ。自分が子供の頃苦しかった分、そんな子供を救いたくてやってきた。でも、それも難しいのかも……。手が震えた。
契約書の最後の特別条項を読む。
――ただし、他者を救おうとする行為を継続してきた者は実現期限を破棄するものとする――。
頼む、これに該当してくれ! 俺は心底祈った。
(了)
ある日、野球の試合に向かう道でのこと。一人のみすぼらしい爺さんが俺に道を聞いてきた。行先は簡単に分かった。爺さんは言った。「ありがとよ。で、何か約束せんか? 守ったら願いを叶えちゃる」「約束爺さんみたいやね。じゃあ、今日の野球でホームラン打ったら、大人になった時にお金持ちにしてよ」私は笑って言った。「分かった。約束するわい」爺さんは優しく笑った。
試合は9回の裏、ツーアウト。打席は俺だ。急に爺さんとの約束を思い出し、俺は力一杯バットを振った。振り遅れたが早い打球がゴロで抜けた。ゴロではホームランにならない。チャンスは終わった……。しかし打球は思いの外強く、外野も抜けていった。俺は必死で走った。結果的にランニングホームラン。これだって立派なホームランだ。大きな弧を描くホームランをイメージしていた俺だが、そう祈った。
それから四十年――。
「社長、そろそろ当社設立十周年記念のパーティーの計画でもしませんか?」あまり気が進まない。
「社長のためというより、これまで当社を支えて下さったお客様や社員、ご家族、ご友人のためですよ。皆さんに感謝の気持ちをお伝えするいい機会です」専務が猫なで声で言う。
「そういうものか」俺はしぶしぶ頷いた。
あのホームランから俺は必死に努力した。まさに死に物狂いで。奨学金制度で高校を卒業し社会人となり、独立して念願の会社を設立した。最初は苦しかった。しかし、なんとか軌道に乗せ、今や年商数百億円規模の会社だ。来年には海外に支店も出す。我ながら信じられない。誰にも言っていないが、俺は約束爺さんのお陰だと信じている。どこかで会えれば少しばかりのお返しをしたいといつも手元に準備していた。
設立十周年記念パーティーの会場。数多くのお客様や社員、友人が駆けつけてくれた。
「皆さんに支えられてここまで参りました。ささやかなお礼ですが今日は楽しんでいって下さい」と、冒頭のみ挨拶し俺はずっと会場の中を来てくれた皆さんにお礼を言って回った。ここまで支えてくれた方々、ありがたい気持ちで一杯だった。ふと、小さな影が目に入った。私はすぐに分かった。
「約束爺さん、来てくれたんですね。あの時はありがとうございました。爺さんとの約束のお陰で俺はずっと頑張ってこられました」
やはり爺さんは本物だ、俺を見守ってくれていたんだと嬉しかった。用意していたお礼を手渡した。百万円ほど入っている。
「少なくて申し訳ないのですが今の俺の気持ちです。何かうまいものでも食べてください」
爺さんは受け取ってくれた。そして逆に紙封筒を手渡してきた。
「あの時、渡し漏れていた契約書の控えじゃ。すまんかったのう……」
爺さんはそれだけ言って姿を消した。
「そんなのいらないのに……。律儀な爺さんだな」
私は微笑みながら爺さんの後ろ姿を見送った。
自宅に戻り、爺さんからもらった契約書を開いた。昔の書類で黄ばんでいる。商売柄、契約書を読む癖があった。子どもの字で自署があった。いつの間にサインしたんだろう。
俺の手が止まった。願いの実現期限という条項があった。
――この願いが実現された場合、その期限は十年とする――。
ということは、間もなくってこと? やはり世の中そううまくいかないか。約束爺さんの言うことだ。仕方がない。俺は驚きよりも何故か納得感があった。でも、この会社が倒産するということは顧客や社員等に迷惑を掛けることになる。それに、これまで自分のしてきたことで唯一誇れることは、社会人になって以来、自分の手取り分から少しだが寄付や募金をしてきたことだ。自分が子供の頃苦しかった分、そんな子供を救いたくてやってきた。でも、それも難しいのかも……。手が震えた。
契約書の最後の特別条項を読む。
――ただし、他者を救おうとする行為を継続してきた者は実現期限を破棄するものとする――。
頼む、これに該当してくれ! 俺は心底祈った。
(了)