W選考委員版「小説でもどうぞ」第3回 選外佳作 きっと帰ってくる/川畑嵐之
選外佳作
「きっと帰ってくる」
川畑嵐之
「きっと帰ってくる」
川畑嵐之
私の故郷は山深い村です。中学まで遠い学校まで自転車こいで通っていました。高校は寮生活、大学から一人暮らし、そのあとは都会で社会人をやっています。
子供の頃はまだ両親も農業をやっていました。おばあさんはそうそうに亡くなってしまっていましたが、おじいさんもふくめて家族四人でぶどうなどを作っていたのです。
私が小学生の頃、夏休みに海に行くというので楽しみにしていました。ところが前日に私は体調をくずしてしまい、クルマで山越え谷越えして行かなければならないのにしんどかろうと両親に置いて行かれました。もちろん自分としては行きたく、たいへん残念でした。置いて行かれたのはじいさんが元々残る予定だったというのもあったからです。
農作業はじいさんにまかせ、幼い私はまだ農作業をどうすることもできません。ところが快晴で農作業日和だったのに急変し、暗雲がたれこめてきたのです。日中なのに夜みたいになって豪雨が降り注いできたのです。
幸い急変をさっして、じいさんは家にもどってきていました。二人で雨戸を閉めきり、灯りをともした屋内で激しい雨の音を聴いていました。
「あかん」とじいさんが脱いでかけてあった雨具を着きようとしだすのです。
「じいちゃん、何するとや」
「わし、ビニールハウス見てくるわ」
「行ったらあかん。ひどい雨じゃけぇ」
「ちゃんと水流れるようにしとかんと、売りもんにならんのじゃ」
「いま行ったらあかん」
「大丈夫じゃ。わしは何年生きとる思とる」
「いやじゃ。行ったらあかんのじゃ」しがみついて止めました。
「心配するな。わしが嘘言うたことあるか。かならずもどってくる」
私は力いっぱい脚を押さえます。
「離さんかいな」
泣き叫びながら離しません。じいさんはしゃがんで顔を近づけ、まじまじと目をのぞきこみながらこう言いました。
「ええか。わしはきっと帰ってくる。おまえがおるさけぇのう。男の約束じゃ」と小指をさしだします。
指きりをすると行ってしまうので手を隠しました。じいさんに強引に手をとられ、させられました。
「わかったな。じっとしておれよ。そのうち雨もやむじゃろうから」
じいさんは雨中に飛び出すと、雨戸をぴったりと閉めて行ってしまいました。あいかわらず激しい雨音が続きました。不安がつのります。さびしさもあって、いっそのこと自分も一緒に行ったらよかったとさえ思うようになりました。でもこうなってしまっては待つしかありません。電話はどういうわけか受話器をあげてもなんも音もしません。ひたすら待つしかなかったのです。待っても待っても帰ってこないので、ふとんを被って寝てしまいました。
やがて雨戸の隙間から外の明るい陽射しを感じます。はっと目が覚め、じいさんの名前を呼びました。反応がありません。家じゅう捜してもいないのです。外へ飛び出しました。
雨はすっかりあがっていて嘘のように天気が良いのです。そこへ自転車に乗った近所のおじさんが通りかかりました。
「よう、大丈夫じゃったか。きのうの雨はひどかったのう」
「じっちゃんが畑見に行って帰っとらん」
おじさんの顔色が変わり、自転車のうしろに乗せてもらって畑を見に行きました。ビニールハウスは排水がうまくいったようで無事でした。じいさんを探し回りますがいません。
畑はもう一か所あるので、そこに行こうということになりました。途中の川が茶色く濁って溢れそうになっていて驚きました。すぐ水面が近づいていてぎりぎり渡れる橋の上に自転車がひっかかっているのを発見しました。それはじいさんが乗って行ったはずの自転車でした。もしやと川沿いを下ることになりました。流されてしまったんじゃないかと不安がどんどんつのります。
遠目にも流木が突き出ているところがあって、そこに何かひっかかっているのがわかりました。
急いで確認しにいくとじいさんでした。
こちらに気づくと、じいさんを弱弱しく手を振ってきました。
その後、じいさんはおじさんが呼んだレスキュー隊に助けられました。
「川に落ちてしもうて流されたんじゃ。でもうまいこと木につかまれたわ」
どんだけ運が良いんじゃと叩いてやりました。
あのときほど嬉しく、ほっとしたことなどなかったのでした。
(了)
子供の頃はまだ両親も農業をやっていました。おばあさんはそうそうに亡くなってしまっていましたが、おじいさんもふくめて家族四人でぶどうなどを作っていたのです。
私が小学生の頃、夏休みに海に行くというので楽しみにしていました。ところが前日に私は体調をくずしてしまい、クルマで山越え谷越えして行かなければならないのにしんどかろうと両親に置いて行かれました。もちろん自分としては行きたく、たいへん残念でした。置いて行かれたのはじいさんが元々残る予定だったというのもあったからです。
農作業はじいさんにまかせ、幼い私はまだ農作業をどうすることもできません。ところが快晴で農作業日和だったのに急変し、暗雲がたれこめてきたのです。日中なのに夜みたいになって豪雨が降り注いできたのです。
幸い急変をさっして、じいさんは家にもどってきていました。二人で雨戸を閉めきり、灯りをともした屋内で激しい雨の音を聴いていました。
「あかん」とじいさんが脱いでかけてあった雨具を着きようとしだすのです。
「じいちゃん、何するとや」
「わし、ビニールハウス見てくるわ」
「行ったらあかん。ひどい雨じゃけぇ」
「ちゃんと水流れるようにしとかんと、売りもんにならんのじゃ」
「いま行ったらあかん」
「大丈夫じゃ。わしは何年生きとる思とる」
「いやじゃ。行ったらあかんのじゃ」しがみついて止めました。
「心配するな。わしが嘘言うたことあるか。かならずもどってくる」
私は力いっぱい脚を押さえます。
「離さんかいな」
泣き叫びながら離しません。じいさんはしゃがんで顔を近づけ、まじまじと目をのぞきこみながらこう言いました。
「ええか。わしはきっと帰ってくる。おまえがおるさけぇのう。男の約束じゃ」と小指をさしだします。
指きりをすると行ってしまうので手を隠しました。じいさんに強引に手をとられ、させられました。
「わかったな。じっとしておれよ。そのうち雨もやむじゃろうから」
じいさんは雨中に飛び出すと、雨戸をぴったりと閉めて行ってしまいました。あいかわらず激しい雨音が続きました。不安がつのります。さびしさもあって、いっそのこと自分も一緒に行ったらよかったとさえ思うようになりました。でもこうなってしまっては待つしかありません。電話はどういうわけか受話器をあげてもなんも音もしません。ひたすら待つしかなかったのです。待っても待っても帰ってこないので、ふとんを被って寝てしまいました。
やがて雨戸の隙間から外の明るい陽射しを感じます。はっと目が覚め、じいさんの名前を呼びました。反応がありません。家じゅう捜してもいないのです。外へ飛び出しました。
雨はすっかりあがっていて嘘のように天気が良いのです。そこへ自転車に乗った近所のおじさんが通りかかりました。
「よう、大丈夫じゃったか。きのうの雨はひどかったのう」
「じっちゃんが畑見に行って帰っとらん」
おじさんの顔色が変わり、自転車のうしろに乗せてもらって畑を見に行きました。ビニールハウスは排水がうまくいったようで無事でした。じいさんを探し回りますがいません。
畑はもう一か所あるので、そこに行こうということになりました。途中の川が茶色く濁って溢れそうになっていて驚きました。すぐ水面が近づいていてぎりぎり渡れる橋の上に自転車がひっかかっているのを発見しました。それはじいさんが乗って行ったはずの自転車でした。もしやと川沿いを下ることになりました。流されてしまったんじゃないかと不安がどんどんつのります。
遠目にも流木が突き出ているところがあって、そこに何かひっかかっているのがわかりました。
急いで確認しにいくとじいさんでした。
こちらに気づくと、じいさんを弱弱しく手を振ってきました。
その後、じいさんはおじさんが呼んだレスキュー隊に助けられました。
「川に落ちてしもうて流されたんじゃ。でもうまいこと木につかまれたわ」
どんだけ運が良いんじゃと叩いてやりました。
あのときほど嬉しく、ほっとしたことなどなかったのでした。
(了)