W選考委員版「小説でもどうぞ」第3回 佳作 ミクちゃんとの約束/ササキカズト
「ミクちゃんとの約束」ササキカズト
「ミクちゃん、来たよ」
僕は、ささやき声が動画に入るよう、スマホに口を近づけた。彼女を起こさないように、そっと入口の鍵を開ける。ほんとは話をしたいけど、仕事で疲れているだろうから、寝顔だけ見て帰るつもりだ。約束通り来たっていう証拠のために、動画を撮っているのだ。
彼女が住むのはアパートの三階。どの部屋も寝静まった深夜三時。ドアの開け閉めの僅かな音も大きく感じる。忍び足でリビングを通り過ぎ、ゆっくりと寝室の引き戸を開けた。
ベッドで休む彼女。寝顔がかわいい。僕が彼女のところに遊びに来られるのが、こんな深い時間でなければ……。
僕はそーっとベッドに近づき、彼女の寝顔を動画に収める。
「ミクちゃん、ぐっすり寝てます。とってもかわいい寝顔です」
ヒソヒソ声で実況したつもりが、「う~ん」と言って布団をかぶろうとする彼女。
「やばいやばい」
笑いをこらえながら後ずさりすると、足に何かが当たった。足で押してしまった椅子が、化粧台のテーブルにガツンとぶつかり、何かの瓶がガタンと倒れ、ゴトンと床に落ちた。
ぱっと目を覚ました彼女が、眠そうな目でこちらを見た。びくりとなって目を見開き、
「何? 誰?」と言った。
「起こしちゃってごめん」と僕。
「え? 誰? 誰なの?」
「あ、僕だよ、僕。何度も会ってるだろ」
「だ……誰? 誰、誰、だれ!」
彼女は枕元からスマホを取り出し、画面の光で僕を照らした。
「怖い怖い怖い!」
「約束したから来ただけだよ」
「約束って何!」
「また来るって約束」
「そんなの知らない! あなた誰? 出てって下さい、警察呼びますよ!」
「わかったよ。出て行くから落ち着いて」
僕は仕方なく退散することにした。毎回ライブで、客席の僕のこと見てるはずなのに。握手会だって何度も行ってるから、覚えてないはずないのに。
部屋を出るとき、震えながらスマホを操作しようとしている彼女がチラッと見えた。警察でも呼ぶつもりかな。
急いで靴を履いて、玄関のドアを開けたら警察官が立っていた。
「ちょっといいかな。不法侵入だよね」
なぜもう警察が?
「いえ。彼女と約束が……」
「お巡りさん、変質者です、捕まえて!」
リビングからミクちゃんが叫んだ。
……酷い。僕が世界で一番ミクちゃんのこと大好きなのに。
警察官が三人がかりで僕を取り囲む。僕は部屋の中のミクちゃんに言った。
「ミクちゃん! ひと月前に、部屋に鍵を置いたまま出掛けて行ったのは、僕のためだよね。合鍵作って、いつでも部屋に入っていいってことでしょ!」
「……そういえば、鍵忘れたことあったけど。まさか、あのときに」
「君の生活の邪魔をしないように、夜中にしか会いに来てないんだよ! いつもまた来るよって、君の寝顔に約束したから!」
「そんなの知らない! 何度も来てたの?」
「週に二~三回しか来てないよ。君たちがメジャーデビューした大事な時期だから遠慮したんだよ。アイドルの君たちが、今一番大事なときだってわかってるよね。僕みたいなコアなファンって、すっごく大事な存在だよね? 警察呼ぶなんて酷いよ」
「わたしは……電話してない」
「公衆電話から匿名で通報があったんだよ。この部屋に侵入している男がいるってな。きっと通りがかりの人だろ」と、僕を押さえている警官が言った。
「僕は誰にも見られてないはずだ。普通に鍵で入ってるから、怪しまれないはずなのに」
「ま、とにかく、署で話を聞こうか」
僕は、アパートの通路から辺りを見回した。道路を挟んだ向かい側には二階建ての住宅が並び、どの家も電気が消えている。その向こうに十階建てくらいのマンションが見える。ベランダの窓の一部屋だけ灯りが点いている。ほんの少しカーテンに隙間があって、人影が見える。
あいつだ。こっちを見ている。
こんな時間にこのアパートを見ているのは変だ。あいつ絶対ミクちゃんのストーカーだ。僕にはわかる。あいつは自分がストーカーだから、匿名で通報したんだ。許さない!
……でも警察には言わない。
僕は警官に引っぱられながら、大きな声でミクちゃんに言った。
「僕が絶対に守ってあげるからね! 約束する!」
(了)
僕は、ささやき声が動画に入るよう、スマホに口を近づけた。彼女を起こさないように、そっと入口の鍵を開ける。ほんとは話をしたいけど、仕事で疲れているだろうから、寝顔だけ見て帰るつもりだ。約束通り来たっていう証拠のために、動画を撮っているのだ。
彼女が住むのはアパートの三階。どの部屋も寝静まった深夜三時。ドアの開け閉めの僅かな音も大きく感じる。忍び足でリビングを通り過ぎ、ゆっくりと寝室の引き戸を開けた。
ベッドで休む彼女。寝顔がかわいい。僕が彼女のところに遊びに来られるのが、こんな深い時間でなければ……。
僕はそーっとベッドに近づき、彼女の寝顔を動画に収める。
「ミクちゃん、ぐっすり寝てます。とってもかわいい寝顔です」
ヒソヒソ声で実況したつもりが、「う~ん」と言って布団をかぶろうとする彼女。
「やばいやばい」
笑いをこらえながら後ずさりすると、足に何かが当たった。足で押してしまった椅子が、化粧台のテーブルにガツンとぶつかり、何かの瓶がガタンと倒れ、ゴトンと床に落ちた。
ぱっと目を覚ました彼女が、眠そうな目でこちらを見た。びくりとなって目を見開き、
「何? 誰?」と言った。
「起こしちゃってごめん」と僕。
「え? 誰? 誰なの?」
「あ、僕だよ、僕。何度も会ってるだろ」
「だ……誰? 誰、誰、だれ!」
彼女は枕元からスマホを取り出し、画面の光で僕を照らした。
「怖い怖い怖い!」
「約束したから来ただけだよ」
「約束って何!」
「また来るって約束」
「そんなの知らない! あなた誰? 出てって下さい、警察呼びますよ!」
「わかったよ。出て行くから落ち着いて」
僕は仕方なく退散することにした。毎回ライブで、客席の僕のこと見てるはずなのに。握手会だって何度も行ってるから、覚えてないはずないのに。
部屋を出るとき、震えながらスマホを操作しようとしている彼女がチラッと見えた。警察でも呼ぶつもりかな。
急いで靴を履いて、玄関のドアを開けたら警察官が立っていた。
「ちょっといいかな。不法侵入だよね」
なぜもう警察が?
「いえ。彼女と約束が……」
「お巡りさん、変質者です、捕まえて!」
リビングからミクちゃんが叫んだ。
……酷い。僕が世界で一番ミクちゃんのこと大好きなのに。
警察官が三人がかりで僕を取り囲む。僕は部屋の中のミクちゃんに言った。
「ミクちゃん! ひと月前に、部屋に鍵を置いたまま出掛けて行ったのは、僕のためだよね。合鍵作って、いつでも部屋に入っていいってことでしょ!」
「……そういえば、鍵忘れたことあったけど。まさか、あのときに」
「君の生活の邪魔をしないように、夜中にしか会いに来てないんだよ! いつもまた来るよって、君の寝顔に約束したから!」
「そんなの知らない! 何度も来てたの?」
「週に二~三回しか来てないよ。君たちがメジャーデビューした大事な時期だから遠慮したんだよ。アイドルの君たちが、今一番大事なときだってわかってるよね。僕みたいなコアなファンって、すっごく大事な存在だよね? 警察呼ぶなんて酷いよ」
「わたしは……電話してない」
「公衆電話から匿名で通報があったんだよ。この部屋に侵入している男がいるってな。きっと通りがかりの人だろ」と、僕を押さえている警官が言った。
「僕は誰にも見られてないはずだ。普通に鍵で入ってるから、怪しまれないはずなのに」
「ま、とにかく、署で話を聞こうか」
僕は、アパートの通路から辺りを見回した。道路を挟んだ向かい側には二階建ての住宅が並び、どの家も電気が消えている。その向こうに十階建てくらいのマンションが見える。ベランダの窓の一部屋だけ灯りが点いている。ほんの少しカーテンに隙間があって、人影が見える。
あいつだ。こっちを見ている。
こんな時間にこのアパートを見ているのは変だ。あいつ絶対ミクちゃんのストーカーだ。僕にはわかる。あいつは自分がストーカーだから、匿名で通報したんだ。許さない!
……でも警察には言わない。
僕は警官に引っぱられながら、大きな声でミクちゃんに言った。
「僕が絶対に守ってあげるからね! 約束する!」
(了)