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W選考委員版「小説でもどうぞ」第3回 佳作 義父に会いに行く/前川暁子

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作文・エッセイ
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小説でもどうぞ
「義父に会いに行く」前川暁子
 気がつくと、ひんやりとした暗闇の中にいた。ここはどこ。足がつかないプールに浮いているような感覚。でも気分は悪くない。

 そばに誰かいる。
 暗闇を見つめると、ろうそくで照らしたみたいにぼおっと、男性の顔が浮かんだ。にっと笑ってる。『不思議の国のアリス』のチェシャ猫みたい。タレ目でぽっちゃりした輪郭。会った覚えはないけれど、懐かしい顔立ち。

「マイちゃんやな、はじめまして」
 うわ、話しかけてきた。
「そら驚くわな。墓の中で話しかけられたら」
「はが、ゲホッ、ゴホッ」
 すごいがらがら声だ。
「慣れるまで話しづらいやろ」
 男性は気遣うと、神妙な顔つきになった。
「マイちゃんほんまに気の毒やったな。歩道にいたのに、まさか車がつっこんで来るとは」
「ぐるま」
 やっぱり。なんかおかしいなと思っていた。

 金曜の仕事帰りに有楽町をぶらついたのは覚えている。「夜は鍋でいいよね」と涼太にLINEを送り、ルミネを出て駅に向かって歩き出した。途端、キキキィッ!とつんざくような音がして、振り向いたのだけど。
 そこでぷつっと記憶が途切れる。
「しかも相手はポルシェや。すっ飛ばされてビルの壁にぶつかって、マイちゃん痛かったやろ。ほんまに可哀想に」
 すごい、有楽町でポルシェにはねられて死んだんだ。痛かった覚えがないのが不幸中の幸い。いや、幸いではないけども。

 はっとして確認した。
「わだし、顔づぶれでまず?」
「いまは元どおり、きれいやから心配ないよ」
 いまは元どおりか。ぐっちゃーといったんだな。その後のもろもろを引き受けた涼太は辛かったろう。ごめん、涼太。
 私は男性に向き直って聞いた。
「あのう、お会いしたごとありましだけ?」
 男性はきょとんとした後、ぴしゃりと自分のおでこをたたいて言った。
「いやあごめんなさい、ぼくカンジです。山本完次。涼太の父です。ほんまに涼太が世話になって」
 えっ、なんと。

 お義父さん。

 どうりで見覚えのあるタレ目。頭と足首をつかんで伸ばしたら涼太の形に近づく。どうりで大阪弁。
「お義父さん……やっぱお若い」
 そう言うと、義父はちょっと寂しそうな顔をした。
「そらそや、ぼくガンで死んだの三十八の時やもん。涼太は中2やった」
 病院から連絡があって、学校から走って行ったと涼太が話していた。お互い、どれだけ寂しかったか。
「私と同い年」
「そや、ぼくら同級生や」
 義父は楽しそうに笑った。

「いつも墓参りに来てくれて、嬉しかったわ」
「たまにしか行けなくて」
 うまく話せるようになってきた。
 待てよ、てことは。
「私は大阪のお義父さんのお墓にいるんでしょうか」
「そや。よう来てくれて」

 私は埼玉の生まれだ。「じゃりン子チエ」を愛読してきたし、大阪のことばも食べ物も風土も大好きだ。
 でも墓に入るのは違う。
「急死とて、夫の実家の墓に入れるかなぁ」
「長男のお嫁さんやからありうるけど。時代も変わったし。お隣もこないだ墓じまいしはって」
 右隣にあったお墓はいつのまにか更地になっていた。

 子ども時代の思い出もない町の墓に、会ったこともない夫の祖先と入る。日本の女って当たり前みたいになかなかしんどいことをやってきた。
「ちょっとググってみます」
 ポケットをさぐるそぶりをすると、あった、スマホ。
「長男の嫁 墓」で検索。
 嫁ぎ先の墓に入る義務はない。そらそうだ。でもこんなコメントがずらりと出てくる。

『あなたは子どもに二つの墓を見させるのですか。金額的にも倍の負担になりますよ』
『死んでまでいがみ合わないで』
『お墓は生きている人のためのもの』

 女性へのプレッシャーすごい。スマホをしまい、ため息をついた。
「涼太も家にお骨を置いときゃいいのに」
「墓に入れて区切りをつけろと、ひつこく勧められたんちゃう? もう一年なるし」
 私が死んで一年もたつんだ。
「マイちゃんは、ここ出ていきたいんかな」
「まあ、そう、ですねえ」
 私は遠慮がちに言った。
「いいと思う。でもぼくは嬉しかったで、マイちゃんみたい話し相手ができて」
「私もお義父さんに会えて嬉しいです」
 正直な気持ちだ。
 でも、ふつふつ湧き上がるこの違和感は?
 仮に涼太が再婚したら、そのお相手もここに来るんかい。どれだけ女の意思を無視。怒りで韻踏んじゃうよ。死んでも嫌。

「お義父さん、私ちょっと東京行ってきます」
「涼太のとこ? 化けて出るか」
「はい、枕元に立ってみます。墓からだせえーて」
「あいつ怖がりやからちびるで」
「ただ、戻ってきてもいいですか」
 ニヤニヤしていた義父が顔を上げた。
「涼太が迎えに来るまで、ここでお義父さんともっと話したいんです。涼太の子どものころの話とか、お義母さんとの出会いとか、いろいろ教えてください」
 義父はうなずいた。
「待ってるよ。気いつけて行っといで」
「約束です。行ってきます」

 義父に手を振ると、私は水蒸気みたいに墓石からシューッと外に出た。夕暮れの大阪の空に舞い上がり、一路東へとスピードをあげた。
(了)