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W選考委員版「小説でもどうぞ」第3回 佳作 死後の世界/相浦准一

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作文・エッセイ
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小説でもどうぞ
「死後の世界」相浦准一
「分かるか? 俺だよ」
 振り返ると、そこには青年が立っていた。
 私は戸惑った。孫の友達だろうか。でも見覚えがない。
「ごめんよ。びっくりさせてしまって。ほら、夫の研二だよ」
「研二さん?」
 思わず問いかけてしまってから、私は自分が可笑おかしくなった。昨年癌で亡くなった夫の名前を彼が口にしたため、つい繰り返してしまった。しかし、どう考えたって目の前にいる青年が夫であるわけがない。
 これはきっと、独り身の老人を狙った詐欺だ。どこかで夫の名前を調べてきたのだろう。
「そうですか。そりゃ結構なことですね」
 そっけなく答えると、再び歩き始めた。
「ゴローのお世話ありがとう」
 私は青年の顔をまじまじと見つめた。
 ゴローというのは、夫が晩年飼い始めた水生昆虫のゲンゴロウの名前だ。散歩中に田んぼで見つけたらしい。彼は懐かしいなぁと言いながら嬉しそうに水槽を眺めていた。正直私は昆虫に興味がなかったが、ゴローの世話をしていると一人暮らしの寂しさが紛れた。
 なぜこの青年は、ゴローのことまで知っているのだろうか。色々な可能性に考えを巡らせていると、彼は再び口を開いた。
「約束を果たすために、体を借りてきた。ほら、死後の世界があるのか教えてほしいって言ってたろ? こっちは幸せだぞ。毎日好きなことができるから、相変わらず虫採りと卓球ばっかりしてる。お前がいなくてちょっと寂しいけどな。だからその時が来ても、怖がらないで大丈夫だぞ」
 私は震える声で問いかけた。
「本当に研二さんなの?」
「だからそうだって言ってるだろ」
「うそよ。信じられないわ」
 すると、彼は空を見上げた。
「すまん、あまり時間がないんだ。とにかくお前もこっちに来たら絶対楽しめるから。それまで幸せに生きるんだぞ」
 そう言うと、青年はすごい勢いで元来た道の方へ走り出した。あっという間に、その背中が小さくなる。
 あの約束のことまで知っているとなると、夫以外には考えられない。私はたまらず、その場にしゃがみこんだ。涙が止めどなく溢れてくる。久しぶりに夫の存在を近くに感じられて、胸が締めつけられるようだった。

 ***

 振り返ると、後ろには誰もいなかった。さすがにあの歳では追いかけてこないだろう。膝に手をついて休んでいると、ようやく呼吸が落ち着いてきた。
 あの日、同じ卓球教室に通っていた研二さんは、練習のあと僕をファミレスに誘った。
 年は離れているが、彼とは仲がよかった。おじいちゃんと孫みたいだねと、卓球教室の先生からはよく言われた。
 注文を終えると、僕は尋ねた。
「今日はどうしたの? ご馳走するからご飯食べに行こうだなんて。珍しいじゃん」
 すると彼は、いつになく真面目な顔をした。
「実は癌が見つかったんだ。あまり先は長くないらしい」
「えっ」
 言葉を失った僕に対して、研二さんは淡々と要件を伝えた。
「ひとつお願いがあるんだ。俺が死んだら妻に会いに行ってくれないか」
 何かの冗談かと思いたかったが、彼の眼差しを見て、真実だと悟った。
「昔彼女と約束したことがあってさ。先に死んだ方が、死後の世界があるのかどうか教えに来ようって。でも、正直そんなものは存在しないと思っている。死んだら何もかもが消えてなくなってしまうだけだろう」
 僕は小さく頷いた。
「そこでだ。俺の魂が乗り移ったフリをして、この紙に書いてあることを妻に伝えてほしいんだ。会ったことないから知らないだろうけど、彼女とても寂しがりやなんだ。俺が死んでも明るく生きていってほしいんだよ」
 紙に書かれた台詞を読んで、僕は苦笑した。
「なるほど。演技力が試されるね。でも、分かったよ。必ず伝える」
 研二さんの住所は教えてもらっていたし、彼から預かった写真があったから、奥さんを探し出すのは難しくなかった。
 おそらく彼女は信じてくれただろう。その目には、涙が浮かんでいた。
 嘘をついたことに少し罪悪感を覚えたが、これは人を幸せにするための嘘だからいいんだと、自分に言い聞かせた。
 研二さんは今どうしているのだろう。死後の世界はあったのだろうか。そんなことを考えていると、たまらなく彼に会いたくなった。
(了)