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第57回「小説でもどうぞ」佳作 土曜日のマンマミーア 田中ダイ

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小説
小説でもどうぞ
第57回結果発表
課 題

裏切り

※応募数434編
土曜日のマンマミーア 
田中ダイ


 二度寝を決めこんでいた土曜日の朝に、アパートのチャイムが鳴った。
 姉ちゃーん、おねが……と言いかけたのを取り消し、わたしはもっさりと起き上がった。姉はそうだ、ゆうべ遅くに帰ってきて、気分が悪いって寝込んでたな。しょうがない、出てやるか。優しい妹だな、わたしは。
 はいはいとドアを開けると、わたし以上にもっさりとした男性が突っ立っていた。
「あの、返金です。一万円。大丈夫。受け取って。集金の。この前のあれで」
 ブツ切りの単語を連発し、彼はこちらに茶封筒を押し付けて去っていった。なんなの、あれ。
 でも部屋に戻り、封筒の印字を見て思い出した。かなり前に何万円か払った、アパート組合の修繕費だか管理費だかの集金封筒だ。中には確かに一万円札が一枚。おお、ラッキー。つまりこれって、フリーな一万円だ。
 姉ちゃーん、いちまんえーんと、はしゃぎそうになるのをまた飲みこんだ。ちょっと待て。もしや『なぽり譚』の一万円コース行けちゃうんじゃない?という考えが頭をよぎる。土曜日だし、仕事は休みだし、予定もないし。
 なぽり譚は近所のおしゃれイタリアンの店で、コースは一万円から。お金に余裕ができたら、二人で行こうと姉と約束してたのだ。
 ああ行きたいな、おいしいイタリアン。よだれが出そうになるのを我慢して、姉の部屋のドアを細く開けた。
「姉ちゃん、どう具合は?」
「うーん、今日一日寝てれば大丈夫」
「あのさあ、出かけてきてもいい?」
「いいよいいよ、いってらっしゃい」
 ありがと、おだいじにねと、わたしはドアをそおっと閉めた。
 よし。具合の悪い姉ちゃんを気遣って、寝起きすっぴんで返金の対応をしたのは、わたしだ。それに昨日までの一週間、文句も言わずに働いた。それにあれだ、この前姉ちゃんの代わりにゴミも出してあげたし。少々良心が咎めるが、こんなチャンスはめったにない。
 予約もせず、だめもとの来店だったから、満席なら、またきまーすとにっこり会釈して帰る気だった、嘘じゃなく。ところが一番隅の、大きくなりすぎた観葉植物のせいで窮屈なおひとりさま席が、奇跡的に空いていたのだ。
「マンマミーアコースをお願いします」
 気がついたときにはそう言っていた。テーブルに、食前酒とカトラリーが美しく置かれた。もう引き返せないぞ、わたし。
 それは噂どおりの、最高のフルコースだった。たったいま海から上げられたかのような、タコのカルパッチョの新鮮さ。太陽をしっかり浴びただろう完熟のトマトパスタの濃厚さ。表面をカリッと焼いた、グリルチキンのあふれる旨み。
 口に運ぶたびに、あーおいしい、生きててよかったーと言いそうになる。でもそう思う一方で、なんでかな、やっぱり胸の奥がちくちくと痛む。一万円に目がくらんで、姉ちゃんとの約束、破っちゃったよ。脳みそがとろけそうなチョコレートタルトをつついてるのに、罪悪感がにじんでくる。おもいきり味わいたいのに、心は重くなるばかりだ。
「サービスのナポリ風ピッツァでございます」
 とどめを刺すように、熱々のホールピザが運ばれてきた。無理だ。これはもう、ひとりでは到底食べきれない。
 包んでもらったお持ち帰りのピザをかかえて、わたしは帰宅した。正直に話して姉ちゃんに謝ろう。もしも許してくれたら、ふたりで仲良くピザを食べよう。
 ところがドアを開けるなり、突進してきて謝りだしたのは姉だった。
「ほんとうにごめん、いやごめんなさい。返金のこと黙ってて。あんたとの約束を反故ほごにして二万円、使っちゃって」 
「は? ごめんなさいはわたしだよ。一万円だけど。ほら、これ例のなぽり譚のピザ」
 かみ合わないままにピザを手渡すと、姉が目をむいた。
「えーなんであんたも? わたしも昨日死ぬほど食べたんだってば!」
 どういうこと? 今朝の封筒には一万円しか入ってなかったぞ。それに体調不良は、まさかの食べ過ぎが原因だと?
 昼寝してたのよ、昨日は早番明けだったからと、姉ちゃんは言った。そこへアパート組合からの返金があった。ぴったり二万円。寝ぼけた頭で思いがけない臨時収入に舞い上がった姉は、彼氏に連絡して、なかば強引になぽり譚へ繰り出したのだという。
「か、彼氏いい?」
 失礼ながら姉ちゃんとロマンスが結びつかない。
「ど、どんなひと?」
「どんなって、会ったでしょ、今朝」
 マンマミーア! あのひとか、あの……。
 わたしが泡を喰ってるのにおかまいなく、それでさあ、と姉ちゃんは続けた。あんたに内緒のお金だって言ったら、叱られちゃってさと、もはやこれはのろけ話か。
「僕から妹さんに一万円出すから、ちゃんと謝ってね、だって。妹さんが何にお金を使っても責めないで、とも言ってた。いいひとなんだよ、すっごく。今度は三人で行こうね、なぽり譚」
 確かにすっごくいいひとだ。わたしはやけくそで一番聞きたいことを口にした。
「それでプロポーズ、した? された?」
「うん。わたしから言った。妹はともかく、あなたのことは一生裏切りません、ってね」
(了)