第57回「小説でもどうぞ」佳作 浮気清浄機 さかいたま


第57回結果発表
課 題
裏切り
※応募数434編
さかいたま
生成AIとの魂の問答の末に、インターネットの細かい網の目の中からついにその商品を見つけた時、俺はデスクの下で小さくガッツポーズをした。
浮気清浄機。
くだらないダジャレのような商品名であるが、俺はいたって真剣だった。
そもそもの始まりは、生成AIに「妻に浮気がバレない方法」を相談したことだった。最初は「こまめに連絡をしろ」だの「態度は変えるな」だの、紋切り型の回答しか寄越さなかったAIだったが、深夜に及ぶほどのディープな対話を繰り返すうち、それはいつしか「お悩み相談室」の様相を呈し始めた。そして質問の解像度を極限まで高めていくと、AIはついに「隠しコマンド」のような回答を弾き出したのだ。
『あなたの状況に最適なソリューションは、物理的なデバイスの導入です。一般の市場には出回っていない、ディープウェブのショッピングサイトで販売されている「浮気清浄機」を推奨します』
最初からそれを教えてくれよ、とも思ったが、安易にそれを答えないのは、浮気を是としない、生成AIなりの倫理観とか道徳観によるものだろう。
俺は三ヶ月ほど前から、ひとまわり年上の女性上司とラブホテルでの密会を繰り返している。こいつは立派な不貞行為である。「熟女好きか」というツッコミはいったん脇へ置いておこう。妻には、まだバレてはいない。はずである。
きっかけは、三月の送別会だった。飲み会がお開きになった後、たぶん酔った勢いで、気付けばその人とラブホテルのベッドにいた。もちろんお互いに裸だった。これは事故だ。いわば、もらい事故みたいなものだ、と自分に言い聞かせた。
しかし、一度踏み越えた一線は、二度目からは踏み越えるのも容易な、ただの境界線になる。翌週には「先日の反省会」という件名でメールが来て、またラブホテルに行った。とくに何を反省するでもなく、男女の営みを行い、そのまた翌週からはメールの件名が「定例会」へと変わった。当初は二週に一度、それが今では週に一度。俺もまた、抗いがたい背徳感に身を任せ、今や「ラブホテル使い過ぎサラリーマン」と後ろ指をさされてもおかしくない人間と成り果てていた。
そこへ現れたのが、浮気清浄機だ。
見た目は完全に「空気清浄機」でありながら、商品説明によれば、そいつは高度な量子センサーとフェロモン中和機能を備え、たとえばラブホテル特有の安っぽい芳香剤の匂いや、浮気相手がつけている香水の微量な粒子、そして何よりも、浮気をしている人間に特有の「後ろめたさ」が発する微弱な電磁波までも感知し、俺であれば、完全無害な「残業帰りの夫」のオーラへと浄化してくれるというのだ。
そんな馬鹿な話があるか、とも思ったが、ディープウェブでの口コミ評価はやたらと高かった。
商品の届け先を会社に指定しておき、数日後、届いたダンボール箱を抱えて、俺は鼻歌まじりの軽やかな気分で帰宅した。
空気清浄機の「ふり」をしたこいつを玄関のところに置いておき、女上司との密会の後で帰宅した夜は、部屋に入る前にささっと全身に清浄機の吐き出す空気を浴びてしまえば、服に微かについた不自然な匂いを中和し、俺の体にまとわりついた「後ろめたさ」も浄化されて、いつか妻にバレてしまうのではないかという、修羅場を招くような事態に怯える必要はなくなるのだ。
玄関のドアを開け、俺はいつものように、いや、いつも以上に声を張り上げて「ただいま」と告げた。
ところが、である。玄関に一歩踏み入れた瞬間に、俺の足は止まり、思考が凍りついた。小さな玄関ホールの特等席に、見覚えのある「それ」が鎮座していたからだ。スリムなタテ置き型の、メタリックブラックのスタイリッシュなフォルム。俺が今、腕の中に抱えて持ち帰ってきたものと寸分違わぬ「浮気清浄機」である。
おいおいおい、なぜ、同じものがここにある? 妻が買ってきたのか?
心臓は早鐘を打ち、冷や汗が背中を伝って落ちた。
この機械を買う理由は、ひとつしかない。であるならば、これを買った妻も、俺と同じようにどこかの誰かと「定例会」という名の不貞行為を働いているということなのか。疑念が凄まじい勢いで脳内を駆け巡った。
そして俺が反射的に次にとった行動はといえば、ひとまず抱えていたダンボール箱を玄関の外へと押し出すことだった。今ここで、同じものを持って入るわけにはいかない。それは自白に等しい。修羅場だ。
「あ、おかえり」
廊下の奥から、妻がひょっこりと顔を出した。いつものように明るい笑顔で。
「どうしたの? 入らないの?」
妻の様子には、とくに変わったところはない。何かを隠しているという雰囲気も、不自然な動揺もない。いつもと同じだ。
そりゃそうだ。
妻は、とっくにこの清浄機で後ろめたさを消し去り、「仕事帰りの夫を迎える優しい妻」のオーラをまとっているのだから。
そして妻は、こともなげに「これ、最新の空気清浄機を買ったのよ、いいでしょ」と穏やかな笑みをたたえたまま言うのだった。
(了)