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第57回「小説でもどうぞ」佳作 素直な人 松川なな子

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小説
小説でもどうぞ
第57回結果発表
課 題

裏切り

※応募数434編
素直な人 
松川なな子

 優実さんは私より四十個も年上だけど、素直なところがあって、大学生の私ともすぐ友達になった。きっかけは、優実さんが私のバイト先のホテルに新しい清掃スタッフとして入ってきたこと。
 ところが優実さんは、覚えが悪かった。ここで働いてもう三か月にもなるのに、いまだに清掃の流れを覚えられない。私は何度もアメニティの補充やタオル類の位置を指図するのだが、優実さんは次の日にはすべて忘れてしまう。他の従業員は、優実さんがいつまでたっても清掃を覚えないことに嫌気がさし、一緒の日に入りたがらない。私は優実さんが嫌いではないし、可哀想なので、一緒の日に入る。正直、優実さんとの仕事は憂鬱だ。それでも私が一緒の日に入るのは、彼女が毎回持ってきてくれるお菓子にあった。私は貧乏大学生だから、お菓子が食べられるのなら、という等価交換のつもりで、一緒の日にシフトを出していたのだ。
「るりちゃん、るりちゃん!」今日も私を呼ぶ声がする。
「なんですか? 優実さん」
「連泊の方は、どのお茶菓子をお出ししたらよかったかしら」
「これですよ。この黄色い、まあるいマークがついているやつ」
「そうだったわ、ありがとう」
 優実さんとシフトに入った、その次の日の朝。他の従業員の、私より三十個くらい年上の女性が言う。
「あの人、なにか障害を持っているわよ、絶対に。じゃなきゃ辻褄が合わないもの」
 彼女は前日の優実さんのミスのせいで仕事が増え、怒っていた。
 はたまた他の従業員の、私より二十個くらい年上の女性は言う。
「優実さんはほら、お子さんがいらっしゃらないから。るりちゃんみたいな、孫くらいの年齢の子と仲良くできるのが嬉しいのよ。大変だと思うけど、頑張ってね」
 彼女は、男の子一人と、女の子二人の、お母さんだ。
 私も優実さんにイラッとすることはあるけれど、この人たちの言葉より、気持ち、悪くない。
 優実さんと同じくらいの年齢の、ホテルの管理人は言う。
「優実さん、その爪はどうなのかしら? そんな爪にしているから、お掃除が進まないんじゃなくって?」
 優実さんの爪は、ネイルでキラキラしていた。けれどその爪は、管理人の爪より短い。爪の長さじゃないのだ。ただ、仕事ができないだけ。彼女たちは、優実さんをはけ口にしている。
 みんな、馬鹿だなあ。
 私だけが知ってる、優実さんの本当の顔。
 優実さんは純粋だから、私にいろんなことを話してくれる。
「私ね、自慢じゃないけど、ずっと恋愛しているの。小学校から今までずっと、好きな人が途切れたことないわ」
 目じりにしわを寄せ、まるで少女のような微笑みで優実さんは言う。
「え~すごいですね! 今もいるんですか?」
「いるわよ~、もちろん」
「え、誰ですか!?」
 優実さんが笑うと、口元のしわが余計濃くなる。
「るりちゃんにだけ、教えるわね。他の人には、言っちゃだめよ」
 彼女の瞳が大胆に輝いた。
「実はね、ここのホテルのオーナーと、付き合ってる」
「えー!」
 オーナーと! 私がオーナーを見たのは、たしか入社時の面接の、一回きりだ。五十歳くらいで、優実さんより十は年下だ。
「オーナーって、若かったですよね。いったいどうやって、射貫いたんですか?」
 優実さんはふふっと笑って言う。
「昔から年下の男性に、すごく好かれるの」
 ホテルのオーナーが、優実さんがみんなからいじめられていることを知ったら、どう思うだろう。そしてその中で唯一、見方でいてくれた私を知ったら、どんな報酬が待っているだろう。私は優実さんに近づいて、仲良くなって、そして優実さんの口からオーナーに、私の素晴らしさについて語ってもらわなければならない。
 そんなある日、ホテルのオーナーが視察に来ることになった。私は朝からワクワクしていた。いったいどんな言葉を私にかけ、どんな報酬が待っているのだろうか。他の従業員の悔しがる様子が目に浮かぶ。ああ、楽しみで仕方ない。
 オーナーも含めた、朝のミーティングが開かれる。他のバカな従業員たちも、今日は集まっている。改めてオーナーを見ると、五十歳よりももっと若く見えて、大人のかっこいい渋さがあった。へえ。こんな人が優実さんを。
 私は隣の優実さんを小突いてみた。「来ましたよ、彼氏さん」こそっと、耳打ちもする。
 ところが優実さんは、私の合図に気が付いていないのか、返事をしない。ずっと硬い表情をしていた。
「どうしたんですか? オーナーと喧嘩でもしたんですか?」
 後になって声をかけても、彼女は知らんぷり。
 そんな時、おんなじ学生アルバイトの女の子が、ビッグニュースと言わんばかりの声量で、声をかけてきた。
「ねえ知ってる? 優実さん、ここクビになるんだって!」
「ええ、そうなの!? というかちょっと、オーナーに聞こえちゃうよ」
 私が注意しても、知らん顔して続ける。
「大丈夫だよ、さっきオーナーが私に教えてくれたことだから。それに優実さんって、ほんっとにヤバいよ。仕事できないだけじゃなくて、なんと、彼にストーカーまがいのことしてたんだって!」
「ええ!? え、ちょっと待って、だって優実さんって、ここのオーナーと、付き合ってるんじゃなかったっけ?」
 彼女が心底意味不明、という顔をして、その瑞々しい唇を開いた。
「何言ってるの、るりちゃん、付き合ってるのは、私よ」
(了)