第57回「小説でもどうぞ」選外佳作 裏切らなそうな顔 加藤知衣子


第57回結果発表
課 題
裏切り
※応募数434編
選外佳作
裏切らなそうな顔 加藤知衣子
裏切らなそうな顔 加藤知衣子
もう裏切り者なんて言わせない――—そう、顔さえ変えれば。
私は信用される顔になって、人生が変わりました!
信用フェイスにチェンジで、人生もチェンジ!
横沢は電車に揺られながら中吊り広告に目を向けた。その下には小さくこう書かれている。
「※効果には個人差がありますが、信用度は平均1.4倍向上します」
横沢は、電車の窓にうっすらと映った顔にそっと手を当てた。笑っているつもりでも、なんか裏切りそう。そう言われることが、何度もあった。何をもって、そう判断されているのかは分からない。
もし、変えられるなら。横沢はポケットからスマートフォンを取り出し、広告の隅のQRコードを読み込んだ。そこからは簡単。自分の顔写真を送って初診の予約を取るだけ。横沢は指定された日に駅前の雑居ビルの一角へと足を運んだ。そのフロアはクラシックだけがやけに響いて、けれど静かだった。
「横沢さん、診察室へどうぞ。」
看護師の声に横沢はほんの少し上ずった返事をして待合のソファから腰を上げた。ドアを開けるとそこにはにこやかな顔をした医師が座っていた。よくできた顔だった。信用できる、と思わされる。この医師になら任せてもいい、横沢はそう思った。
「先ほどの検査で、横沢さんのお顔の3D画像を撮らせていただきましたが……。確かに、ご心配されている通り、目元の信用ポイントが平均より1.4ポイントほど低いのと、口角の上がり方があと十五度足りないといった結果が出ていますね」
「はあ……」
具体的な数字を挙げられても、よくわからず曖昧な返事をする。医師はそんな横沢のどこか釈然としない心理を読み取ったのか、畳みかけるように続けた。
「大丈夫です、安心してください。標準的な信用顔までは、比較的短期間で調整可能です」
看護師はパンフレットを取り出し、横沢にそっと手渡した。
「標準的な信用顔であれば、信用度はおよそ1.4倍程度。さらに上位の『高信用モデル』ですと、二倍近くまで引き上げることも可能です。もちろん、標準コースでも十分に裏切り顔からの脱却はできますよ。」
「なら……」
横沢はゆっくりと、標準コースの文字を指さした。パンフレットに並ぶ顔を見比べても違いは分からないが、どれも裏切らなそうな顔だった。
施術は思っていたよりも簡単だった。数日のダウンタイムのあと、鏡に映った自分の顔は、どこがどう変わったのか説明できない。しかし、以前よりもずっと整って見えた。
会社に行くと、すぐに変化は現れた。
「横沢、ちょっといいか」
上司に呼ばれる回数が増えた。任される仕事も増えた。以前までなら最後に裏切ってきそうだと、何度も何度も書類をチェックされ疑われていたが、説明を最後まで聞いてもらえるようになり、途中で疑われることがなくなった。
数週間もすると会議でも、誰も横沢の言葉を遮らなくなった。それどころか、頷くタイミングまで揃っているように見えた。理由は分からない。ただ、結果だけが変わった。
あの日、電車の中吊り広告で見たコピーが頭の中を駆け巡った。もう本当に裏切りそうな顔から卒業できたのだろうか?横沢の心の奥底にほんの少しのいたずら心が生まれる。もしも、この顔で何か会社を裏切るようなことをしたら、それでも自分は疑われずに済むのだろうか、と。
最初は、小さなことだった。経費の入力をひとつ、ずらしてみる。誰も気づかなかった。次に、もう少しだけ金額を増やした。やはり、何も起こらなかった。横沢は、少しずつ確かめるように額を大きくしていった。どこまでなら許されるのかを。それは悪事を働くというよりも実験に近かった。
ある日、社内がざわついた。経理部の社員が、横領の疑いで事情聴取を受けているという話だった。その社員は、以前、横沢にコーヒーを差し入れてくれたことがある。可もなく不可もない、無口であまり目立たない人物だった。
「やっぱりな」
「なんとなく、そんな感じしてたんだよ」
周囲は、妙に納得したように頷いていた。理由は簡単だった。
——なんか、裏切りそうな顔だから。
数日後、その社員は処分された。横沢の机には、いつも通りの書類が積まれていた。誰も疑わなかった。
帰宅すると、横沢は鞄の中身を机の上に広げた。封筒の中には、まだ数えきれていない現金が残っている。テレビをつけると、例の社員のニュースが流れていた。頭を下げ、連行される姿が映る。本当ならこの画面に映っているのは自分のはずなのに。画面の中の顔は、確かに『そう』見えなくもない。口角が、ほんの少し下がっている。
横沢はリモコンで音を消した。しばらくすると、スマートフォンが震える。
目を落とすと、そこには新着メールが一通。
現在の信用度:1.4倍
選ばれたお客様にのみ、次の段階をご案内しております。
『高信用モデル』へのアップグレードで、信用度は最大二倍まで向上可能です。
※信用度の高い方ほど、不正検知の対象外となります。
横沢はしばらく画面を見つめたあと、そっと予約ボタンを押した。
一か月後、アップグレードを終えた横沢が街に出ると、奇妙な光景が広がっていた。慈愛に満ちた眼差しで万引きした女性も、それを黙認する店員も、妻への裏切りを否定する夫も、自分と同じ顔を貼り付けていた。
この世界は誰も裏切らない。それっぽい顔をしているからだ、と誰かの声が聞こえた気がした。
(了)