第57回「小説でもどうぞ」選外佳作 アイスハニーラテ 河音直歩


第57回結果発表
課 題
裏切り
※応募数434編
選外佳作
アイスハニーラテ 河音直歩
アイスハニーラテ 河音直歩
カフェは女性ばかりで、おしゃべりの声がたえず響いている。Kの、失恋のせいで短く切った髪と、赤く充血した目をみると、学生の頃から仲のいいSであっても、本人ではないように思える。頬も唇も良くない色なのに、目だけが大きくぎょろぎょろとして、Kの視線はときおり、Sの顔から離れて、隣に座っている女性へと飛んでいく。女性はトレンチコートを脱がずに、脚を組んで、スマートフォンをずっと覗き込んでいた。
店内のBGMはまた彼のグループの曲に変わってしまう。すべて彼のせいだった、Kが心乱れてSを無理に呼び出したのは。
彼は人気アイドルグループのメンバーで、鼻筋が細くきれいで、色白で、背が高くて、Kとは会ったことも話したこともなく、Kという三十代独身女性が仕事も休んで思い悩んでいることなど、もちろん知る由もない。
「ほんとうに何百万も捧げてきたわけだよ、こっちは」
Sと会っていなかったほんの数か月の間に、Kは彼にのめりこみ、ライブ遠征だけでなく、円盤やあらゆるグッズを買い漁っていた。
「あんな写真見て、ファン、やめないの」
Kははっきりと頷く。SNSで拡散されている写真は、ベッドの上で、肩を剥き出した彼と、顔にモザイクのかかった彼女がピースサインをしているものだ。彼は楽しそうに笑っている。本気で笑うと八重歯が見える人なのだ。よほど気に入った相手なのだろう。
「非常識だよ。百歩譲って彼女がいるのはしょうがないとしても、彼女の民度がさ。意識が低すぎる。彼のキャリアを壊して、彼とファンを苦しませて、あまりに自分勝手でしょ」
Kは涙をふく。
「その気持ちはわからなくないけど」
Sがそう言うと、Kは、でしょでしょ、と安心したように、笑顔になった。そして、急に肩を寄せて、スマートフォンを見せてきた。文字が書かれていた。
《うちらの隣の席の女の人、ユキトくんの彼女なんだよ。あのベッドの写真うつってたおんなね。鼻と口とか、似てるでしょ。調べて、尾行とかもしたから、間違いないよ》
Sもいそいで文字を打って見せた。
《調べたって、どうやって》
《探偵とかいろいろ。まじの情報ね》
隣の女性はたしかに美人だった。帽子を目深に被っていても、そう感じる。桃色のネイルアートをしている指先が、とても細い。
《やばいじゃん。それで、つまり、わざと彼女の隣の席に座ったってこと?》
追加でKが注文していたアイスハニーラテを、店員が持って来た。甘いはちみつのにおいが、お盆からテーブルのうえに移ってくる。
《ここのハニーラテ、ユウトくんのお気に入りなの。あとで隣の女にぶっかけてやる》
《待て待て、早まるな》
Sは思わずKの手首をつかみかけたが、Kはさっと避けた。
《大丈夫。どうせSNSでは、あの女のほうが叩かれるに決まってる》
Kは勢いよく立ち上がったかと思うと、お手洗いのほうへ歩いて行った。怒りも悲しみもない、空虚な表情だった。相当思い詰めているのだろう。
アイドルにのめり込むなんて、いい大人が恥ずかしい。勝手に恋愛気分になって、裏切られたと大騒ぎして。Sは口の中で呟きながら、隣の席の女をそっと見る。首は細くて、口紅はおしゃれな色だ。アイドルがライブで叫ぶ「愛してるよ」なんか、真に受けるほうが悪い。かっこいい男の子には、彼女くらい、いるに決まってる。
そこまで一直線に考えてみて、それでも、むしゃくしゃするので、Sはハニーラテにストローをさして、飲みはじめた。甘すぎて、すぐむせた。膝の上のスマートフォンが床に落ちてしまい、隣の女性が拾ってくれた。
「ありがとうございます」
隣の女性はやはり、きれいな人だ。
「あの、すみません」
はい、と柔らかい声がかえってきた。Sはすうと息を吸った。
「実は霊感があるんですけど、あなたには真っ黒で顔の大きいおばあさんの霊が憑いています。彼女は、あなたと付き合っている男性に憑いていたのですが、あなたにひどく嫉妬して、ひどい呪いをかけようとしています。とり殺されないように、注意してください」
隣の女性はすぐ店を出てしまった。
戻ってきたKは、Sに八つ当たりをした。
Sは笑いながら謝った。笑ったのは、気持ちよかった。どれくらいぶりだろうと思った。
Sだってユウトが好きで好きでしょうがなかったのだ。
アイスハニーラテを、ユウトと一緒に飲む夢だって、何回も、見たことがあったのだ。昨晩だって、風呂上りに枕へ突っ伏して、うらぎりものうらぎりもの、と叫んでいたのだった。
(了)