第7回「小説でもどうぞ」選外佳作 執念/白築シノ
第7回結果発表
課 題
写真
※応募数327編
選外佳作「執念」白築シノ
朝の通勤ラッシュで込み合う車内で私はスマートフォンを操作していた。私を囲むサラリーマンと学生風情も、スマホの画面に目を落としている。無防備な背中を晒すミニスカートの若い女は、目の前でイヤホンを耳にしたまま、ドアに貼られた広告にぼんやり視線を投げかけていた。好い頃合いだった。
終着駅にまもなく着く。私は糸を引くようにスマホをズボンのポケットにしまう仕草をしながら、インカメラを起動して動画モードをオンにする。女の足に触れないようにスカート内に差し込んだ。視線はそのままで、動画モードのまま静止画を撮るボタンをタップし続けた。写真モードはシャッター音が鳴るが、動画モードは無音で撮れるので便利だ。
電車がずるずると速度を落として駅に停止した。早く降りようと身構える乗客の空気を四方から浴びながら、私はスマホをポケットに押し込んだ。ドアが開き、秩序だった堤防が決壊するように人が外へと押し出されていく。私も流れに身を任せた。女は私の行為に一切の注意を払うことなく、腰を左右に振って早足でエスカレーターに向かった。
人流から離れてひと息つく。出勤時間にはまだ早い。早く撮れたての写真の映りを確認したかった。動画より私は写真のほうが好きだ。一瞬の輝きを切り取る写真は、視る者にいつだって強く訴えかけてくる。スポーツ中継をだらだら眺めるよりも、プロが撮影した新聞や雑誌に載る一枚のほうが鮮明で、記憶に残りやすい。スカートの中身も同じだった。
いつもは駅を出た地下街にあるトイレの個室で確認するが、今日は魔が差した。早く、見たかった。好みの女だった。あの女が身に着けている隠された領域の写真を、舐めるように観賞したかった。
それでも周囲の目が気になって、ホームの端のほうに歩いていく。黒い集団が整然と並んで柵の前に立っている。カラスなどではなく、人間だった。申し合わせたように大半が黒髪の男で、多くは眼鏡をかけ、高額そうなカメラ機材を構えている。電車という被写体を狙う「撮り鉄」という鉄道趣味の人間たちだ。近くには危険な車両撮影を控えるよう注意を促す張り紙がある。人に迷惑をかけない限り、撮影行為は自由だろうが、彼らに対する悪評はネット上でもよく目にする。だから私は撮り鉄には好感を抱いていない。私は電車に興味がなく、写真も撮らない。私が好きなのは女の隠された姿態を撮ることだけだ。
鉄道オタクたちはそのうち来るらしい電車を待っていて、後ろに控える私に注意を払う者は皆無だった。もうここでいいかと思い、私はスマホを取り出して画像フォルダを確認する。薄桃色のレースの下着を複数枚確認し、頬が緩むのを実感した。
とん、と。肩を叩かれた。
「撮りましたね」
振り向くと、制服を着た恰幅のいい駅員が立っていた。後ろには、私服の頭皮が薄い中年男が立っている。見覚えがあった。私が乗った時、押し込むようにして空間をあけてくれた男。車中では、常に私の真後ろに立っていたはずだ。そうか。私が女を注視していたように、男も私の挙動を観察していたのだろう。下車後に私の様子を伺いつつ、駅員を呼んだということか。そして今度は駅員に背後から動かぬ証拠を見られてしまった。薄毛男の向こうから更に二人の駅員が駆けてくる。
捕まってしまう。捕まるわけにはいかない。私には仕事があるし、妻も子供もいる。スマホも没収されたくない。貴重な盗撮写真のコレクションを、失いたくはなかった。
「おい、こら!」
私に声をかけた駅員の制止を振り切り、唯一の逃げ道である線路上へと飛び降りた。とにかく逃げるしかない。ホームを離れて近くの踏切から出よう。
「どけえええええええ!!」
突然、男たちのダミ声交じりの怒号が響き、何事かと思ったら、前方から電車が来る。特急か何かは知らないがカラフルな電車だった。
「邪魔! 邪魔! じゃまああっ!」「写真!どうすんだコラ!」「消えろクソがー!」
私の後方のホームの端で、撮り鉄たちが騒いでいる。私の存在が特急撮影の障害物になっているのだと理解する。まもなく轢死体となる人間よりも、やはり電車の写真映りを気にする男たちの執念に、私は強い共感を覚えた。私も結局は同じ穴のむじなだったのだ。
奇妙な開放感を覚えて、同時に私は彼らの邪魔にならないように、その場に伏せた。轟音を上げて特急が頭上を通過していった。奇跡的に私の体は無傷だったが、慌てていて放り出してしまったスマホの破片が辺りに散らばっている。写真のバックアップを取っておけばよかったと後悔したが、もう遅かった。死んだようにへたりこんだ私のもとに、駅員が駆け下りてきた。撮り鉄たちの歓声がやけに遠く、耳に響いた。
(了)
終着駅にまもなく着く。私は糸を引くようにスマホをズボンのポケットにしまう仕草をしながら、インカメラを起動して動画モードをオンにする。女の足に触れないようにスカート内に差し込んだ。視線はそのままで、動画モードのまま静止画を撮るボタンをタップし続けた。写真モードはシャッター音が鳴るが、動画モードは無音で撮れるので便利だ。
電車がずるずると速度を落として駅に停止した。早く降りようと身構える乗客の空気を四方から浴びながら、私はスマホをポケットに押し込んだ。ドアが開き、秩序だった堤防が決壊するように人が外へと押し出されていく。私も流れに身を任せた。女は私の行為に一切の注意を払うことなく、腰を左右に振って早足でエスカレーターに向かった。
人流から離れてひと息つく。出勤時間にはまだ早い。早く撮れたての写真の映りを確認したかった。動画より私は写真のほうが好きだ。一瞬の輝きを切り取る写真は、視る者にいつだって強く訴えかけてくる。スポーツ中継をだらだら眺めるよりも、プロが撮影した新聞や雑誌に載る一枚のほうが鮮明で、記憶に残りやすい。スカートの中身も同じだった。
いつもは駅を出た地下街にあるトイレの個室で確認するが、今日は魔が差した。早く、見たかった。好みの女だった。あの女が身に着けている隠された領域の写真を、舐めるように観賞したかった。
それでも周囲の目が気になって、ホームの端のほうに歩いていく。黒い集団が整然と並んで柵の前に立っている。カラスなどではなく、人間だった。申し合わせたように大半が黒髪の男で、多くは眼鏡をかけ、高額そうなカメラ機材を構えている。電車という被写体を狙う「撮り鉄」という鉄道趣味の人間たちだ。近くには危険な車両撮影を控えるよう注意を促す張り紙がある。人に迷惑をかけない限り、撮影行為は自由だろうが、彼らに対する悪評はネット上でもよく目にする。だから私は撮り鉄には好感を抱いていない。私は電車に興味がなく、写真も撮らない。私が好きなのは女の隠された姿態を撮ることだけだ。
鉄道オタクたちはそのうち来るらしい電車を待っていて、後ろに控える私に注意を払う者は皆無だった。もうここでいいかと思い、私はスマホを取り出して画像フォルダを確認する。薄桃色のレースの下着を複数枚確認し、頬が緩むのを実感した。
とん、と。肩を叩かれた。
「撮りましたね」
振り向くと、制服を着た恰幅のいい駅員が立っていた。後ろには、私服の頭皮が薄い中年男が立っている。見覚えがあった。私が乗った時、押し込むようにして空間をあけてくれた男。車中では、常に私の真後ろに立っていたはずだ。そうか。私が女を注視していたように、男も私の挙動を観察していたのだろう。下車後に私の様子を伺いつつ、駅員を呼んだということか。そして今度は駅員に背後から動かぬ証拠を見られてしまった。薄毛男の向こうから更に二人の駅員が駆けてくる。
捕まってしまう。捕まるわけにはいかない。私には仕事があるし、妻も子供もいる。スマホも没収されたくない。貴重な盗撮写真のコレクションを、失いたくはなかった。
「おい、こら!」
私に声をかけた駅員の制止を振り切り、唯一の逃げ道である線路上へと飛び降りた。とにかく逃げるしかない。ホームを離れて近くの踏切から出よう。
「どけえええええええ!!」
突然、男たちのダミ声交じりの怒号が響き、何事かと思ったら、前方から電車が来る。特急か何かは知らないがカラフルな電車だった。
「邪魔! 邪魔! じゃまああっ!」「写真!どうすんだコラ!」「消えろクソがー!」
私の後方のホームの端で、撮り鉄たちが騒いでいる。私の存在が特急撮影の障害物になっているのだと理解する。まもなく轢死体となる人間よりも、やはり電車の写真映りを気にする男たちの執念に、私は強い共感を覚えた。私も結局は同じ穴のむじなだったのだ。
奇妙な開放感を覚えて、同時に私は彼らの邪魔にならないように、その場に伏せた。轟音を上げて特急が頭上を通過していった。奇跡的に私の体は無傷だったが、慌てていて放り出してしまったスマホの破片が辺りに散らばっている。写真のバックアップを取っておけばよかったと後悔したが、もう遅かった。死んだようにへたりこんだ私のもとに、駅員が駆け下りてきた。撮り鉄たちの歓声がやけに遠く、耳に響いた。
(了)