第7回「小説でもどうぞ」佳作 味のある写真/齊藤想
第7回結果発表
課 題
写真
※応募数327編
「味のある写真」齊藤想
私の師匠は「味のある写真を撮る」と言われている。実際に師匠の写真を舐めると、様々な味がするのだ。
若い男女の恋愛を切り取った写真は、ほのかに甘酸っぱいラズベリーの味が広がる。人生を味わいつくした老女をモノクロで映した写真は、キリマンジャロ産コーヒーのような深い苦みが走る。
インクや紙質の問題かとも思ったが、師匠の写真データをもらい、自宅で印刷しても同じ味がする。
「味のある写真」というものは、材質に関わりなく、視覚を通じて味蕾を刺激してくるものらしい。
私が師匠に弟子入りしたのは、ほとんど押しかけ女房のようなものだ。昔から写真が好きだったが、大学三年生を迎えて将来のことを考え始めたとき、キャンパスの近くに高名な写真家が住んでいることを知った。
突然現れた私に、師匠は胡散臭そうな目を向けた。私の自信作を差し出すと、それを師匠は何も言わずに舐めた。瞬時に顔をしかめると、唾を吐いた。
「これは酷い。何の味もない。君はセンスがないから諦めなさい」
散々な言われようだった。実は写真に薄く砂糖水を塗っておいたのだが、そんなまやかしは師匠に通じなかった。
「お願いです。次はもっと良い写真を持ってきますから」
師匠は「ふん」といって家に戻ってしまった。少なくとも拒否はされていない。つまり次も写真を舐めてくれるはず。
こうして、私は師匠の弟子を自認するようになった。
私が目指したのは、若さ溢れる、澄み切った青空のような写真だ。写真界に新しい風を巻き起こしたかった。
私は、師匠の写真を徹底的に分析することから始めた。
師匠はこの道五十年のベテランだ。写真の数も種類も唸るほどある。雑誌の専属カメラマンとして活躍したこともあれば、新聞記者として事件を追ったこともある。ベテランになってからは、様々なジャンルの写真集を毎年のように出版している。
私は師匠の写真をふやけるほど舐め、その中でこれだという味を見つけた。
鼻腔から頭頂部まで突き抜けるミントの香り。体中を吹き抜ける春の風。
これぞ、私が求めてきた写真だ。
私は師匠の写真とよく似た風景を探してきて、撮影を続けた。家でプリントして、ひたすら舐めた。
しかし、味がない。インクと紙の匂いしかない。師匠の写真は、コピーですら強烈なミントの香りがするのに。
私にはもう無理なのか。
ある雨の日、師匠に悩みを打ち明けるために自宅を訪れた。師匠は白髪を揺らしながらゆっくりと話を聞いていると、急に写真を見せてみろと言い出した。
私は、おそるおそる、風景写真を差し出した。師匠の作品を真似した写真だ。
師匠は鼻をひくつかせると「ドブの匂いがする」とひとことだけ口にした。
無味無臭だった写真に、少しだけ匂いがでてきたのかもしれない。ガンバレヨ、と言われた気がした。
私はさらに写真に励んだ。すると、あるときから少しだけ味がでてくるようになった。
それは酸味だった。ミントからはほど遠いが、私からしたら希望の味だった。
さらに題材を求めて、私はいろいろな写真を撮影した。風景と人物だけでなく、都市やオブジェにも挑戦した。
別の味がするかと思ったが、不思議なことにすべて酸味だった。しかもその酸味は徐々に強くなっている。しかも、レモンのような柑橘系の爽やかな酸味ではなく、酢酸のような工業的な酸味だ。
もしかしたら、新たな写真の才能が目覚めたのかもしれない。
私は思い切って、とくに酸味の強い一枚を師匠に見せた。その写真はコラージュで、アマゾンの密林の中でアイススケートを踊っている男女を配置し、さらに空にはUFOが漂っている。
師匠は舌先を少しつけると、眉をひそめた。
「これは酷い失敗作だ。舐めるに堪えん」
「しかし、この強烈な酸味を味わってください。私にも味がある写真が撮れるようになったのです」
「バカなことを言うな。こんな写真を味のある写真とは言わぬ。失敗作ではないか」
「酸味も味のひとつです」
「まだ分からぬか」
師匠は一喝した。
「これは、味も見た目も、正真正銘のすっぱい作だ!」
(了)
若い男女の恋愛を切り取った写真は、ほのかに甘酸っぱいラズベリーの味が広がる。人生を味わいつくした老女をモノクロで映した写真は、キリマンジャロ産コーヒーのような深い苦みが走る。
インクや紙質の問題かとも思ったが、師匠の写真データをもらい、自宅で印刷しても同じ味がする。
「味のある写真」というものは、材質に関わりなく、視覚を通じて味蕾を刺激してくるものらしい。
私が師匠に弟子入りしたのは、ほとんど押しかけ女房のようなものだ。昔から写真が好きだったが、大学三年生を迎えて将来のことを考え始めたとき、キャンパスの近くに高名な写真家が住んでいることを知った。
突然現れた私に、師匠は胡散臭そうな目を向けた。私の自信作を差し出すと、それを師匠は何も言わずに舐めた。瞬時に顔をしかめると、唾を吐いた。
「これは酷い。何の味もない。君はセンスがないから諦めなさい」
散々な言われようだった。実は写真に薄く砂糖水を塗っておいたのだが、そんなまやかしは師匠に通じなかった。
「お願いです。次はもっと良い写真を持ってきますから」
師匠は「ふん」といって家に戻ってしまった。少なくとも拒否はされていない。つまり次も写真を舐めてくれるはず。
こうして、私は師匠の弟子を自認するようになった。
私が目指したのは、若さ溢れる、澄み切った青空のような写真だ。写真界に新しい風を巻き起こしたかった。
私は、師匠の写真を徹底的に分析することから始めた。
師匠はこの道五十年のベテランだ。写真の数も種類も唸るほどある。雑誌の専属カメラマンとして活躍したこともあれば、新聞記者として事件を追ったこともある。ベテランになってからは、様々なジャンルの写真集を毎年のように出版している。
私は師匠の写真をふやけるほど舐め、その中でこれだという味を見つけた。
鼻腔から頭頂部まで突き抜けるミントの香り。体中を吹き抜ける春の風。
これぞ、私が求めてきた写真だ。
私は師匠の写真とよく似た風景を探してきて、撮影を続けた。家でプリントして、ひたすら舐めた。
しかし、味がない。インクと紙の匂いしかない。師匠の写真は、コピーですら強烈なミントの香りがするのに。
私にはもう無理なのか。
ある雨の日、師匠に悩みを打ち明けるために自宅を訪れた。師匠は白髪を揺らしながらゆっくりと話を聞いていると、急に写真を見せてみろと言い出した。
私は、おそるおそる、風景写真を差し出した。師匠の作品を真似した写真だ。
師匠は鼻をひくつかせると「ドブの匂いがする」とひとことだけ口にした。
無味無臭だった写真に、少しだけ匂いがでてきたのかもしれない。ガンバレヨ、と言われた気がした。
私はさらに写真に励んだ。すると、あるときから少しだけ味がでてくるようになった。
それは酸味だった。ミントからはほど遠いが、私からしたら希望の味だった。
さらに題材を求めて、私はいろいろな写真を撮影した。風景と人物だけでなく、都市やオブジェにも挑戦した。
別の味がするかと思ったが、不思議なことにすべて酸味だった。しかもその酸味は徐々に強くなっている。しかも、レモンのような柑橘系の爽やかな酸味ではなく、酢酸のような工業的な酸味だ。
もしかしたら、新たな写真の才能が目覚めたのかもしれない。
私は思い切って、とくに酸味の強い一枚を師匠に見せた。その写真はコラージュで、アマゾンの密林の中でアイススケートを踊っている男女を配置し、さらに空にはUFOが漂っている。
師匠は舌先を少しつけると、眉をひそめた。
「これは酷い失敗作だ。舐めるに堪えん」
「しかし、この強烈な酸味を味わってください。私にも味がある写真が撮れるようになったのです」
「バカなことを言うな。こんな写真を味のある写真とは言わぬ。失敗作ではないか」
「酸味も味のひとつです」
「まだ分からぬか」
師匠は一喝した。
「これは、味も見た目も、正真正銘のすっぱい作だ!」
(了)