第5回「小説でもどうぞ」選外佳作 一か八か/村木志乃介
第5回結果発表
課 題
賭け
※応募数242編
選外佳作「一か八か」村木志乃介
昨日、会社をずる休みをしてライブを観に行った。昨年から推しのアイドルグループで奇跡的に実家の近くのライブ会場であったのだ。そのライブは午後からだったので、会社を休むことにした。いっさい悩むこともなく。
ライブは大盛況で感動のあまりやってしまった。いつもの癖でライブ会場から出たところで写真と感想をSNSにアップしてしまったのだ。うっかりミスだった。上司にSNSを見られたかも。上司には実家の父が体調を崩し、いまにも死に掛けていると言っていた。
すぐにコメントは消したが、何人かに見られた。その中に会社の仲間に見られているとやばい。噂はすぐに広まるからだ。
上司は知っているのか。それとも知らないか。翌朝、何食わぬ顔で出社した。俺の席と上司の席は机を挟んで斜めに並んでいる。いわゆるお誕生席に上司、そこから向かい合わせた机が並ぶ。俺は隣の同僚に話しかける振りをして上司の顔色を窺う。今朝、あいさつしたときには特に何も言わなかった。知らないのであれば、そのまま触れないほうがいいだろう。仮に知っていて黙っているのであれば、どうだろう。上司は見逃してくれたのか。入社してまだ一年も経たない俺のアイドルオタクぶりを知った上で、大目に見てくれたとも考えられなくはない。上司には俺ぐらいの息子がいたはずだ。自分の息子ぐらいの年齢の若者の気持ちはよくわかっているはずだ。
午前中をモヤモヤした気持ちで過ごした。昼休みが来た。俺はいちかばちか賭けに出る。この賭けに負ければ出世はない。
「昨日はお休みをいただきありがとうございました」
「どうだった?」
机についたまま上司は俺を見上げる。その目の奥に猜疑心を見たような気がして言いよどむ。もしかして知っているのだろうか。とりあえず「よかったです」と当たり障りのない言葉を返す。
「仕事よりも大切なことだ。よかったな」
「はい。まあ」
テンション爆上がりで、まったく最高のライブだった。もちろんそんなこと言えない。俺はなるべく真剣な表情をつくり答えると、そそくさと背中を向けた。
どのへんだった? ぼそっと上司が漏らした。実家は市外にある。その近くでライブがあった。ライブの夜、実家に泊まったが、もちろん親父はピンピンしていた。どこからどう見ても悪いところは見られなかった。どう答えるべきか、正解を考える。
「○○市です」実家のある町の名前を告げた。
「いやいや、そうじゃなくてさ。まあいい。よかったんだよな」
念を押す上司の声にわずかな苛立ちを感じる。これはまずい。上司は親父の体調を言ってるのか、ライブのことを言っているのか。どっちだ。
俺は賭けに出る。休みの理由である親父の死に際に立ち合おうとした回答に。
「まあ、いつもの感じでした」
「なんだと。おまえにとってそんなものなのか」
叱責めいた口調で上司が立ち上がった。
周りの視線が一斉に突き刺さる。いったんここは落ち着こう。
「もちろん私にとって大切な人です」
今度は推しのアイドルグループに向けたメッセージ寄りの言葉を返す。
「そうだろ」
上司の頬が緩む。どっかりとイスにもたれた。
「そうです。おっしゃるとおりです。もうとにかくよかったです」
俺の気も緩む。もしかして正直に話したほうが上司の受けがいいのかもしれない。理由はわからないが直感がそう訴える。俺はここでまたも賭けに出る。違っていれば今度こそ立場はない。一生平社員もしくはクビだ。
「私は二年前の結成からずっと推しです」
言い切った。じわりと額が汗ばむ。
「なに?」
上司の肩眉が跳ね上がる。
ひぃ。違ったか。冷や汗が背中を伝う。
「わしは去年からだ」
ほっと胸を撫で下ろす。よかった。
「やっぱ最高だな。俺も昨日は休んで行ったよ。最前列だった。まだ興奮が抜けないよ」
な、なんと。まさか上司も休んでいたとは。
「おまえはどの子が推しか。わしは今年から加入した○○ちゃんがダントツ推しだな」
上司が目を細めて笑う。その子は俺より若い。たしか上司の息子よりも、ということになる。
「つぎのライブは一緒にどうだ?」
「そ、そうですね。ぜひ」
なんてこった。俺は頭を抱える。もうSNSは懲り懲りだ。賭けに負けた気がした。
(了)
ライブは大盛況で感動のあまりやってしまった。いつもの癖でライブ会場から出たところで写真と感想をSNSにアップしてしまったのだ。うっかりミスだった。上司にSNSを見られたかも。上司には実家の父が体調を崩し、いまにも死に掛けていると言っていた。
すぐにコメントは消したが、何人かに見られた。その中に会社の仲間に見られているとやばい。噂はすぐに広まるからだ。
上司は知っているのか。それとも知らないか。翌朝、何食わぬ顔で出社した。俺の席と上司の席は机を挟んで斜めに並んでいる。いわゆるお誕生席に上司、そこから向かい合わせた机が並ぶ。俺は隣の同僚に話しかける振りをして上司の顔色を窺う。今朝、あいさつしたときには特に何も言わなかった。知らないのであれば、そのまま触れないほうがいいだろう。仮に知っていて黙っているのであれば、どうだろう。上司は見逃してくれたのか。入社してまだ一年も経たない俺のアイドルオタクぶりを知った上で、大目に見てくれたとも考えられなくはない。上司には俺ぐらいの息子がいたはずだ。自分の息子ぐらいの年齢の若者の気持ちはよくわかっているはずだ。
午前中をモヤモヤした気持ちで過ごした。昼休みが来た。俺はいちかばちか賭けに出る。この賭けに負ければ出世はない。
「昨日はお休みをいただきありがとうございました」
「どうだった?」
机についたまま上司は俺を見上げる。その目の奥に猜疑心を見たような気がして言いよどむ。もしかして知っているのだろうか。とりあえず「よかったです」と当たり障りのない言葉を返す。
「仕事よりも大切なことだ。よかったな」
「はい。まあ」
テンション爆上がりで、まったく最高のライブだった。もちろんそんなこと言えない。俺はなるべく真剣な表情をつくり答えると、そそくさと背中を向けた。
どのへんだった? ぼそっと上司が漏らした。実家は市外にある。その近くでライブがあった。ライブの夜、実家に泊まったが、もちろん親父はピンピンしていた。どこからどう見ても悪いところは見られなかった。どう答えるべきか、正解を考える。
「○○市です」実家のある町の名前を告げた。
「いやいや、そうじゃなくてさ。まあいい。よかったんだよな」
念を押す上司の声にわずかな苛立ちを感じる。これはまずい。上司は親父の体調を言ってるのか、ライブのことを言っているのか。どっちだ。
俺は賭けに出る。休みの理由である親父の死に際に立ち合おうとした回答に。
「まあ、いつもの感じでした」
「なんだと。おまえにとってそんなものなのか」
叱責めいた口調で上司が立ち上がった。
周りの視線が一斉に突き刺さる。いったんここは落ち着こう。
「もちろん私にとって大切な人です」
今度は推しのアイドルグループに向けたメッセージ寄りの言葉を返す。
「そうだろ」
上司の頬が緩む。どっかりとイスにもたれた。
「そうです。おっしゃるとおりです。もうとにかくよかったです」
俺の気も緩む。もしかして正直に話したほうが上司の受けがいいのかもしれない。理由はわからないが直感がそう訴える。俺はここでまたも賭けに出る。違っていれば今度こそ立場はない。一生平社員もしくはクビだ。
「私は二年前の結成からずっと推しです」
言い切った。じわりと額が汗ばむ。
「なに?」
上司の肩眉が跳ね上がる。
ひぃ。違ったか。冷や汗が背中を伝う。
「わしは去年からだ」
ほっと胸を撫で下ろす。よかった。
「やっぱ最高だな。俺も昨日は休んで行ったよ。最前列だった。まだ興奮が抜けないよ」
な、なんと。まさか上司も休んでいたとは。
「おまえはどの子が推しか。わしは今年から加入した○○ちゃんがダントツ推しだな」
上司が目を細めて笑う。その子は俺より若い。たしか上司の息子よりも、ということになる。
「つぎのライブは一緒にどうだ?」
「そ、そうですね。ぜひ」
なんてこった。俺は頭を抱える。もうSNSは懲り懲りだ。賭けに負けた気がした。
(了)