公募/コンテスト/コンペ情報なら「Koubo」

高橋源一郎の小説指南「小説でもどうぞ」選外佳作 形見/松本タタ

タグ
作文・エッセイ
結果発表
小説でもどうぞ

第3回 高橋源一郎の小説指南「小説でもどうぞ」 選外佳作

形見
松本タタ

 昼はだいぶ過ぎていたが、頂上近くの休憩処はまだまだ多くの人で込み合っていた。

 いい天気だし、三連休の初日だし、無理もない。見晴らしのよいところには、けっこうな数のペンチが設けられているが、すべてふさがっていた。

 とにかく、腰を下ろせるところで昼飯を……と首を巡らせていると、強い風にあおられ、足元にピニール袋が絡みついた。

「あ、すみません」

 男がついと駆け寄ってくる。三十代の後半くらいか、なかなかの男前だ。鮮やかなオレンジ色のスニーカーが目に入る。イケメンが履くと、こうも似合うものなのか。

「いえ、大丈夫ですよ」

 鷹揚に返し、なおもきょろきょろしていると、男が言った。

「これからお昼ですか」

「ええ」

「よかったら、どうぞ」

 自分が座っているベンチへ促す。ありがたい。おお、しかも美女がいるではないか。

 丁寧に礼を言い、男のとなりに腰を下ろした。雰囲気からして、夫婦だろう。おとなしげな和風美人だ。緑茶のペットボトルを両手に包んでいる。

 ナップザックから、コンピニで買ったおにぎりを取り出す。飲み物が、細君と同じだった。なんとなく、亭主に勝利した気分になる。

「お一人なんですか」

 コーヒーを飲みながら、男が聞いてきた。

「ええ。定年後の、気ままな一人旅ってやつです。女房も誘ってるんですけど、なぜか結局一人旅に」

 つねに用意している冗談を披露すると、二人は笑った。さらに気をよくした私は、男の足元に目をやった。

「しかし、若い人はおしゃれなスニーカーを履きますねえ」

 すると男は、視線を落としてから言った。

「ありがとうございます。じつは、これ……、友人の形見なんです」

 予想外の答えに、おにぎりを持つ手が思わず止まった。

「えっ……。おともだち、の?」

「はい。同期入社のやつでした」

「それは、お気の毒に。まだお若いのに」

「会社の帰りに酔っ払って、渡る必要のない歩道橋をわざわざ通って、階段から落ちましてね。運が悪いというか」

 悲劇のような喜劇のような話だが、美人の細君も目を伏せている。おにぎりの包装をあけるわけにはいかなかった。

「そうなんですか……」

「ええ。あちこち行くのが好きなやつだったんで、新しく買った靴がまっさらなままでは未練が残るんじゃないかと、彼の奥さんに言われましてね」

「それで、形見分けを?」

「ちょうど、足のサイズも同じでしたから」

「なるほど。おともだちの代わりに、あなたがいろんなところに旅をしていらっしゃる」

「まあ、来月が一周忌なんで、まだまだこれからですが……」

「いや、なによりのご供養ですよ。おともだちもよろこんでいるでしょう」

「そうだといいですけど」

 男は笑った。話が明るいほうへ向かったので、私もホッとした。

「お優しい、ご主人ですね」

 細君にも声をかけると、少し恥ずかしそうにハイ、とうなずいた。うむ、好ましい。

 男が、コーヒーの残りをグッとあけた。

「それじゃ、僕たちはお先に失礼します」

 荷物を持って立ち上がる二人に、あわてて頭を下げる。

「どうも、ありがとうございました。これからも、その靴でよい旅を」

「ありがとうございます。そちらも、お気をつけて」

 気持ちのよい別れのあいさつを交わし、仲睦まじいうしろ姿を見送ってから、おにぎりの包装をパリパリとはがしにかかる。

「美談だなあ。いや、美談だ」

 私は何度となく、つぶやいた。おかかの甘さが心地よかった。

 二人は並んで山道を下っていた。土産を買っても、やたらに配るのがはばかられたので、売店は軽く見て回っただけだった。

 オレンジ色のスニーカーを履いた男が、ニヤリと笑う。

「さすがに言えなかったな。やつの形見はこの靴だけじゃなくて、きみもなんだって」

(了)