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高橋源一郎の小説指南「小説でもどうぞ」佳作 迷い家/吉田レオナルド

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作文・エッセイ
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小説でもどうぞ

第3回 高橋源一郎の小説指南「小説でもどうぞ」 佳作

迷い家
吉田レオナルド

 笹川が旅を始めた理由は、実はよくわかっていない。中学生の娘と接するのが難しいとか、仕事の成績が伸び悩んでいるとか、色々と理由を推測することはできる。しかしそのどれもが決定打に欠けていて結局、笹川が旅を始めた理由は誰にもわからない。確かなのは彼が現実に嫌気がさし旅に出ようとしたこと、そしていつも通り出社したふりをしてそのまま車でどこかへ消えてしまった、ということだけだ。

 笹川はしばらく道を走ったかと思うと、見慣れぬ横道を発見した。一歩、その中へ足を踏み入れようものならそのままどこか遠い世界へと連れて行かれてしまいそうな、不気味で妖しい魅力を放つ道。笹川はその誘惑に勝つことができず、軽自動車でやっと通れるかというぐらいのその道に入り込んでしまった。そこには彼がもともと山育ちで少年時代、自然の中を元気いっぱい走り回っていた影響もあるかもしれない。笹川が懸命にハンドルを操り、狭い道を走っていると古びた商店に目が止まる。

 店の近く、路駐してもおそらく問題ないだろう場所に車を止めた笹川は、ふらりとその商店の方へ向かう。全体的に茶色がかった廃墟のような外観。しかしその中では何かしら業務が行われているらしく、汚いガラス越しには仄暗い光が見えている。

 笹川は窓からそっと商店の中を覗くと、言葉を失った。とっくの昔に打ち切りを迎えた少年漫画や古典扱いの特撮ヒーロー、今の子供ならぺっと吐き出してしまいそうな駄菓子。どれも笹川の幼少時代の、大切な思い出の品ばかりだったのだ。

「あ……あ……」

 感嘆とも驚愕ともとれる声を漏らしながら、笹川は商店の扉を開く。同時に乾いた土が急に潤ったような、心地よい満足感が笹川を包みこんだ。

「おやまぁ、ここに客が来るのは珍しいねぇ」

 建物の中に入った笹川へ、そう声をかけたのは割烹着を着た老婆だった。

 割烹着を着ている人間など、現代日本にどれぐらい存在するだろう? 下手をすれば違和感しかないはずのそれは不思議と周囲の空気に調和し、笹川の心を蕩けさせる一員となっている。老婆は笹川を値踏みするように頭のてっぺんから爪先までじろりと見渡すと、ゆっくりと口を開く。

「過去やら未来やら、色んな人間や動物がこの店に来ることがあるんだよ。まぁ、あたしも客を帰すほど馬鹿じゃないからねぇ。品物なら売ってやるけど、ひとしきり買い物をしたらすぐお帰んなさい。でないと、とんでもないことになってしまうからねぇ」

 老婆の言葉に戸惑いを抱きながら、「それなら」と笹川は店の物色を始める。あぁ、あれは子供の時にほしかった玩具だ、あれは母親にねだってよく買ってきてもらったオマケ付きの菓子だ……そうやって歩いて回るうちに両手いっぱいに品物を抱えた笹川は、老婆の元へと出向く。

「お金は、おまえさんがいる時代のお金さで充分だよ。その代わりね、ここから出たら真っ直ぐに家に帰るんだよ。何を見ても、絶対に立ち止まっちゃいけない。いいかい?わかったね?」 

 老婆の念を押すような言葉に内心、しつこさを感じながらも笹川は商店を出て車に乗る。そのままエンジンをかけようとすると、道端に女子高生が立っているのが見えた。笹川はその制服と少女の顔を見て、思わず車を飛び降りる。

「小柳さん?」

 声をかけると少女、小柳は笹川の方へと目を向けた。息が止まるほどの美少女ではないが、なんとなく綺麗で目で追ってしまう姿。だが笹川の同級生だった彼女が、今まだ女子高生のままでいるはずがない。小柳は悲しそうに微笑むと、「久しぶり。元気にしてた?」と声をかける。

「ここは笹川くんが来ちゃダメなところなんだよ。だけど、もう間に合わないね。言われた通り、真っ直ぐ帰れば良かったのに。もう、取り返しがつかないよ」

 小柳の言葉にどういうことか、と笹川が問いかけようとした瞬間。

 小柳の姿は泥でできた人形のようにどろりと溶け出し、そのまま地中に空いた穴へと吸い込まれていく。それだけでない、先ほどの商店も笹川も、空さえもその穴に飲み込みまれ、最後は全て消えてしまった。

 それから数週間して発見された笹川は虚ろな目で、「恐竜を見た」だの「銀の服を纏った女に殺されかけた」だの、支離滅裂なことを口にする廃人となってしまった。

 彼が気まぐれに始めた旅の末に、一体何を見たのか。それは誰にもわからなかった。

(了)